第34話 黒い肉球
写生の授業の遅れを取り戻すべく自室で絵を描き始めると、スノウがすかさず膝にのってきた。
温かくてかわいいのだけど……動けない。
「スノウ、ちょっとベッドで休んでいてくれない? 私、絵を描かなければならないのよ」
『ニャ』
短くそう鳴くけれど、私の膝の上から下りる気配はない。
すっごく見てくるし……。
視線を下にやると、頭をあごにすりすりしてきた。
「しょうがないわね」
あきらめて膝にのせたまま絵を描くけれど、今度はキャンバスをつんつんとつつく。
「ああっ、それだけはやめて。ほら、これをあげるから、ねっ?」
脇に置いたテーブルの上の厚紙を指すと、スノウがテーブルの上にぴょんと飛び乗る。
ひとまずほっとして、描くのを再開した。
ものすごく視線を感じて、あまり集中できないのだけど……。
「ねえ、スノウ。私を選んで正解だった?」
『ニャーン』
うん、と言っている気がする。なんとなく。
「アンジェラを選んだ前回との違いは、なんだったのかしら……」
半分独り言でそう言ったのだけど。
『ンー……』
困ったような声。
スノウを見ると、やはり困ったような顔をしていた。
「……まさか。スノウは星獣で特別だから、前回の記憶があったり……しないわよね?」
『ニャッ』
「……あるの?」
『ニャッ』
何かを訴えかけるような表情で鳴く。
まさか本当に記憶がある?
「もし、あるとしたら。前回私を選ばなかった理由は何? ……って言っても、スノウはお話できないわね……」
パレットと筆をテーブルに置くと、スノウはすかさずパレットの絵の具の上に手を置いた。
「ああっ、ちょっと! よりにもよって黒!」
捕まえようとした私の手をぬるりと避け、テーブルの厚紙の上にベタベタと手についた黒を塗っていく。
黒い肉球がいくつも集まり、紙の中央付近は真っ黒に塗られた。
『ニャーンニャーンニャオニャーン』
何かを訴えるような声。
「……もしかして、この黒。何か意味があるの?」
『ニャーン』
とはいえ、部屋中に黒い肉球の跡をつけられてはたまらないので、ひとまずスノウの手を拭く。
「絵……には見えないけれど。一体なんの意味があるのかしら。黒い肉球の塊。黒に塗りつぶされた……。黒……闇?」
『ニャッ』
「闇……なの?」
闇?
まさか。
私はスノウを抱きかかえ、絵を持ってお父様の執務室へと向かった。
「ローゼリア。執務室に来るとはめずらしいな」
仕事中だったらしいお父様は、書類を机の端に置いた。
執事が気をきかせて出ていく。
「……お父様。闇の精霊は、本当に人間界から去ったのですか?」
「うん? どうした突然。光と闇の精霊は、間違いなくこの人間界には存在していない。精霊界の奥深くで眠っているという噂もあるが、少なくとも人間界に出てきたという話は聞いたことがない」
そんな。
スノウの絵、闇の精霊だと思ったけど、間違っていたの?
「スノウが絵を描いたんです。必死で訴えかけるから、何か意味がある気がして」
お父様に絵を見せると、お父様はうーんと首をかしげる。
「何に見えますか?」
「黒い肉球の集合体?」
「それはそうなんですけど。もしかして闇、つまり闇の精霊かと思ったのですが」
「闇……闇、か。……闇の星獣なら、出現例がある」
「!」
たしかに、光の星獣がいるのだから、闇の星獣がいてもおかしくない。
スノウがニャーンニャーンと鳴いた。
「闇の星獣とはどんな存在なのですか!?」
「……実を言うと、詳しくはわからない」
「え?」
「能力に関しては『精霊之書』に載っている。拘束、闇属性の黒い槍、影縛り、隠形といったところだ。ただ、それ以上のことは『精霊之書』の汚損によって読めなくなっている」
「汚損、というと」
「故意なのか事故なのか、インクの染みが広がっていて読めないのだ。代々のルビーノ当主が受け継ぐ『精霊之書』は破ることも燃やすこともできないが、書き足すことはできる。だからインクをこぼせば汚れて読めなくなってしまう。私が継いだときはすでにそうなっていた」
故意なの? 一体誰が。
でもお父様が当主になった時にすでにそうなっていたのなら、かなり前の話だわ。
アンジェラの件とは関係ないのかしら。
「本来はルビーノ当主から次期ルビーノ当主に精霊や星獣に関するすべての知識が口頭でも伝えられることになっているのだが……何代か前に当主と次期当主が相次いで亡くなったことがあってね。そこで途切れてしまっているんだ」
「そうだったんですね……」
「しかし、スノウは何を伝えたかったのだろうな。闇の星獣が現れたのか、これから現れるのか。……ひとまず、『精霊之書』を読んでみるか? 闇の星獣については今言った以上のことは書いていないが」
「いいんですか?」
「別に当主以外読んではいけないものではないし、書いてある内容もほとんどが世に知られている知識だ。ただ、光の星獣についても記載してあるし、何か新たな発見があるかもしれないからな。持ち出しはできないから宝物庫で読みなさい」
「ありがとうございます!」
お父様から鍵を受け取り、宝物庫へと向かう。
こうして鍵を預けてくれるのは、私への信頼の証のようでなんだかうれしかった。
宝物庫に入り、他の品には目もくれずスノウとともに書棚へと向かう。
美しい表紙の本――『精霊之書』を手に取り、ソファに座った。スノウも隣に座る。
せっかくなので、他の星獣についてのページもぱらぱらと読んだ。なるほど、お父様やお兄様の星獣はこんな能力を持っているのね。
光の星獣について記載されているページも読む。
そして、いよいよ闇の星獣。
たしかに、能力についてはお父様の言う通りのことが記載されていた。
ただ、能力以外にも記載されていたであろう部分は、やっぱりインクで真っ黒になっていて読めない。
光に透かしてみてもダメ。
「うーん、やっぱり読めないかぁ……」
本を閉じかけたその時、スノウがインクの染みが広がった部分にちょんと手をのせる。
スノウの手から本へと光が波紋状に広がっていき――黒い染みがきれいに消えて、文字だけが残った。
「わあ、スノウすごい! えらい!」
『ニャンニャーン』
「本当にありがとう! これで読むことができるわ」
再び本に視線を落とす。
文字を追うにつれ、私の鼓動が速くなっていくのを感じた。
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