消したくて

椋鳥

消したくて

 拝啓、僕の恋の貴方に


 消したかった。思い出も、手に残る感触も、その存在も。


 でも、消せなかった。少しだけ悲しかった夜に一緒にいてくれた記憶も、手に残った僅かな体温も、茶髪が妙に映えるあなたの横顔も。


 僕が悪かった。あの時君に告白できていたのなら、こんな気持ちを抱えて、生きる必要もなかった。卒業式は雨だったけれど、僕はそんな雨に寄り添って泣き出しそうな顔をしていた。君に伝えようと思った言葉が、水の泡になって僕の中に溶けた。


 全部が全部、嫌になった。君は僕を知らない。だけど、僕は君を知ってしまった。君は素敵な女性だ。さらさらの茶髪がとても綺麗で、僕には太陽に見えた。君と言葉を交わ時僕は幸せだった。


 全部が全部、気色の悪い勘違いであることは分かっていたかった。君の知らない僕が、君を知っているのはかなり気持ちが悪い。僕の気持ちだけを無理やりに押し付けて、君を傷つけたと思う。

 

 けれども僕は、君じゃない誰かから向けられた遠回しな好意に、見て見ぬふりをした。そればかりか、それに対して気持ち悪いとか怒りとかを感じてしまった。つくづく僕はひどい人間だと思った。僕自身は好き勝手に好意を抱くのに、それ以外の相手に好意を突き付けられた瞬間、こんなにも気持ちを害してしまった。


 会いたい。そう願っていた。でも僕は、きっと君に会えない。僕は身勝手な人間だ。君を悲しませるとか、君を不快にさせるだとか、そんなことを考えている内に、君に会わないのが一番の道ではないのかと思えてきた。


 身勝手極まりない。君に好意を抱いているとか言いながら、 会わないようにするのが一番だとのたまうなんて。でも、それでも僕は幸せだった。君に会えなくても、君の面影はずっと深いところに埋まっていたから。たまにそこから少し表情を見せてくれたときは、嬉しくなったりもした。


「じゃあね」僕は、自分の電源を切った。これは、僕の自意識が消滅する前の、最後の記録だ。


 今の私には、浸透型模造人格としての意識のみが存在している。主人に仕え、主人の命令を絶対に遵守する、完璧な機械。私は、


「やっと消せた」そんな意味不明なことを言った。


 

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