第2話

 祖母は名をハナといい、若いころに大きなお屋敷の女中をしていたそうだ。部屋の掃除や、屋敷家族の身の回りの世話をするのが主な仕事だったらしい。

 そのハナがあるとき、お嬢様の部屋に飾る花の発注を頼まれた。

「薔薇の花よ。間違えないでね」

先輩にそう言われ、ハナはいつもの花卉業者に発注した。そして届いたのが美しい純白の白薔薇だった。

 夕方になって帰宅したお嬢様は、花瓶に生けられた白を見て激怒した。

「どうして白薔薇があるの!」

「薔薇の花と言われましたので……」

「薔薇といえば赤に決まっているじゃない」

はっきりと指示をしなかった先輩は、味方になってはくれなかった。

「お嬢様のお部屋を見るのは、初めてではないでしょう。なぜ分からないの」

「そんな!」

お嬢様は冷たく言った。

「明日までに赤い薔薇を用意なさい。できなければ出て行くのね」


 ハナにできることは、真っ白な薔薇を抱えて泣くことだけだった。現代のようにネットで注文なんて時代ではない。それにこの花は当時希少な品種で、どこでも手に入るわけではなかった。仮に花屋を走り回って代わりを見つけても、こんなに高級な品種を買う金など持っていない。

 もう荷物をまとめようと立ち上がった時、後ろから声がかかった。

「どうしたんですか」

若い男が立っていた。

「斎藤さん。いえ、なんでも」

「何でもない訳ないでしょう」

斎藤は花束と女中の泣き顔を交互に見る。

 彼は離れの部屋を間借りしている下宿人だった。屋敷家族の遠縁にあたるとかで、下宿人といっても実際には書生みたいなものだったという。人当たりが良く優しいので女中たちの間でも妙な人気があり、ハナの仕事もよく手伝おうとしてくれる紳士。言うまでもなく、この斎藤という男が後の祖父である。


 ハナは事情を説明した。

「なるほど。お嬢様はあの赤薔薇しか飾りませんからねぇ」

「このお家を追い出されたら、他に働く所なんて見つかるかどうか」

失敗して追い出された女中など、雇ってくれる家はあるだろうか。

「大丈夫。僕が何とかします」

斎藤は何か考えた後、ハナを連れて台所に忍び込んだ。

「確かこの辺に、っと」

戸棚を漁って取り出したのは食紅の小瓶。斎藤は食紅を水に溶き、花瓶に入れて薔薇を差した。

「あの、これは?」

訳の分からないハナが訊く。

「花は水を吸い上げるでしょう。赤い水を与えれば、その色も吸い上げて花びらを染めるのですよ」

「へえ」

さすが学のある人だとハナは感心したそうだ。

「実は、僕の実家は花屋なんです。勉強して出世しようと、こちらに厄介になっているわけですが」

「それでお花にお詳しいんですね」

「詳しいかどうかは分かりませんが、僕は花が好きですよ。人を幸せにするものだと父が言っていましたし、存在するだけで場が和んだり、人が優しくなれたりすると僕も思います」

斎藤はなぜか照れたようにそう言った。


*****


 そこまで話して、私は音を立てて煎餅をかじった。思ったより硬くて涙目になる。

「それでばあさん、クビにならなかったのか。じいさんカッコいいな」

彼が感心したように言うが、残念ながらそこで話は終らないのだ。

「それがねぇ」

私は手で煎餅を割りながら話を続ける。

「花を染める実験したことある?」

「いや、自分では無い」

やってみると分かるのだが、花って期待通りには染まらないのだ。特に薔薇など難しい。ちょっと赤っぽくはなっても深紅には程遠く、私が実験した時なんか、葉脈の部分だけ赤く目立つという少々不気味な仕上がりになった。

「え、何、失敗したの? じゃあどうしたのさ」

食いついてきた彼に、私は続きを話し始める。

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