第29話 努力の成果
「このドロボウ猫!」
アンジェラのドレスにぶどうジュースをかけた女子生徒が叫ぶ。
音楽がちょうど途切れたタイミングということもあって、周囲が水を打ったようにしんと静まり返った。
「よくも人の婚約者を! か弱いふりして色んな男にいい顔して、いやらしいのよ!」
彼女はイライザ嬢だったかしら。
そういえばイライザ嬢の婚約者である伯爵子息は、アンジェラの取り巻きだった気がする。
ああそうだ、オリヴァーとデリックの次の次くらいに熱心なファンだった。
それにしても。
こんなこと、前回は起こらなかった。
私の言動の変化によって私に関することが変わるのはわかるけど、私とは関係のない出来事までが変わるなんて。
「あなたのせいでエドモンドはいつもあなたの話ばかり! デートしていたって、今日はアンジェラと話したんだとかこれはアンジェラに似合いそうだとか! なぜ私たちの邪魔をするの!?」
うん、それはエドモンドが一番悪い。
彼にこそ頭からぶどうジュースをかけてやればいいのに。
アンジェラも、今までは婚約者がいる男性とは上手いことつかずはなれずを保ってきたはず。それがこんな事態になるなんて。
「お、おいよせよ」
そのエドモンドが駆け寄ってくる。
イライザ嬢をアンジェラから引き離そうとすると、彼女はかえって興奮した様子になった。
ようやくオリヴァーがアンジェラのもとに走り寄ってくる。遅くない?
そのままイライザ嬢を責めるのかと思いきや、アンジェラと彼女の間に入っただけだった。その表情には戸惑いが浮かんでいる。
以前はアンジェラを傷つける人間(主に私)は許さないって感じだったのに。手首を握りつぶすのは私だけ? へー。
デリックは……遠くから眺めているだけね。まあ、この手の騒ぎを嫌う人ではある。
「ごめんなさい……」
アンジェラがお得意の涙目と震え声で謝罪する。
異様なまでに静まり返っていた周囲がざわめきだした。
「嫌な思いをさせてごめんなさい。でも、誤解なの。私、学園の外でエドモンド卿に会ったことはないし、もちろん彼に過剰な接触をしたりもしていないわ」
ヒソヒソと話す声が聞こえる。
アンジェラに同情する声が多いけれど、中には「でも最近ちょっと男性と距離が近いわよね」と言う人もいた。
以前は、アンジェラを悪く言う人なんていなかったのだけど……。
「そ、そうだよ。彼女の言う通り、俺たちは特別なことは何もない。これは、俺が勝手に……その……」
「この浮気者!」
イライザ嬢の平手がエドモンドの頬に炸裂する。
彼女はボロボロと泣いていた。
修羅場……。でもなんだか彼女が気の毒だわ。
そしてようやく、というべきか。レイノルド殿下が騒ぎの中心までやってきた。
彼はひどく冷めた目をしている。
「君たちには婚約者同士で冷静に話し合う時間が必要なようだ。休憩室があるから、二人ともひとまずそこに行くといい」
騒ぎを起こす者は邪魔だから出ていけ、と。
そう言っているような気がして、ちょっとヒヤリとする。
ようやく教師も出てきて、彼女たちを連れ出した。
「アンジェラ嬢は大丈夫? 怪我はないかな」
「は、はい」
「ならよかった。予備のドレスは?」
「いえ……何着も用意できるほど、裕福ではないので……」
「そっか」
アンジェラが涙をこぼし、彼女の周りに女生徒が集まる。
広がる同情の声。
そもそも本当の舞踏会ならともかく、学校の行事に予備のドレスを持ってくる人なんてほぼいないので裕福かどうかは関係ない。
だからみんな、私をチラチラと見るのはやめてくれないかしら。
私の家が裕福なことは今関係ないし、私も予備のドレスなんて持ってきていないから。持っていたとしてもサイズが合わないでしょうに。
とそこで、ふと妙案が浮かぶ。
私はアンジェラに「ちょっと待っててね」と言うと、テーブルに飾ってある花を一本、手に取った。
「上手くいくといいんだけど……」
そう言って私は、花を軽く振る。
花の精霊が私の願いに応え、アンジェラのドレスを白とピンクの花で彩った。ジュースのシミも、花に覆われてきれいに隠れる。
周囲にどよめきが起こった。
「わぁ、きれい……!」
「アンジェラ嬢の花のモチーフのドレスに似合っていて、とても素敵だわ……!」
「ドレスに花を咲かせるなんて、結構高度な術なんじゃないか?」
「なんだかんだ精霊術のルビーノなんだな」
私への称賛の声が降りかかる。
アンジェラは――ぐぬぬ顔を通り越して青ざめていた。
その顔を見て、苦い笑みが浮かぶ。
ねえ、アンジェラ。
努力しない私が嫌いだと言っていたわね。
美容も、交友関係も、勉強も、そして精霊術も。私、少しは頑張ったのよ。
でも、あなたは私の努力の成果を見るたびに悔しそうな顔をした。
私が恵まれていて努力をしないから嫌いなんじゃない。あなたはただ単に私が嫌いなのよ。
「とてもきれいよ、アンジェラ。あなたにはやっぱり花が似合うわ。シミ抜きできるほど緻密な精霊術はまだ使えなくて、隠すので精一杯なの。ごめんね」
「ううん……素晴らしい贈り物をありがとうローズ。これで舞踏会の最後までいられるわ……」
そう言って笑みを浮かべる彼女に、ぞくりとする。
虚無の瞳とでも言うのだろうか。ほんの一瞬、彼女の存在が何か不吉なもののように感じられた。
それもすぐに消え、彼女は女子生徒に囲まれる。
まるで花の妖精だと褒めそやされ、うれしそうな笑みを浮かべていた。
そして私も生徒に囲まれる。精霊術を褒めてもらえるのはとてもうれしいのだけど、たくさんに囲まれすぎて元・嫌われ者としては戸惑ってしまう。
私に助け舟を出そうとしたのか、近づいてくるリアムの姿が生徒たちの向こうに見えたそのとき。
「ローゼリア嬢、見事な精霊術だった」
殿下が私に一歩近づくと、人の群れがさっと割れて道ができた。
「ありがとうございます」
「年に一度の模擬舞踏会が台無しになるところを、君が会場の雰囲気を明るく変えてくれた。生徒会長として礼を言うよ」
「もったいないお言葉です」
それで終わるのかと思いきや、殿下が私の目の前に立つ。
「一曲お願いできますか、ローゼリア嬢」
そう言って、殿下が手を差し出す。
私は息をのんだ。
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