第10話

「お待たせ」

「大丈夫だよ」


 私が廊下まで行くと、志保しほは私のいなくなった教室を一瞥した。

 何かあるのかと釣られて私も見るが、そこにはさっきとなんら変わらない教室が広がっている。

 和香わか朱莉あかりも二人きりで何か楽しそうに話している。


「今いたのって友達だよね?」

「そうだよ、和香と朱莉。前言わなかったっけ?」


 丁度良く教室の方を見ていたのもあって、二人を順に指さした。

 志保がこんなこと訊いてくるなんて珍しいな。

 いつもは私の友達なんか興味なさそうなのに。


「聞いたけど、ちょっと気になってね。朱莉って背の小さくてショートで髪色明るいほうだよね?」

「そうそうそっちが朱莉、それで黒髪ストレートの方が和香だけど、なにかあったの?」

「いやまあなんて言うか……」


 志保はそう言うと視線を教室から逸らした。

 何か言葉を探しているみたいだけど、続く言葉はなかなか出てこなかった。

 もしかしたら、朱莉の悪い噂話でも聞いたのかもしれない……。

 まあ和香が嘘つくとも思えないし、あの感じだと根も葉もない噂ではなく純然たる事実だろうけど。


「私が朱莉といると不安?」

「まあそうだね……」

「大丈夫だよ、和香と付き合ったって言ってたし、和香が首輪付けてるうちはなにもしないと思うよ」


 というかそう思いたい。

 和香は目の前で浮気したいみたいに言われて許してなかったみたいだし、二人きりになった時きつーいお灸を据えられるに違いない。

 それに元々和香のほうが朱莉より大人びていたからそこらへんのコントロールも上手くできるだろう。


「ならいいんだけど……」


 私が言ってもなお彼女は不安そうな声を出す。

 まあ志保は和香と仲良くないしそう思うのも仕方ないか。

 志保が「いいや、行こっ」と言うのでそれに合わせて歩き出すと右手に何かが当たる。

 見ると、志保の指が手に絡んできた。

 指同士を絡めてしっかりと手をつなぐと言った。


「大丈夫だよ朱莉は……」


 それより私は志保の方が不安だよ、なんて絶対に言うことは出来ない。

 もしそんなことを口に出したらこの固くつないだ手も一瞬で離れていってしまいそうで……。

 朱莉は三股がバレて和香に泣きついたと言っていた。

 じゃあ志保は?

 バレたら私に泣きついてくれる?

 そんなわけない……。

 ただ柊那ひなに会うのをやめれば私ともっと一緒にいてくれると言っていたし、もしかしたらもうこんな心配しなくてよくなるかもしれない。

 志保の全部の時間を私で埋められればきっと……。


「わかった……」


 今までだったらこんな事気にしてなかったのに、志保や柊那、朱莉のせいで息苦しい……。

 息は吸えているのに、汚れた空気が溜まって吐き出せないような気分だ。

 志保の手を軽く握りながら歩いていると、どこからか声を掛けられた。


「姫川せんぱーい」


 ん? この声どこかで。

 振り返ると柊那が掛けてくるのが見えた。

 ただ志保が止まらず歩き続けるせいで、腕が引っ張られる。


「ちょっ、志保止まって。呼ばれてるよ」

「いいから、行くよ。振り返っちゃダメ」


 彼女は必死な顔をして進み続ける。

 なにその振り返ったら呪われる悪魔みたいな設定……。

 志保の歩調に合わせると、彼女はどんどんと速度を上げる。


「ねえ、志保、待って早い……」


 早歩きでは足が回らず、ほぼ走っていると言っても過言ではない速度になった時、肩を叩かれた。


「待って、くださいよ、姫川先輩」


 ようやく志保が立ち止まると、その場にいる全員が肩で息をしていた。

 志保は私の肩に手を掛けており、立っているのがやっとのように見える。

 けど、私もやばい……。

 息っ……、むりっ……。

 肺が痛い……。

 柊那が私に触れようとしないのは辛うじて理性が残っているからだろうか、などと考えていると、相変わらず私に寄りかかっている志保が口を開いた。


「学校では、話しかけないでって、言ってるじゃん……」

「だから、ちゃんと姫川先輩って呼んでる。他人の振りしてなら別にいいでしょ?」


 あんまり仲が良くないのは知ってたけど、そんなことまで言ってたのか。

 二人が話してる姿を見ることが多くないせいか、こういう姉妹もいるのかって気分になってくるけど、同時に私がここにいてもいいのかとも思ってくる。


「自分の名字も姫川だっての忘れた? 『2年の姫川って妹?』って聞かれるぐらい怪しまれてるの。だから余計なことしないで」

「お姉ちゃんが訊かれてるのに、私が訊かれないと思った? そんなの入学してから嫌というほど訊いてきたから」

「はいはいわかったよ、で何の用?」

「たまにはお昼一緒に食べようかなって思って」


 それを聴いたとたん志保の顔が曇るのがわかった。

 今まではちょっと仲良くない程度の認識だったけど。もしかしたら相当の何かがあったのかもしれない。

 私も好きじゃない人とごはん食べるのは避けたいけど、それにしても曇り過ぎじゃない?

 まあすでに嫌っているのがバレているという信用があるからこそ出来る表情なのかもしれないけど。


「嫌だ」

「普段一緒に食べないんだし、いいでしょ?」

「私これから、真衣まいと食べるから。邪魔しないで」

「なら私も一緒に食べたいな~。いいですよね真衣さん?」


 柊那は普段私にも見せないような余所行きの声を出すが、そんな声を出されても快諾できるわけない……。

 さっき真正面から断った志保からは、さっさと断ってくれるよねっていう意味であろう微笑みが向けられてくるし。

 そもそも二人の問題なんだし、私に決めさせないでよ。

 志保を優先すると柊那と二人きりになった時に詰められそうだし、柊那を優先すると志保に捨てられてしまいそうでどっちも選べない。


「真衣?」


 志保は私の返事を促すかのように話しかけてくる。

 しょうがない……。

 もうちょっと言うことをまとめてから柊那と最後の話をしたかったけど、今しちゃおう。

 そうすれば何とかなるでしょ。

 というかなんとかなってくれないと困る。


「志保」


 彼女を近づけると、柊那に聞こえないよう囁いた。


「(ねえ、もう柊那に会わないって話今日してもいい?)」

「(なんで? 私柊那と一緒に食べたくないんだけど)」 

「(けど志保の目の前で話さないと不安でしょ?)」

「(それは、そうだけど……。いいよわかった)」


 よかった納得してくれて。

 まあこれで柊那と会いにくくなると思うと、今までのこと黙っていてほしいとか伝えづらくなるけどしょうがない。

 多分今どちらかを選んだ方が悲惨な結果になりそうだったし。

 私が胸をなでおろしていると、志保は大きなため息をついて言った。

 納得はしたけど、やっぱり嫌なのは変わらないのか……。


「わかった、じゃあ食堂行くよ。話すことあるし、食べながら話そう」

「へーなんだろう、楽しみ」


 何も知らないであろう柊那は声を弾ませながらついてくる。

 そんな柊那の声を聴いていると、今日言おうと言ったのが申し訳なくなってくる。

 ごめん柊那。


 ◇


「真衣さん何食べるんですか?」

「……うどん」

「へーおいしそうでいいですね。私もそれにすればよかった」


 柊那が自然と私の隣に腰かけようとしたとき、テーブルの向こう側から怒りの混ざった声が聞こえてくる。


「柊那」


 私に向けたことのないような冷たい視線はしっかりと柊那のことを見据えていた。


「隣に座れって言ったよね」

「はーい」


 こんな空気の中何かを食べたのなんていつぶりだろうか。

 これだったら、お昼抜いて夕飯まで我慢したほうがましだったかもしれない。

 それとも、志保と比べると大分柔らかい和香のプレッシャーの下で食べるか……。

 柊那はなにを話されるのか知らないせいか、大分楽しそうに振舞っているがそれが志保との対比になって余計に空気が重く感じる気がする。


「で、話って?」


 柊那が尋ねると志保はなんのためらいもなく言い放った。


「もう真衣と会わないで」

「えー私勉強教えてもらってるんだけど。ねぇ?」


 柊那がどんな感情をもって私の方を見てくるのかはわからない。

 ただ今だけは私のことを見るのはやめてほしい……。

 どんな顔をしていいかわからないし、気が立ってる志保を見ていると些細なことにも気が付きそうで、極力反応したくなかった。

 私がなんて答えようかと固まっていると、志保の冷たい声が切り裂いた。


「独りで勉強出来ないのが悪いんでしょ」

「あーお姉ちゃん頭いいもんね?」

「嫌味?」


 志保はジロリと柊那のことを睨む。

 ただ当の本人はそんなこと気にしてないのか、くすくすと笑いながら再度私に訊いてきた。


「さー。真衣さんはいいんですか?」

「私は……」


 志保に見られてて、なにか言えるわけない。

 ただここでちゃんと言わないときっと志保は私のことを見てくれなくなる。

 この間の時点でもう会わないと約束しちゃったし、今更翻すわけにはいけない。

 小さく息を吸って覚悟を決める。

 ごめん、柊那。

 私は死んだらきっと地獄に堕ちる。


「いいよ。その分志保と一緒に居られるし……」

「へーそうなんですね。それって本心ですか?」

「本心だよ……」


 柊那の綺麗な深海色をした目で見つめられると、意識を飲みこまれそうになる。

 そんな目で私のことを見ないでよ。

 本心にさせてよ。

 私の願いが通じたのか彼女は一つ手を叩くと、ニコニコとした笑顔を蓄えて言った。


「じゃあわかりました、お姉ちゃんと真衣さんの時間はもう邪魔しません。これでいい?」

「いいよ」

「真衣さん、今までありがとうございました」


 志保の返事を聞くと柊那は私に向かって丁寧にお辞儀をしたが、毒気のなさが逆に怖かった。

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