第4話 私がにせものだから

 帝の訪問からしばらく経ち、身辺も少し落ち着きを見せてきたころだった。

 

尚侍ないしのかみさまは蔵人頭さまにお会いになってはいかがでしょうか」


 いつものように大量の書状を持ち込んだ須磨が淡々と告げた。


「尚侍は、後宮における帝の側近であるとすれば、蔵人頭くろうどのとうは表のまつりごとにおける側近です。今までのように引きこもらず、尚侍として動かれるのであれば、避けては通れますまい」

「そうですね……」


 松緒は、かすかに残る「蔵人頭」の記憶を掘り起こそうとした。

 前世の記憶によれば、彼も攻略対象のひとりで、性格は実直かつ真面目……しかし家柄はいいものの、父を早くに亡くしたために出世が遅れてしまった、なかなかの苦労人というキャラクターだった。ルートとしては、比較的穏やかに愛を育める……いわばグランドロマンスだらけのルートの中でも箸休め的な……甘いものだけ食べるのも飽きてしまうので、ほっとするお抹茶も付けてみました、みたいな印象は残っている。

 松緒が覚えているのはそれぐらい。前回の御簾越しの対面の記憶などきれいさっぱり吹き飛んでしまっている。

 

「蔵人頭の長家さまは非常にお忙しい方です。こちらにもなかなか参れないでしょう。かぐや姫さまは、かの御方とやりとりはされていらっしゃいますか?」

「いいえ……」

「あの、須磨さま……」


 傍らにいた相模が、眉根を寄せながら、こそこそと須磨に耳打ちした。


「……は?」


 信じられないような視線を感じた松緒は、さらに顔を見られまいと扇を持ち直した。


「一切! お返事を! これまでされていないと!? 出仕前はともかくとして、今はいわば同僚のような立場の方ですよ! それを無視して、なんとしますか! あなたさまは尚侍ないしのかみとしての御自覚がおありか!」

「……先日のお見舞いの返事は書きました!」

「それだけで、人間関係を攻略できたとお思いかっ! 足りませぬ足りませぬっ!」

「ひいっ!」


 須磨の圧に負けた松緒は、ついつい「かぐや姫」を忘れて素になりかけた。

 危ないと冷や汗をかくものの、須磨は違和感に気付かない。

 しばらく思案した様子の須磨は、結論に至ったのか、大きく息を吐きだすと、


「かぐや姫さま。ご覚悟なさりませ」


 真剣な声音に、松緒も固唾を飲んで耳をすませた。


「いずれは通らねばならぬ道。そのうち、ご案内せねばと考えておりました。わたくしめも同行いたしますし、日時の算段もつけましょう。かぐや姫様は、蔵人頭さまとお言葉を交わさなければならないのですから」

「それは、すなわち、どういうことでしょうか……」


 見えているようで見えない話に困惑して尋ねれば。

 

「こちらから、蔵人頭の長家さまに会いに行くのですよ」

「会いに……」

「ええ。かぐや姫さまは、この室を出なければなりません」


「かぐや姫」は出仕してからというものの、与えられた殿舎からはまったく外に出ない。

 顔を見られたら、松緒が「かぐや姫」でないことが明らかになってしまう。

 先日も……真意はわからないが、かぐや姫の正体を看破した男と出会ったばかり。幸いに、まだ正体が世間に知れたわけではないが、わざわざ目立つ真似をしたくなかった。


「そんな……」

「姫様……」


 松緒も、女房の相模も、困り果ててしまった。


「……それほど、ご自分の顔を恐れていらっしゃるのですか」


 ふと、須磨がそう尋ねてくる。


「まだ実際に拝見したことはございませんけれども、尚侍ないしのかみさまのお噂は耳にしたことはございます。女であれば、美しさは武器になりましょう。しかし、あなたさまは美しさを誇るよりも、恐れていらっしゃるように見えますが」

「それは……」


 ――私が「偽物」だから。


 言いたい言葉をこらえる。

 

「……人は勝手に期待して、勝手に落胆するものでしょう?」

「そうでございますね。身勝手なものです。……ただ、お気持ちは少しばかりわかりました。では、こういたしましょう」


 須磨は、「かぐや姫」にある策を授けたのだった。




 翌日の昼下がり。宮中の人々は奇妙な光景を見た。

 板張りの廊の上を、几帳の林が通り過ぎていく。

 女房や童女が帷子かたびらを張った几帳の足だけをそれぞれ抱え、示し合わせたように歩いていくのだ。

 帷子はひらひら、ひらひら、とゆらめくが、奥にある「隠したいもの」は決して見えない。


「なんだ、あの妙な集団は。どこにいくのだ」

「さぁ? 須磨さまが先頭にいらっしゃるようですが……」

「なぜ早足?」


 ――それは、みなの腕が疲れ切ってしまうから。蔵人所に辿り着くまで時間との勝負なのよ……!


「几帳の林」の内側にいた松緒は、漏れ聞こえた疑問に心の中で呟いた。

 彼女の四方はすべて大納言家の人々で囲まれている。女房だけでは足りなかったから童女まで駆り出している。

 かぐや姫の姿が人から見られないための苦肉の策だ。はたからみればおかしな光景でも、本人たちは真剣そのものである。


「さぁ、みなさま、わたくしめについてきてくださいませ」


 張り切る須磨の後ろを、そろそろ疲れてきたのか、よろよろしてきた几帳を持つ女たちの集団がついていく。

 さあもう少しで目的地、というところで。

 几帳の足を持っていた童女が転んだ。


「あっ!」


 ばたんと倒れると同時に、「かぐや姫」を人目から隠していた「壁」の一角が消える。


「たつき!」


 相模が思わずといった調子で叫ぶ。

 ……松緒は、頬に春の風を感じた。

 視線をそちらに向けると、そこには松緒のほうを凝視する男がいた。

 赤い袍。まだ若い。十代か……松緒と同い年か少し下ぐらい。一文字に結ばれた唇が、気の強さを感じさせる。


 ――だれかしら。


 松緒は落ち着いて、ぱらりと檜扇を広げ直し、男の視線から逃れた。

 男から離れたところで、なおも心配そうにする相模に囁いた。


「念のために紙でお面を作ってきてよかった。役に立ったわ」


 目の部分だけくり抜いた紙を紐をつかって額に括り付けてきたのだ。不恰好だが悪くない作戦だと思う。須磨もそこまで念入りにするとは思っていなかっただろうが、それぐらいしないと安心できなかったのだ。


「かぐや姫さま、もうよろしいでしょうか」

「はい。参りましょう」


 須磨のうしろを再びついていき……とうとう蔵人所くろうどのところについた。蔵人頭長家の職場である。

 まず、須磨が入り口の妻戸を押し開き、内部へ声をかける。

 

「蔵人頭さま、尚侍さまがお越しになられています」


 すると、どんがらがっしゃんと物が落ちる音がした。「ど、どうぞ」と男の声が一行を中に招いた。


「失礼いたします」


 須磨がさっさと中に入るので、松緒も扇で顔を隠しながら入る。相模たちのように几帳の足を持つ者たちは妻戸前で待機することとなった。


「あら……蔵人頭さまのお姿が……?」

 

 須磨が不思議そうな顔をした。

 蔵人所の内部は板敷となっており、書状や書物の置かれた棚とともに事務処理を行うための文机が等間隔で並べられていた。

 人気はない。顔を厳重に隠したがる尚侍が来るため、気を利かせて、一部の者を除き、下げられたのかもしれない。

 松緒がこっそり辺りを眺めていると、とある一角が目に入る。

 奥の方では、別の扉が開け放たれたままになっている。宮中の事務を司る場所なので、その扉向こうは書類を保管する書庫なのだろうが、妙に気になった。


「あっ……!」


 だれかの声とともに、てんてん、と巻物が広がりながら転がっていく。

 それは松緒の足元で止まったので、反射的に取り上げる。

 気づくと松緒の目の前に、赤い袍をまとった男が立っていた。腕に山ほどの書類を抱えた、いかにも苦労人のような風情を漂わせている。


「か、か、かぐや、姫さま、でいらっしゃいますか……あ、申し訳ありません。わざわざ拾っていただきまして」

 

 彼は呆然とした様子で、松緒が差し出した巻物を受け取った。


「蔵人頭さまは何をしておいでで?」


 須磨が尋ねると、彼は曖昧に笑ってみせた。

 

「あ、いえ。……お恥ずかしい話、こちらにかぐや姫さまがわざわざお越しになられるため、整理整頓しておりましたら……決壊いたしまして」

「決壊」

「日頃から整理する時間を取れないほど、雑事が立て込んでおりまして……ははは。ついいましがた棚がひとつ、崩壊してしまいまして……まあいろいろとお目汚しいたしまして」

「さようですか」


 須磨と松緒は用意された畳の上に座った。松緒の前には几帳が置かれ、やはり「かぐや姫」の顔を見ないように配慮されていた。


「蔵人頭さま、こちらの方が新しい尚侍さまでいらっしゃいます」

「『かぐや姫』と申します。桃園大納言の娘でございます。尚侍として精一杯勤めて参りますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

「そんな……。もったいないお言葉です。わたしは長家と申します。こちらこそ、同じく帝を御支えする者同士、仲良くやっていけたらありがたい限りです」


 ――真面目で誠実そうな方だわ。


 蔵人頭は、細々とした雑事にもよく気が付かなければならない仕事だ。縁の下の力持ち、事務屋さんとしての能力が問われる。須磨がいうには、前の帝のお声がかかっての抜擢で、なかなか後任が決まらないのも、長家という人が蔵人頭という役職に合っているからなのだと。

 松緒個人としては彼に好感を抱いた。根がいまだに社畜の限界OLなもので、親近感が湧く。


「そうですよ。尚侍さまは、もっと蔵人頭さまと仲良くなさってくださいね。お仕事をするのに人間関係が良いことに越したことはないのですから」

「肝に銘じておきます」


 「かぐや姫」がそう答えると、須磨は満足そうに頷いた。


「わたくしとしましては、仕事に支障がないところで、蔵人頭さまが尚侍さまと「どのような関係」を結ばれても一向に構いませんので、申し添えておきます」


 御簾向こうではやや沈黙が続いた。


「尚侍さまはあくまで尚侍としてお仕えするとのことですから」


 須磨が付け加えると、


「そうですね。努力は、してみましょう。かぐや姫さまに関心があるのは、事実、ですし。実際、何度か、その意図で文を送っておりますので……」

「それは、あの……」


 松緒が困っていると、「大人ですので節度は守りますよ」と先回りした答えが返ってきた。


「実のところ、わたしは嬉しかったのですよ。自身の顔を好奇の目にさらすのを好まれなかった尚侍さまが、わざわざわたしに会うために蔵人所まで来てくださった。……それだけでも、人として好ましく思います」

「あ……」


 ――さすが、乙女ゲームの攻略対象。甘い言葉がさらっと……。


 松緒も大人なので、それだけでぐらつきはしないが、乙女ゲームらしく攻略キャラの好感度を上げてしまった気がしてならなかった。


 ――それは、「姫様」にとって良いこと?


 答えは出なかった。


 蔵人頭に見送られ、蔵人所を出た先に、廊の上で仁王立ちした若者がいた。

 相模たちも控えていたため、すぐに几帳で姿が隠れたが、若者はまっすぐ「かぐや姫」を見つめていたようだった。

 一瞬だったが、先ほど蔵人所に来る前に見かけた赤い袍を着た男だった。


 ――あの視線はなにかしら。かぐや姫さまに焦がれているわけでもなく……むしろ、不愉快なものを見るような……?


 彼は「かぐや姫」に一礼だけして、蔵人所に入っていった。

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