第38話 彼女の誤算
「このままあなたを自殺に見せかけて屋上から落とすこともできるのよ。でも、そんなことをしても無意味なのよね」
足が勝手に動き、強制的にアンジェラに向かって歩かされる。
足元を見ると、私の影から黒いもやが伸びていて、それが私の足首に巻きついていた。
「……私が星獣の契約者になれていたら。星獣の力なら、この忌々しい闇の星獣も抑えられたのかもしれないのに。ましてや光の星獣だったなんて。そんなわずかな希望すら、あなたは生まれ持った才能だけであっさりと私から奪っていくのね」
私がいつ奪ったというのよ。
「星獣と契約するために闇の星獣の痕跡を消すのに苦労したのよ? まだギリギリ孵化していなかった卵を体から取り出して、闇の残滓を全部他の精霊術師に押しつけて。それなのにあなたがあっさり光の星獣の卵を手にした。私は勝手に戻ってきた闇の卵が体に馴染むまで一週間も苦しんだというのに」
前回は、そうやってアンジェラが光の星獣と契約したのね。
その時の私はおそらく闇の残滓にまみれていて、スノウが私の存在に気づかなかったのか、もしくは闇の匂いを嫌ったか。
そんなことを考えているうちに、アンジェラのすぐ近くまで歩かされていた。
「こんなのはどう? 私は父親に闇の卵を植えつけられた、かわいそうな女の子。それは事実ね。あなたは、歪んだ正義感が暴走して私ごと闇の星獣を葬ろうとする傲慢な女。私が重傷を負えばその衝撃で闇の星獣が卵に戻る可能性もあるから、一石二鳥ね」
アンジェラがゆっくりと下がり始める。
そして、そのまま屋上の手すり付近まで下がったところで突然「や、やめて!」と叫びだす。
「お願い、やめて!」
なおも叫ぶアンジェラ。
下が少し騒がしくなる。
なるほど。放課後で外に人が多い中、皆の前で屋上から落ちるつもりなのね。
私に突き落とされたという
またそれ? どれだけ私を突き落とし犯にしたいのよ。
しかも手すりが腰あたりまでしかないのがいやらしい。手すりに蔦を巻きつけてオシャレな感じにする前に、安全性を重視した高さにしておいてよ……。
「あなたが私を突き落とすあたりで、オリヴァーか誰かが駆けつけてくるでしょうね。そうじゃなくても、下にいる人たちが証人になってくれるわ」
さらにアンジェラに向かって歩かされる。
もう少し彼女に近づけば、下から私の赤い髪が見えるだろう。
手が、私の意に反して持ち上がった。
アンジェラまであと数歩――。
『ニャーッ!』
私の背後、何もないはずの空間から白い猫が現れ、私とアンジェラの間に素早く入る。
そして黒いもやを噛みちぎった。
「!? 星……獣!? そんなバカな!」
スノウのおかげで、体と声の自由が戻る。
私は安堵の息を吐いた。
「ありがとうスノウ」
『ニャッ』
「なん、で……。名を呼ばなければ召喚できないはずじゃ……。それに……」
アンジェラが青ざめた顔で私の背後を見る。
そこに立っていたのは、まばゆい金の髪を風になびかせている、レイノルド第二王子殿下。
「やあ、アンジェラ嬢。なかなか面白いものを見せてもらったよ」
殿下が喉の奥で笑う。
その目には、明らかに侮蔑の色が宿っていた。
「ずっと怪しいとは思っていたけど、こんな感じでローゼリア嬢のことを貶めていたんだね」
「なぜ、殿下がここに……いつの間に……いつから……」
「いつからって、最初からだよ。君が屋上に来る前からここにいた」
アンジェラが動揺している。
それはそうよね。
「ねえ、アンジェラ。やっぱりあなたは闇の残滓の影響で判断力が鈍っているわね」
「なんですって……?」
「私が何の対策もなくのこのこ一人で来るわけがないでしょう。あなたが休んでいる間、いろいろと準備をしておいたのよ」
アンジェラの様子から、孵化が近いことはわかっていた。
そして孵化すればひと月ともたないということを考えれば、近々なんらかの動きを見せるのも予想できた。
だから、事前にある程度の事情を殿下に話し、いざというときの協力を依頼した。
殿下を巻き込むのは躊躇われたけど、もうそんなことを言っている場合じゃないから。
意外にも、殿下は快く引き受けてくださった。「学園の平和を守るのが生徒会長の役目だからね」と。あとは「面白そうだし」とも言っていた。面白そうって。
そしてアンジェラから呼び出しがあったので、彼女がいなくなった隙にリアムにそのことを伝え、リアムが殿下にすぐに知らせてくれた。
殿下は、アンジェラに解錠を依頼された副会長に時間稼ぎを厳命し、その間に毎日こっそり私と一緒に学園に来ていたスノウとともに、自らの鍵を使って屋上へ。
スノウは私の言うことしか聞かないので、私が殿下に託した。
そして殿下はスノウを抱いて、アンジェラと私が来るのをここで待っていた。
決定的瞬間の目撃者となるために。
「だって……屋上には誰もいなかったわよ!? あなたが来る前に、ちゃんと見て回ったんだから!」
「光の星獣の力よ、アンジェラ。光の屈折が……なんだったかしら。とにかく、姿が見えないようにできるの」
その力を使って、スノウは毎日学園の中庭で私の授業が終わるのを待っていた。単に離れたがらないからなんだけど。
そうじゃなくても、アンジェラに会いに行く前に呼び出せば済む話。
そこに思い至らないところが、判断力が鈍っている証拠だと思う。
さすがに殿下がここにいるのは予想外だったでしょうけれど。
「そんな……」
「私が闇の星獣の卵の話を知っていた時点で、あなたは計画を中止すべきだったのよ。迂闊だったわね」
そう言うと、アンジェラが今までで一番のすさまじいぐぬぬ顔を見せる。
いち生徒でも私の婚約者候補リアムでもない、生徒会長であり王子である殿下に目撃されたんだもの。
もう誤魔化しようがない。
しばらくぐぬぬ顔をしていたアンジェラは、やがてがくりとうなだれた。
「ふふ……うふふ。もう、終わりねローズ」
アンジェラの足元の影が、ズズ……と動く。
彼女の瞳は、また闇色に染まっていた。
「!」
「生まれながらすべてを持っているあなたが嫌いだったわ、ローズ。私が唯一惹かれた人ですら、当たり前のように手に入れるあなたが。なんで同じ人間なのに、生まれだけでこんなに差があるのよ」
「……」
「あなたより愛される人間でいたかった。愛されて育った人間特有の真っ直ぐなその心を黒く染めて、絶望を味わわせてやりたかった」
「……アンジェラ」
彼女の影から、紐状の黒いモノが何本も飛び出し、うねうねと不気味にうごめく。
「でももう、何もいらないわ。父親も、何をしても私に興味すら持ってくれない男も、役に立たない取り巻きも、上辺だけの友達も。そして――あなたも。私はもういろんな意味で終わりだから、ガーネット子爵もろとも滅びてやるわ。そのためには」
黒いモノが鞭のようにしなり、私を襲う。
スノウがそれを手で払った。
背後の殿下が私の傍に来る。
「君を巻き添えに滅びて子爵家も取り潰させるつもりのようだけど。助力は必要?」
「少々お待ちを」
私は精霊に働きかけ、手すりに巻きついていた蔦でアンジェラを幾重にも縛る。
「こんなもの効かないわ」
蔦が黒に侵食され、ボロボロと消し炭のように落ちる。
その時間稼ぎの間に、私はスノウに大量の魔力を渡した。
スノウはむくむくと大きくなり、
そして黒いモノを払いながらアンジェラに飛び掛かり、その手に牙が食い込むほどの力で噛みついた。
「! い、痛っ! 放してよ……っ!」
黒い槍がスノウを襲うより早く、スノウの体がまばゆく光る。
「っああぁっ!」
アンジェラがびくびくと体を痙攣させる。
おそらく、傷口から光属性の力を体内に流し込まれたのだと思う。
やがてアンジェラの口からとても小さなヘビのようなものが飛び出し……それをスノウがぱくりと食べた。
「うっ」
なんとも言えない光景に、思わず声が漏れる。
けれど、精霊之書に「光は闇を取り込んで消滅させる」とあるから、これが正しい方法のはず。
「う……ぅ」
アンジェラがうめいて、よろよろと後ろに下がる。
彼女の背後には低い手すり。
アンジェラの体が後ろに大きく傾いて、手すりから落ちそうになる。
私はあわてて駆け寄って手を伸ばし――その手を、アンジェラに払われた。
下から聞こえる、複数の悲鳴。
彼女が笑っていた……気がした。
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