第8話

「ねえ浮気ってどこからが浮気なのかな……」


 昼休みの喧騒の中、私はそう呟いた。

 私の目の前に座っていた朱莉あかりはその言葉を聞くと、パンを咥えたまま固まってしまった。

 朱莉の隣に居た和香わかも「何言ってるの?」みたいな視線を向けてくる。

 そんな目で見なくてもいいじゃん……。


「え?」

「だから浮気って……」

「いやそれは聞こえてたけど。ついに姫川ひめかわさんに浮気された?」

「いやなんで?」


 和歌は明日の天気の話でもするように淡々と話しかけてくる。

 事実ではあるけど、なんでそんな的確に当ててくるの?

 私ってそんな志保しほに浮気されそう?

 てかついにってことは私が気が付いてなかっただけで前から兆候があったってこと?


「だって真衣まいと姫川さんって明らかに釣り合ってないし」


 和香に合わせて、朱莉も顔を縦に振って同意を表していた。

 ちょっとは否定してくれたっていいのに……。

 まあ私と比べると、志保はもったいないくらいきれいな彼女かもしれないけど……。


「私も志保と釣り合ってるとは思ってないけどさ……」

「で、浮気されたわけじゃないってことは、真衣が浮気してるの?」

「いや、そんなわけじゃ……」


 私のは志保の気を引くだけで浮気じゃないし……。

 あくまで、振りだから。

 ただ言っても理解してくれるとは思わないから言えないけど。


「ならいいけど、浮気はやめときなよ。絶対碌なことにならないし。ねー」


 和香はさっきから言葉を失っている朱莉を肘でついた。

 そういえば普段はうるさいくらい元気なのに、浮気って言ってから借りてきた猫のように静かにしている気がする。


「朱莉ってなにかやらかしたの?」

「いや、私からは三股がバレた挙句全員に愛想つかされて私に泣きついてきたなんてとても言えないから本人から訊いて」

「そうなんだ……。で、朱莉はなにしたの……?」


 もう全部聞いてしまった気がするけど、それを言うのは無粋な気がするし。

 自然な流れを装って朱莉に話を振る。

 ただ彼女は答えるより先に和香のことをぽかぽかと叩いていた。


「内緒にしてって言ったじゃん」

「ごめんごめんあまりに面白かったから。まあ振られたおかげで彼女出来たんだからいいでしょ?」

「え、彼女?」

「そう、この間から私の彼女」


 和香はそう言うと朱莉を指さした。

 なんかさらっといろんなことを言われたけど、どれもとんでもない気がする。


 朱莉が三股した挙句振られて、和香と付き合ったって言った?


「待ってごめん、そもそもで朱莉が浮気するようなイメージが……」


 今までずっと小動物のようなマスコットのようなイメージが強かったし、和香と付き合ってるって聞くまでは三股どころか誰かと付き合ってるのすらイメージできなかった……。

 ただ可愛くはあるし、意外とこういう子に甘えられるとみんな落ちてしまうのかもしれない。


「そう? 結構心当たりない? 未読が溜まってたり、誰かと険悪な感じで話してたりするの見たことあるでしょ?」

「言われてみれば……」

「ねえもうあたしの話はいいじゃん。今は真衣の浮気でしょ」


 朱莉は大きく机を叩くと話を遮った。


「だから私は浮気してないって……」

「えーけど、どこからが浮気ってする気なんじゃないの? 誰かみたいに」


 和香は口元を隠すとくすくすと笑った。


「まあいいよ、とりあえず教えて……」

「私は二人で手繋いだらとかかな」

「えー和香はそこなんだ。私は彼女に対してやましい気持ちになったらアウトかな」


 ついさっき三股してた人が何を言うかと言いたいけれど、きっとそれは言ってはいけないんだろう。

 あくまで平静を装って返す。


「朱莉のそれって大分厳しくない?」

「けど、下心とかなければやましい気持ちにならないじゃん。だからそういう気持ちになった時点で浮気かなと」


 そうなのか……。

 まあ朱莉の言うことにも一理ある気はするけど……。

 けど如何せん説得力が……。


「逆に真衣の基準は?」

「え、私の基準?」

「そうそう、私たちに訊いてきたってことはなにかあったんでしょ?」

「何もないけど……」

「はいはい、でなに?」

「いや……――」


 私の基準か……。

 まあこの場合志保にされて嫌だったことでも言っておけばいいかな……。

 柊那ひなとしてたことは振りであって浮気じゃないし。

 なんか私が浮気判定されるのはなんかムカつくけど、いちいち言ってたら話が進まない。


「――まあいいや私は私に内緒で二人きりで会ったり、部屋に入れたら浮気かな」

「なら朱莉はアウトだ」

「だから、もう全員振られたからいいじゃん」


 和香はそう言うとクックックと声を殺して笑っていた。

 よっぽど朱莉の浮気したのを気に入ってるんだろうか。


「ただ浮気はやめておきな」

「だから私は――」


 私が言いかけると、和香は私の両肩に手を置いた。

 フッっと鼻で笑ったあと、何度か顔を横に振る。

 目の前でそんな演技ったらしいことをされるとなんかムカつく。


「よく聞いて、真衣。他人に浮気の基準を聞くときは自分がする時か他人にされてる時しかないの。朱莉がこの間泣きついてきた時なんて訊いてきたと思う? 『浮気ってどこからが浮気なの?』だよ。わかったらもうやめておきな。朱莉がいるのに真衣を慰めることになったら今度は私が浮気することになっちゃうから」


 別に私は和香には泣きつかないから。

 言えるのであればそう言いたいけど、もしあの時柊那がいなかったら和香に相談してたかもしれない。

 少なくとも今の朱莉を見ると和香のほうが頼りになりそうだし。


「あーあと、多分姫川さんよりいい彼女っていないとあたし思うよ。今は真衣がいるってみんなわかってるから大人しくしてるけど、別れたとか浮気されたって知ったら一瞬で群がってきそう」

「待ってだからなんで私がしてる前提なの?」


 そう問い詰めると、二人は顔を見合わせる。

 お互い示し合わせたように首を傾げると、好き勝手話し始めた。


「だって向こうは選り取り見取りだし」

「別に浮気なんかしなくても振れば新しい恋人が向こうから来るし」

「浮気したって汚名を着るほうが、デメリット大きそう」

「理由が見当たらない」

「理由、理由か……」


 そう言うと二人ともぴたりと固まってうなり始めた。

 なんか失礼なことを言われてる気がするけど、洪水のように失礼が襲ってくると言い返す気すら起きなかった。


「朱莉はなんで浮気するの?」

「あたしは、寂しいから、とか? あとは浮気すれば危機感煽れるし」

「なら姫川さんもそれでしょ。まあなんで姫川さんが真衣を選んだのかは謎だけど」

「あーそれ、あたしも気になってた。なんで?」


 二人は期待を込めたまなざしで私のことを見てくる。

 そんな目で見ないでほしい……けど、二人から発せられる圧からは逃げられそうにない。

 私は大きなため息を吐くと、言った。


「わかった、言うよ」

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