第4話
やがて斎藤の部屋にたどり着いた二人は赤インク作戦を決行した。そして案の定、上手くいかなかった。普通に花びらを漬けたら水分を弾いてしまい、無理に塗り付けたら濃淡様々な桃色のムラが出来る。失敗した造花のようだ。
「空が白んできましたね」
「そうですね」
ハナはどんどん美しさから遠ざかっている花束を見る。せっかく美しい純白だったのに。人間の都合で好きに弄られてゆく花を見て、どうにも申し訳なくなってきた。
一方の斎藤は顎に手を当てて考え込んでいる。
「インクがだめなら、赤いもの……梅干し、七味、トマト」
「あの、真面目にやってくださいって」
ハナの訴えに答えず、斎藤はブツブツと呟きをやめない。
やがてハナは理解した。この斎藤という男は、これで十分真面目に頑張っているのだ。他でもない自分のために。
「もういいです、斎藤さん」
「ちょっと待ってください。今、他の手段を」
「無理ですって」
ハナは静かに言った。なぜだかとても冷たい声が出たという。
「ねえ斎藤さん。物語の人々は薔薇を染めた後、どうなったのですか」
答えは返ってこなかった。それでも人々がどうなったかはハナにも分かっていた。
「もう十分です。朝になったらお嬢様に謝って、この家を出て行きます」
「それで、どうするんですか」
「なんとかして次のお仕事を探します」
「そんな!」
斎藤がハナの肩に手を置き、力強く言った。
「僕が代わりの花を探してきますから、諦めないで」
「無理ですよ」
「じゃあ僕も一緒に謝りますから」
「だから無理なんです!」
ハナの手が斎藤の頬を叩いた。大した力ではなかっただろうが、斎藤は一歩よろけて頬を抑えた。
「お嬢様がなぜあの赤薔薇にこだわっているか、どうしてお分かりにならないんです!」
「なぜ、って」
「あなたが好きだと言った薔薇だからです!」
斎藤の目が大きく開かれ、それが余計にハナの感情を揺さぶった。
「お嬢様は斎藤さんが好きなのです、だから優しくされている女中たちに冷たくなさるのです! 女中たちはそんな嫌がらせの矛先をいつも私に押し付けるのです、あなたがよく私の仕事を手伝おうとするから! そこにまたあなたが私の味方をしようと言うのですか」
「それは」
「旦那様はお嬢様の気持ちを知っていて、だから将来のため、あなたにお仕事を手伝わせているんです!」
ため込んだものが爆発したように、ハナは一気に言葉を吐き出した。もう何に怒っているのかも明確でないままに言いつのっていた。
「あなたは勉強も仕事もお出来になるのでしょう。なのになぜ、人の心が分からないのですか!」
「そう言われても、困ります」
「何ですか、困るって」
「僕はあなたが好きなんです」
ハナは一度口を閉じて、目を逸らした。
「困ります」
それから走って逃げだした。
*****
「え、急にマジでドラマみたい」
彼が食べ終わった包み紙を畳みながら言った。口の周りにだらしなく饅頭の餡が付いている。
「でしょ」
ティッシュの箱を渡して、私はよっこらせと立ち上がる。
「さて、そろそろ店の掃除しないと」
「えっ、続きは」
「聞きたい?」
彼が頷いたので、私はニヤリと笑ってやった。
「じゃあ手伝って」
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