第35話 精霊之書


『すべての生命は、はじまりの存在である光の大精霊が造り上げたと言われている。

 それゆえ、本来人間は光と正反対である闇の星獣と契約することはできない』


 え、そうなの?


『だが、人間は進化の過程で精神に光と闇を抱くようになった。

 それゆえ、闇の力を一部行使することができる。

 ただし、そのためには契約の代わりに闇の星獣を体に取り込まねばならない。

 最初は自らの意思で闇の力を行使できても、やがて星獣に体を乗っ取られる。

 デメリットがメリットを大幅に上回るゆえ、闇の星獣の卵は見つけ次第封印すべきであろう』


 体に……取り込む? どういうことだろう。

 次の行からは、筆跡が変わっていた。

 別の人が書き足したのだと思う。


『闇の星獣は異質である。

 数代前に、恐ろしい使用法が発見された。

 孵化する前の卵を体内に“飼う”ことで、周囲の人間の精神に影響を及ぼすことができるのだ』


 体内に飼う!?


『その一つに、自らに好意を抱く者のその好感度を押し上げるという作用がある』


 その言葉に、心臓が大きく跳ねる。


『本来数値で表せるものではないが、上限を百として、卵の飼い主への好意が十の人間がいたとする。

 卵を飼っていれば、好意は十二程度になる。

 それだけなら、効果はほぼないと言えよう。

 だが、相手の好意が強くなるほど、その効果は大きくなっていくのだ。

 二十なら三十、五十なら七十、八十なら百二十……。

 そう、好意が強くなれば、本来の上限である百さえ超えてしまうのだ』


 この状態、心当たりがある。

 ――アンジェラ。


『百を超えればどうなるか?

 尋常ならざる好意を抱けば、正常な判断力を欠き、その好意を抱く相手の障害となる事象や人物を自ら排除しようとする。

 そして本来の好意が上限、つまり百まで達すれば、おそらく押し上げられた好意は二百程度となる。

 そうなれば、その者はもはや元には戻れない。

 どんな扱いをされようと、卵の飼い主の言うことだけを聞く忠犬の出来上がりである』


 デリックとオリヴァー。

 特にオリヴァー。

 なぜあそこまでアンジェラに夢中だったのか、リアムも不思議がっていた。

 スノウがヒントをくれた通り……闇の星獣の卵をアンジェラが飼っていたからなの!?


『だが、強大な力に代償はつきもの。

 ある意味闇の精霊術を常に使っている状態なので、おりが非常に溜まりやすい』


 澱……精霊術の残滓ざんしね。


『通常、精霊術の澱は体に溜まる。

 だが、闇の星獣は精神を操る術ゆえに、その澱もまた精神に溜まるのだ。

 最初に、判断力の低下が起こる。

 次第に慢性的な苛立ちに支配され、気力の低下なども起こる』


 本を持つ手が震える。スノウが心配そうにニャーンと鳴いた。

 この症状にも……心当たりがある。

 回帰前の私。そして最近の精霊術師たち。


『それも過ぎれば、卵を飼う利点とは真逆の現象が起こる。

 周囲の人間に嫌われやすくなるのだ。

 相手からの本来の嫌悪感が二十とすれば三十に、五十なら七十、八十なら百二十……』


 人に嫌われやすくなる。

 アンジェラが私を嫌われるよう仕向けていて、私自身の失態もあった。

 それでも、あんなにも嫌われていたのは。オリヴァーたちにいたっては、憎しみにも似た感情を抱かれていたのは。

 これのせい、だったの?

 卒業記念パーティーでは、私への嫌悪感が一気に高まったことで、オリヴァーたちは我を忘れて私を攻撃した……ということ?

 でも。アンジェラが卵を飼っていたとして、なぜ残滓に伴う症状がアンジェラではなく私や周囲に表れているの!?

 まさか。

 方法はわからないけれど、精霊術の残滓を……私や他の精霊術師に押しつけていた?


『人に愛されやすくはなるが、同時に人に嫌われやすくもなる。

 これらのことから、闇の星獣を飼うのは非常に危険であると言える。

 それ以上に危険なのが、孵化である。

 一度体内に飼った卵は、たとえ取り出したとしても一日と経たずに勝手に体内に戻る。

 そして、欲望や負の感情、つまり心に闇を抱けば抱くほど、また澱が溜まれば溜まるほど孵化しやすくなってしまう。

 孵化すれば、体内に飼っている闇の星獣の能力を使うことはできる。

 だが光より造られし人間の体に目覚めた闇の力は毒にしかならず、ひと月と経たないうちに――死に至る』


 バサッという音がして、自分が本を取り落としたのだと気づく。

 でも、まだ続きがあったから、最後まで読まなくちゃ……。


『これまで闇の星獣を取り込んだ者は数名いるが、いずれも非業の死を遂げている。

 不自然なまでに愛されたがゆえに妬まれ殺された者、澱による憎しみで殺された者。

 そして体内で星獣が孵化して死んだ者。

 願わくは、いっときの愛や権力を求め闇の星獣の卵を取り込む者が二度と現れぬよう。

 のちの当主たちよ、もし闇の星獣の卵を見つけた場合は、速やかに封印せよ』


 文章はそこで終わっていた。

 どこか悲痛さを感じさせる文章。

 もしかして、身近な人が闇の星獣を取り込んで亡くなったりしたのだろうか。

 ……亡くなった。アンジェラもそうなるの?

 前回は少なくとも卒業記念パーティーまでは無事だったけれど、心に闇を抱くほど孵化しやすいなら、今回は……。

 また、スノウが心配そうにニャーンと鳴いた。


 どこにショックを受けているのか自分でもよくわからないまま、鍵を返しに執務室へと行く。


「どうした、ローゼリア。顔が真っ青だぞ!?」


 執務室に入るなり、お父様が驚いた顔で言う。

 心の中がぐちゃぐちゃで、同時にお父様の声に気が緩んで、涙がこぼれ落ちた。


「ローゼリア!?」


 お父様が私に駆け寄り、肩に手を置く。

 顔を上げると、心配そうな顔。

 涙が、止まらなかった。

 アンジェラが不自然なまでに好かれていた理由。

 私が必要以上に嫌われていた理由。

 それがわかっただけなら、こんなにも動揺しなかったのかもしれない。

 これから、どうなるの。闇の星獣が孵化してアンジェラが死ねば、私の復讐は果たされたということになるの?


「大丈夫か、ローゼリア。何か良くないことが書かれていたのか?」


「……お父様」


「うん、なんだ?」


「……お父様、私は――」

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