第7話
シャワーの音に混じって何か叩くような音が聞こえてきた。
音のした方を振り返ると、お風呂場のドアに透けて誰かいるのがわかる。
「
「開けていい?」
「いいよ」
シャワーを止めて彼女が来るのを待っていると、何も身に着けてない志保が入ってきた。
珍しい、あの様子だと寝てるかと思ったのに。
そう思うと同時に私はそっと胸をなでおろした。
よかった、あの時
もしタイミング悪くキスマを付けられてるところを見られたら言い訳のしようがない。
「あれ、お風呂は?」
「シャワーだけでいいかなって」
さすがに志保が寝てるのにお風呂に入るのは気が引ける。
それにもし寝てるならせっかく寝顔が拝めるのに、そんな貴重な時間を入浴なんかで無駄にしたくはなかった。
「浸かればいいのに」
志保は水栓を捻った。
いいのにとは言ってるけど、確定なんだろう。
まあ一緒に入れるなら私はいいけど。
「わかった。じゃあ浸かる」
「よかった」
そう言うと志保はざっとシャワーを浴び始めた。
バスタブの端に腰かけながら彼女の肌が水をはじく姿を眺めていると、さっき自分が付けたばかりの噛み痕が目に入る。
お互いなにかそういう痕を付けると示し合わせたわけではない。
けど、ある時志保に無理やりつけられてから互いに付けるのが日常になっていた。
初めは痛いんだから同じ気持ちを味わえという気分が大きかったが、今となっては付けられるときの痛みは気にならない。
ただ志保の歯が私の皮膚を割る感覚にハマってしまって、毎回されるがままに歯を立てられる。
志保がどう思ってるかはわからないけど、少なくとも嫌な顔せず受け入れてくれているから嫌がられてはいないと思いたい。
多分……。
志保を見ながらぼーっと思いを巡らせていると、突然水を掛けられた。
「ちょっ、なに?」
「見るならちゃんと私のこと見てよ。なにか考えてたでしょ?」
「ごめん」
「ごめんじゃなくて、ちゃんと見て」
もうすでに見慣れているはずだった。
中学生の頃から知っているし、何度だって見たことがあるのにしっとりと濡れた彼女の肌は白磁のように美しく、私の目を奪っていった。
「綺麗、だよ……」
「ありがとう。溜まったみたいだし、入ろう?」
「わかった」
背後を振り返ると、すでに8割ほど溜まっており、水面からは絶えず湯気が湧き出ていた。
少し熱めのお湯につかると、全身に溜まった疲労がお湯に溶け出していく気分になる。
それは志保も同じ様で、向かい合った彼女の顔も普段見せないようなとろけた表情になっていた。
そういえばお風呂入る時はピアスとるんだ。
まあメガネも外すしいざ見てみればそれもそうかって感じだけど。
ただピアスのなくなった彼女の耳は、どこか凸凹として同じ耳とは思えなかった。
「ねえ今全部で何個ピアスつけてるの?」
「それ私に訊くの?」
彼女は少し不満そうな顔を浮かべながら、半目のような状態で私を見てきた。
もしかして、あんまり聞いちゃいけないことだったのかな……。
志保は聞かれたことがよっぽど不満だったのか、さっき私を見つめていた目を維持しながら、水面に波を立てて遊び始めていた。
「ごめん……」
「一個」
彼女は吐き出すようにそう言うと、耳の一点を指さした。
「ここしか開けてないから」
彼女が指さした場所は確か、初めてピアスを開けた場所だ。
私と付き合った後怖いから開けてほしいと頼まれたせいで、沢山の穴が開いた今でもそこだけはわかる。
「けど、他のは?」
「残しておいてほしいの?」
「え? それは志保が決めることじゃ――」
そう言いかけた時、彼女の手が水面を払い水が飛んでくる。
まったく予期していなかったせいで、顔に当たったお湯が気持ち悪い……。
「
「私が? そんなこと頼んでないよ」
初めてのピアスも志保に頼まれて開けただけだし。
今まで一度も開けてほしいなんて頼んだことはない。
初めてつけた時に似合ってるとかは言ったけど、それももっと開ければという意味で言ったわけではないし。
「あっそ」
志保はそっけない返事をすると、さらに私に向かって水をぶつけてきた。
表情は今にも泣きそうな悲しみと怒りがまざった感じだったけど、なぜそんな顔をしてるかはわからない。
「開けるとき痛いんだからね……」
「知ってるよ……」
初めて開けた時、ずっと私の服を掴んで不安そうな顔をしていたのは忘れられない。
あの時は何時間抱きしめてただろう。
私のやりかたも悪かったのかもしれないけど、痛いと言いながら泣きじゃくる彼女の背中をずっとさすっていた記憶がある。
「今開いてるのは、真衣に開けてもらったのだけ残して全部潰す」
「全部って新しく開けたのも?」
「そうだよ。あれもやっぱりいらない。真衣のだけあれば十分だし」
そう言われるとなんだか悪い気はしない。
初めてのピアスは特別って思ってもらってるみたいだし。
好きな人にそう思ってもらえるんだったら、私も一緒に開ければよかった。
そうすれば今お揃いになれたのに……。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
彼女はその後も腕や胸に水をかけてくる。
顔に掛けられるのに比べたらぜんぜんいいんだけど、何か物憂げな顔をしながらお風呂場の一点を眺めているのを見ると、こっちが不安になってくる。
「志保?」
そう私が声を掛けると、彼女は急に手を止めて、私を見てきた。
「あのさ、もうもう柊那と会うのやめて」
「え、急にどうして?」
もしかしてバレてた?
その言葉を聞いたとき、今の今まで体温より高いお風呂に入っていたのに、急に周りが冷水のようになって、サーっと体温が下がっていった。
けどまだ浮気の振りしませんかって言われて数日しか経ってないし、ちゃんと振りの範囲で留まってたはず。
それとももしかして何かに気が付いたせいで私のこと見てくれるようになった?
「どうしてって……」
志保は大きなため息をつくと、不満そうな顔をした。
「柊那に構ってる間、私のこと見てくれないじゃん」
志保のこと見てくれないって……。
ちゃんと見てたよ……。
私以外の人と手をつないで楽しそうに歩いているのも、私を呼ばなかった日誰かを家に呼んだのも全部。
けどずっと見てたなんて言えるわけない。
言ったら今の関係も壊れてしまいそうで、これだけは私の中でとどめておかないと。
「けど、私に勉強見てあげてって言ったのは志保じゃ」
「だからそれをもうしなくていいって言ってるの」
「でも……」
「なんでそんなにあの子にこだわるの? 真衣は私の彼女でしょ?」
だんだんと話すにつれて彼女の語気が強くなる。
ここで素直に会わないと言った方がいいのはわかる。
ただここでいきなり連絡を絶ったら、浮気の振りっていう約束がどうなるかわからない。
黙ってくれるかもしれないけど、もし全部バラされたらと思うと少しでもいいから柊那と話したかった。
「そうだけど……」
「真衣が私のこと見てくれない間、どうにか真衣の邪魔しないように頑張ってった……。けど想像したことある? 彼女が妹ばっかり構って、私を見てくれない絶望感を。なにをしても誰といても埋まらなかった。だからもうあの子に構わないで私だけ見て」
そう言ってきた彼女の頬には涙なのかさっき飛ばしてきたお風呂のお湯だかわからない水滴が付いていた。
私が浮気の振りをする約束をした目的は志保の気を引きたいからであって、もし志保も私だけを見てくれるなら振りなんてする必要はない。
彼女の時間を全部私で埋めてしまえば浮気なんてする暇なくなるはずだ。
そうすれば、もう柊那に協力してもらう必要もない。
さっきから頻りに目元を擦っている志保に対し決めると私は言った。
「わかった。不安にさせてごめん。けどもう会わないってのだけは私から言わせて……」
「……それくらいなら、いいよ」
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