第39話 連携
バシャァァン! という水音がして、体を大きく震わせる。
慌てて下を見て――ほっと息を吐いた。
屋上から落下したアンジェラは、巨大な球状の水に包まれ、空中に浮かんでいた。
それがゆっくりと降りていく。
地面についたところで水球が割れ、ずぶ濡れのアンジェラが激しく咳き込んだ。
人だかりが割れ、傍らに巨大な狼を従えた赤い髪の男性が彼女に近づく。
アイザックお兄様。
お兄様は私を見上げると、狼に何事かを囁いた。狼が、空中を駆けて私の元へとやって来る。
青みがかった毛並みが美しい、お兄様の水の星獣・アクア。
「迎えが来たようだね。私は階段から降りて鍵もかけていくから、君は遠慮なく行くといい」
「ありがとうございました。お礼は改めてさせていただきます」
殿下に頭を下げ、アクアに腰掛ける。スノウはすうっと姿を消した。きっと精霊界で休むのね。
私に負担をかけないよう、ゆっくりと降りるアクア。
私が地上に降り立つと、水を打ったように静まり返っていた周囲がざわめきだした。
アンジェラは、座り込んでうつむいたまま。
「いったい何が起こったんだ?」
「あの方はローゼリア嬢のお兄様よね?」
「わ、わたくし、ローゼリア嬢がアンジェラ嬢を突き落としたのを見ましたわ……!」
その言葉に、ざわめきが大きくなった。
「たしかに私も見ました!」
「でもあの水の球は星獣の力だろ? なんでローゼリア嬢が突き落として、その兄君がアンジェラ嬢を助けるんだ?」
お兄様はそんな声に動揺することもなく、ただ一点、アンジェラに視線を注いでいる。
私はどうしたものかと考えていると。
「待ってください。ローゼリア嬢がアンジェラ嬢を突き落とすところを、本当にはっきりと見ましたか?」
そう言って一歩前に出たのは、シェリル嬢。
「本当に見たと自信をもって言えますか? ここから屋上まで距離がありますけれど」
ざわめきが、ささやき声に変わる。
「それは……そう見えたというだけで……」
「なら、事実のように言わないでください。軽々しく口にしていいことではありません」
シェリル嬢のその言葉に、鼻の奥がつんとする。
誰にもかばってもらえなかった、信じてもらえなかった卒業記念パーティー。
あの時は突き落とし犯と決めつけられたのに、今はこうして私をかばってくれる人がいる。
それがうれしくて、泣きそうになってしまった。
そんな私を見て、アイザックお兄様がふっと優しく笑う。そして座り込んだままのアンジェラに視線を移した。
「精霊省副長官アイザック・ルビーノです。精霊省で登録されていない星獣――闇の星獣の違法使用の疑いがあなたにかけられています。異論や弁明はありますか?」
「……ございません」
ざわめきが、また大きくなる。
「馬車を手配していますので、ご同行願います」
「……はい」
アンジェラはおとなしくお兄様に連れられ、校門のほうへと歩いていく。
拘束はされていないけれど、闇の星獣のいないアンジェラがお兄様に敵うはずもない。アクアが彼女の後ろをのしのし歩いているし、問題ないでしょう。
それにしても、お兄様。
アンジェラをあのまま屋上に引き上げることもできたのに、あえてここに降ろしたのね。衆目にさらすために。
冷静に見えても、
お兄様とアンジェラが校門の向こうに消えてから、私はシェリル嬢に視線を移した。
「シェリル嬢。私をかばってくれてありがとうございます」
「当然のことをしたまでです」
そう言ってくれる人がいることが、本当にありがたい。
「皆さん、思うところはあるかと思いますが、今は詳しいことを説明することができません。詳細は後日知らされることになるかと思いますので、それまでお待ちください」
私が人だかりに向けて頭を下げる。
「シェリル嬢、いったんこれで失礼します。まだやることが残っているのです」
「はい。遠慮なさらず行ってきてください」
私はうなずくと、校舎の裏側……屋上への出入り口があるほうへと歩き出した。
――精霊之書を読んだあの日。
私は、家族にすべてを打ち明けた。
回帰前のこと。回帰した経緯。精霊之書の隠されていた部分。アンジェラの状態。
お兄様は「リアムには感謝してもしきれないな」と言い、お母様は泣いていた。お父様はずっと黙っていた。
そしてアンジェラのことを相談し、作戦を立てた。
近々何かを仕掛けてくることは予想できたので、お父様とお兄様の星獣にも協力してもらうことにした。
まず、学園にいる間はお父様の
星獣は精霊界を通れば人間界のどの場所にも一瞬で行けるけれど、それはあくまで契約者の元にだけ。
ティトが戻ってきたのを見たお父様は、同じ方法でお兄様の
お兄様はそれを受け、いざという時の私のサポートおよびアンジェラ捕縛のため、精霊省からアクアに乗って学園までやって来た。
家族ならではの連携ね。
お父様も、今頃は騎士団が出動できるよう準備を整えているはず。
精霊省での取り調べでアンジェラから証言が得られれば、お兄様からお父様に連絡し、お父様がルビーノ当主としてガーネット家に乗り込む手筈になっている。
お父様とお兄様なら、あとはうまくやってくれるはず。
そんなことを考えながら校舎の裏に回ると、四人の男性がそこにいた。
息を乱し汗をかいているリアムと、気まずそうな顔をしたデリック、ちょうど屋上へとつながる扉から出てきた殿下、そして拘束の魔道具で後ろ手に縛られ呆然と座り込んでいるオリヴァー。彼の傍には折れた木剣が転がっている。
「終わったか? ローゼリア」
「ええ」
「アンジェラに何をした、彼女は無事なのか!? なぜ殿下が屋上から……なぜ……何が起こって……」
殿下がオリヴァーの前に立つ。
「オリヴァー。アンジェラ嬢は罪を犯し、私はそれを間近で目撃した。彼女は精霊省に連行されたよ」
「……っ!」
殿下は、オリヴァーやほかの生徒が屋上に上がろうとするのを止めるようデリックに命じると仰っていた。
といってもデリックがオリヴァーを力ずくで止めるのは絶対に無理なので、オリヴァーが殿下の命と聞いてなお屋上に上がろうとする場合は、リアムが止めてくれることになっていた。
この様子だと戦ったらしい。リアムの頬にも擦り傷ができている。
「ごめんね、リアム。危険な役目を頼んでしまって」
「これくらい余裕だよ」
リアムが皮肉っぽい笑みを浮かべると、オリヴァーが歯噛みした。
「屋上に来るなという私の命令も聞けないほど頭に血が上っているようだから、これ以上詳しいことを今話すつもりはない。ひとまず家に帰れ。間違ってもローゼリア嬢を恨むなよ。彼女は被害者で、アンジェラ嬢は加害者だ」
「……」
殿下にそう言われてもオリヴァーは言葉を発することなく、うなだれたまま。
「僕が送る。行こうオリヴァー」
デリックがオリヴァーを立たせる。
オリヴァーは素直に従った。
デリックも戸惑っているらしく、一度ちらりと殿下に視線をやったけれど、何も言わずにオリヴァーとともに去っていった。
「さて、私も精霊省へ行ってくるよ。私の証言があったほうが取り調べもスムーズに進むだろう」
「何から何までありがとうございます」
「気にしなくていいよ。ここまでの事態となると、君たちだけの問題ではないから。じゃあこれで」
私に笑みを向け、殿下が去っていく。
「……俺たちも帰ろう、ローゼリア。君も精霊省に行かなければいけないだろう。いったん帰って公爵の指示を仰いだほうがいい」
「ええ、そうね」
そう言って踵を返したとき、急に眩暈がして倒れそうになる。
力強い腕が、私を支えた。
「大丈夫か!?」
「ええ、心配ないわ。少し魔力を使いすぎたのと、気が緩んだだけ……」
「……帰って休んだほうがいいな。送る」
「ありがとう……」
リアムに支えられながら馬車に乗り込む。
彼は私の隣に座り、「俺にもたれかかって」と言った。
お言葉に甘えて彼にもたれると、リアムが支えるように私の肩を抱く。
疲れすぎていたからなのか、気恥ずかしさよりも彼に包まれているような安心感が上回り、私はそのまま眠りの世界に落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます