第3話 そなたの正体を知っている

 書状や書簡が積まれてからしばらく経つと、須磨が松緒の元へやってきて、仕事のやり方を一通り教えていった。

 須磨の元には、宮中にいる貴族たちから後宮内に届く文や嘆願書が届くほか、様々な部署からの報告書が上がってくる。それぞれの内容に合わせ、帝に報告をあげるもの、内部で処理をするもの、自ら返書を書くものなどに選り分け、女官たちに指示を出す。


「これはまだ一部でございますよ。簡単そうなものだけお持ちいたしました」

「……そなたは、きちんと眠れていますか」

「灯りの油がもったいないですからね。夜は寝ています」


 つまり、それ以外はほとんど働きづめということだ。聞けば、一年以上里下がり(実家に帰ること)ができていないとのこと。


「わかりました。わたくしもそなたの負担を減らせるようにしましょう」

「よろしくお願いいたします」


 須磨はまだ「かぐや姫」に対して猜疑心を持っているようだった。今まではさぼり魔のように見えていただろうから仕方ないと思う。自分の働きで認めてもらうしかないのだ。

 松緒は後宮で働く女官の名簿を求めた。自分の下にいる部下たちのことぐらい、多少知っておかなければならないと思ったからだ。

 須磨は少々驚いた様子だったが、了承した。


「ところで須磨。この、女官の家族から来ている嘆願書が気になっているのですが、これはなんですか?」


 松緒が渡した書状に目を通した須磨は、ああ、と低い声になる。


「後宮で何ができるわけではございませんが、帝のお耳には入れたほうがよいことですね。近ごろ、都には妙な薬が流行っているのです。見た目はただの粉薬なのですが、飲めば極楽浄土に行って帰ってきたような心持ちとなり、やみつきになってしまうのだとか」


 ――麻薬みたいなものかな。

 

「物騒ですね……」


 ええ、と須磨はため息をついた。

 

「老若男女問わず、それこそ身分も問わず、流行っているようですね。それこそ朝廷の方々も、こっそり愛用されていた方がいらっしゃったようで……。ただ先日、前参議さきのさんぎの方が、服用のしすぎでお亡くなりになって以降、その薬は使用禁止となりました」

「そうなのですか。それでこの書状を……」


 嘆願書を書いた女官の家族が、薬を飲みすぎで、錯乱状態になっているという。医者に見せるため、給料の前払いを嘆願したいというのがその内容だった。

 前払いは可能だろう。だが、副作用でボロボロになった身体は戻らない。


「知らぬ間に、後宮内にも入り込んでいるかもしれませぬ。かぐや姫様もお気をつけくださいませ」

「わかりました」

「それと、こちらは口頭でのご報告なのですが」

「なんでしょう?」

「先ほどこちらに伺う時、野良陰陽師がかぐや姫の元へおたずねになるとおっしゃったので、首根っこ捕まえて、追い出しておきました。御承知おきくださいませ」

「野良陰陽師?」


 野良犬に対するような言い方だった。

 須磨は口にするのも嫌そうに、


晴明はるあきらでございますよ。かぐや姫様を『気に入った』ようです。……まさかあのような輩を寝所に入れたわけではございませんよね?」


 帝を袖にしておいて! と言わんばかりである。


「そのようなことはありません」


「寝所に入れる」という表現は……まあ、あけすけな言い方ではないが、そういうことだ。だから嘘は言っていない。ただ、「かぐや姫」の居室に入ってきたことはあるので、なんとなく気まずい。

 須磨が退出した後、松緒はまた書類仕事との格闘を再開した。


 ――仕事はたくさんあるけれど、気が紛れていい。姫様のためにもなるもの。


 夜になると、傍仕えの女房たちを先に眠らせた。頼りない明かりの下、机に向かい、黙々と書状に目を通していく。自分ならばだれにどのように指示を出すか、考える。

 数回夜を繰り返すうち、松緒はどのように宮中が動いているのか、書面を通してなんとなくわかってきた。

 後宮自体、ひとつの組織なのだ。どこから要望が生まれ、企画が立てられ、人が動いていくのか、その構造は現代の企業や官僚組織と似通うところがある。

 そうなると、事務仕事の省略を考えたくなるのが、元OLとしての思考である。

 前世の松緒は、いかに残業を減らすためにさぼりながら仕事をするのか、そればかり考えていたのだ。

 少しのノウハウを駆使すれば、須磨の仕事も減らせ、身代わりが終わった後のかぐや姫の負担も減る。まさにウィンウィンの関係だ。

 頭の中で考えを巡らせていた松緒は。

 そのために、背後から忍び寄る人影に気付けなかったのだ。


「かぐや姫」


 甘い声で呼ばれたのは、今はいない主人の名。

 首の後ろから手を回され、抱きしめられているのは、松緒の身体。

 一瞬、頭が真っ白になった松緒は、とっさに灯台あかりだいについた火を吹き消した。顔を見られないために。

 相手は男。大柄と思われる。

 一度、内部に入り込んだあの陰陽師かと一瞬疑うも、声は別人のように思われた。

 松緒は震えながら「どなたですか」とかぐや姫として答えた。

 男は耳元でフ、と笑う気配がする。男が身に纏う香の匂いが辺りに充満している。


「わたしは、そなたの秘密を知っている」

「秘密……? 何のことですか」


 毅然として言い返せば、「気丈な女だな」と声が返ってきた。


「実は、先ほど、灯りに照らされた、そなたの顔を見ていたのだ」


 それは思いも寄らないことで、体中の血の気がざっと引いた。

 

「かぐや姫は絶世の美女と聞く。なのに、こっそりのぞいてみれば凡庸な女がそこに座っていたよ」

「あ……っ」


 声にならない。

 だれだ。この男は、だれだ。

 笑みを含んだ声のまま、男は後ろから『かぐや姫』……松緒の手を取った。今や振りほどく気力もない。


「そなたは……かぐや姫の『偽物』だな?」

 

 そうして、決定的な一言を放ち、松緒の身体は今度こそ凍り付いたのだった。




 明朝、朝の支度を手伝いにやってきた相模は、まったく眠れていない様子の松緒を見るや、すぐさま寝所に松緒を寝かせた。


「近ごろ、だいぶお疲れがたまっていらっしゃったでしょう。お休みください」

「ですが、もうすぐ須磨さまがお見えになる刻限ですよ。待っておりませんと」

「須磨さまには私から伝えておきますから。……松緒、眠っていなさい」


 最後の一言は、だれにも聞かれぬような小声で。

 松緒は諦めて「うん」と頷いた。相模には母親代わりのようなところがあるので逆らえない。

 身体も熱を持っているようで、うまく動いてくれなかった。

 いつまで経ってもなじめない豪華な几帳台の中で眠る。相模が時々、松緒の様子を覗き込みにやってくるが、次から次へとやってくる見舞客の相手に困り果てているようだ。

 後宮というものは噂が広まるのも早かった。

 熱も下がった夕方ごろには、かぐや姫の体調を心配した貴族たちからお見舞いメール……もとい文が届く。適当に処理しておきますね、と相模が言っていた。

 松緒は、見舞いの文のうち、一部には返事を書いた。例の、対面しなければならなかった四人の男たち宛てである。

 邸内の中でも、松緒が一番、かぐや姫の筆跡を真似るのが巧かったので、そこはつつがなく終わった。

 だが問題は、その後にやってきたのだ。

 「娘」が体調不良だと聞いた桃園大納言は夕方遅くにやってきて、「気が抜けている」と叱咤した。そして。


「明日は帝とお会いするのだ。おまえの体調をとても気にされている」

「ですが……」

「構わぬだろう。いつも断ってばかりでもよくない」

「はい……」


 桃園大納言は松緒をひと睨みしてから去っていく。


 翌日。帝がぞろぞろ人を引き連れながらやってきた。

 この国でもっとも高貴な方ともなると、どこへ行くにも侍従などがついてくる。前回の対面の際にも、人の気配が多すぎて気が気でなかった。彼らはみな、かぐや姫を見たくて興味津々だっただろうから。

 今日も前回と同じになるだろうと構えていたのだが、ほかならない帝自身の声が響く。


「みなここで下がるように」


 人の気配はかぐや姫のいる御簾の前からあっという間に去り、ひとりのみ残った。


「どうだろう。そなたも腹を割って話さぬか。二人きりならば話せることもあろう」


 ふくよかな声が響く。

 松緒は相模と顔を見合わせた。

 

――拒めそうにない。


「……承知いたしました」


 帝の仰せには本来何も言えるはずがない。むしろ、今までがおかしかったのだ。

 意を決して松緒が頷くと、相模も別の戸から退がった。

 面を隠すための扇を持つ手に、じっとりと汗がにじむ。


「初めて、声を聞いたな。良き声だな」

「もったいないお言葉にて……」

「身体はもう大事ないか」

「はい。おかげさまですっかり調子も戻りまして……」


 松緒はいつ、目の前の御簾を帝が踏み越えてくるのか気が気でなかった。御簾から透ける座り姿からは、そんな無体はしないような気もするが、それは松緒が世間知らずだからかもしれない。


「近ごろ、尚侍ないしのかみのことで須磨に、教えを乞うておるとか。感心しておる」

「いえ……」


 言葉を濁しかけた松緒だが。


「わたくしは与えられた役割をまっとうしたく思っております。須磨さまからは厳しくも温かくご指導いただいております」


 そう付け加える。


「そうか。それはよきことだ。須磨から学ぶことも多かろう。あれは物事に対して公平だ。そなたが励んでおれば、そなたを認める時も来る」

「ありがたきお言葉でございます。今後も努めて参ります」


 ――主上おかみはいい人そう。


 噂に疎かった松緒は今の帝のことをあまり知らない。だが今話している分には、悪い印象を持たなかった。さすが乙女ゲームのメインヒーロー枠、現実的に考えれば、かぐや姫のお相手としてこれ以上ない相手ではないか。

 そう思ったが。

 

「ところでな、実は今朝、珍しきものを見つけたのだ」


 御簾向こうで何やらごそごそと袖のあたりを探る帝。

 やがて手ぬぐいの上に載せられたモノが、御簾の下からすっと差し出される。


「蝉の抜け殻……ですか」

「きれいだろう」


 綺麗に形が残った、蝉の抜け殻。

 今は、春である。蝉の抜け殻が落ちているのはたしかに珍しい。

 絹の手ぬぐいを片手で持ち上げて眺めていると、どうだろう、すごいだろう、と言いたげな雰囲気が正面から漂ってくる。


 ――これは、試されている……?


 ゲームでの帝は「天然入った自由人」。しかし、蝉の抜け殻を自慢してくるとは松緒の予想を超えていた。ちょっとぼけたやりとりになるだけだと思っていたが、蝉の抜け殻を女に見せて自慢してくるのは「天然」通り越した「変な人」である。

 今の帝には妃がいないため、女性の扱いには不慣れなのかもしれない。そう自分を納得させた松緒は、おそるおそる口を開いた。


「たしかに、色艶はよろしいかもしれませんね……」

「だろうだろう。そなたにやろう。これを見つけた時、そなたにこの話をしたくてたまらなくなったのだ」


 自分の宝物を飼い主に差し出す忠犬は、このような感じではなかったか。

 桃園第では翁丸おきなまるという名の犬を飼っていて、松緒もよく世話していたが、ちょうど翁丸も同じことをしていた。木の枝とか。


主上おかみ、恐れ入りますが……」


 松緒は、勝手ながら帝が心配になった。


「わたくしが虫嫌いでしたら、ここで悲鳴をあげて、この抜け殻は放り投げておりました……。ご自身で気に入ったものを分け与えることは、帝王として素晴らしい心構えかと存じますが、相手によっては伝わらないこともございますが……」


 すると、帝は「そうか」と素直に頷いた。


「そなたは虫が好きか?」

「特に何とも思っておりません」


 かぐやも松緒も、虫に対して過剰に嫌悪する性質ではなかったのでそう答える。


「ですが、今回の主上おかみのお心遣いにはわたくしにもよく伝わりました。蝉の抜け殻も、室の中に飾っておきましょう」

「うむ……!」

「もし、次に女人に贈り物をされる際には、女人が好みそうなものを用意されるとよろしいかもしれません」

「花や歌か?」

「一般的にはそうですね」

「だが特別感がないぞ。ありきたりすぎる」


 その言葉を聞いて、松緒ははっとして蝉の抜け殻を見下ろした。

 人によっては投げ捨ててしまうだろう蝉の抜け殻でも、帝は帝なりの論理で懸命に考えた贈り物だったのかもしれない。……蝉の抜け殻だけど。


「……趣向を凝らさずとも、相手のためを思って一生懸命考えたのであれば、その心は伝わりますし、うれしいと思うものでございます」

「そなたはうれしいと思ったか?」

「はい」


 ややあって、帝はその場を立ち上がった。


「贈り物ひとつでも難しいものだな……。あまり深く考えたことがなかった」

「いいえ、わたくしも差し出がましいことを。申し訳ありません」

「よい。今日のところは出直そう」


 踵を返しかけた帝が、ふと振り返る。


「ところでそなたは……」

「はい」

「ちぎりたての蜥蜴とかげの尻尾は、好きか」

「特に何とも思っておりません」


 松緒は、肩を落として帰っていく帝を見送った。

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