第28話 ダンスとドレスとジュース


 リアムとともに会場の中を進んでいくと、周囲にざわめきが起こった。

 私たち、とくに私への褒め言葉が多いように思う。

 いい意味で注目されたことがなかったから、なんだか照れるわね。

 中には「そそるよな」なんて下品な言葉も聞こえてきたけれど、リアムが睨んで黙らせた。


 会場の人混みの中、アンジェラを見つける。

 女友達数人と楽しそうに話していた。友達が多いものね。

 私をちらりと見ながらも、すぐに周囲の女友達に視線を移す。

 彼女とおそろいドレスを着てこなかったことを意外に思っている様子はなかった。それはそうよね。


 ダンスの時間が近づくと、生徒たちの動きが慌ただしくなった。

 最初のダンスは、婚約者のいる人は当然婚約者と、いない人は相手を見つけて踊る。男子生徒が事前に踊りたい女子生徒に申し込んでいる場合も多い。

 前回は一つ年上のルビーノ傍系の男子生徒が誘ってくれた。学院生であるリアムはいなかったから、私が一人でぽつんとしないよう、“ルビーノ公爵令嬢”に気を遣ってくれたのだと思う。

 悪女でも公爵令嬢だから、その後もちらほらとダンスに誘われた。その一方で大人気だったアンジェラを見て、少し嫉妬したのだったわね。

 今回は心穏やかだわ。

 ファーストダンスの相手はリアムがいるし、あとは申し込んでくる人が他にいなくて壁の花になっても別に構わない。もちろんアンジェラがモテモテでもまったく気にならない。


 そうこうしているうちに、曲が流れ始める。

 ほどよくあいた空間を見つけて、リアムと踊り始めた。

 リアムってこんなにリードが上手だったのね。そしてなんというか、ダンスが優しい。

 ……どうしてだろう。ただ踊っているだけなのに、すごくドキドキする。

 リアムの綺麗な瞳にも、背中に優しく触れる手にも。

 オリヴァーと踊るアンジェラが視界の端に入ったけれど、今はどうでもいい。

 周囲にたくさん人がいるのに、なぜかここには私たちしかいないように感じられた。


 どこか夢見心地のまま一曲目が終わって、いったん壁際に下がる。

 生徒同士の交流が主な目的なので、男性は婚約者がいる女性でも積極的にダンスに誘うことが推奨されているのだけど。

 まさか私のところに男子生徒がたくさん来るなんて思っていなかったわ……。

 ついこの間まで私を悪女だと言っていた人たちも平気な顔で私の前に並んでいて、手のひら返しに少々あきれる。

 ただ、これも交流の一環。

 前から順番に三人ほど受けて、それ以上は断った。そう何曲も続けて踊れないし。

 そうしてやけに長く感じる三曲を終え、休憩のためホールの壁際まで下がった。

 リアムは男友達と話しているようだったのでそちらには行かず、喉が渇いたので飲み物が置いてあるテーブルのほうに行こうと歩き出したそのとき、私の目の前に飲み物の入ったグラスが現れた。


 アンジェラが、ニコニコしながら私にジュースを差し出している。


「ローズ、お疲れ様! ダンス、すごく上手だったわ。ドレスも素敵よ」


「ありがとう……」


「踊って喉が渇いたでしょう? そう思って持ってきたの!」


 えへへ、とアンジェラが笑う。

 彼女の手にあるのは、ぶどうジュース。

 これはあれよね。狙ってるわよね。

 私が受け取ろうとして手を伸ばしたら、アンジェラのドレスにビシャッとかかって彼女が涙目になるっていうパターンでしょ?

 それで「ローズは悪くないの……」でしょ?

 ワンパターンすぎるわ。

 りんごジュースじゃないところがまたいやらしい。それだと目立たないものね。


「ありがとうアンジェラ。でも、今は喉が渇いていないから」


「踊ってきたばかりなのに? ローズ、ぶどうジュースが好きだったわよね? それとも……私から受け取るのは嫌、なのかな」


 周囲にも聞こえるようにアンジェラが言う。

 しかも寂しそうな顔で。腹立つわぁ。

 そもそも一度断られたらその手を引っ込めなさいよね。ずっと私に飲み物を差し出していて私が受け取らないと、私がまた意地悪をしているみたいじゃない。

 それでもドレスにかかって大騒ぎになるよりはと再度断ろうとしたとき、私の横に誰かが立った。


「あ……シェリル嬢」


「ごきげんよう、ローゼリア嬢、アンジェラ嬢。お二人ともとても素敵なドレスですね」


「ありがとう、シェリル嬢。あなたもとても素敵よ」


「……お褒めくださってありがとう、シェリル嬢」


 シェリル嬢が微笑を浮かべながら、ジュースを持ったアンジェラの手元を見つめている。アンジェラから笑みが消えた。

 あれ? もしかしてシェリル嬢……何か気づいてる?


「わざわざありがとう、アンジェラ」


 そう言ってジュースに手を伸ばす。

 シェリル嬢がずっと見ていたためか、何事もなく受け取ることができた。


「ううん、いいのよ」


 ちょいぐぬぬ顔でそう言って、アンジェラが踵を返す。

 そしてそのまま去っていった。


「……その、シェリル嬢。ありがとう」


「ああ……やっぱりそうなんですね」


 アンジェラが私を陥れようとしていたと、気づいていた?

 不思議そうな顔をしているであろう私の顔を見て、「テストの結果発表のときに、なんとなく」と彼女が言った。

 たしかにあの時のアンジェラは少々わかりやすかった。

 それに、シェリル嬢は二年生からの編入。

 他の生徒のようにアンジェラのことが好きという気持ちはなかっただろうし、私のことも悪い噂は聞きつつも接点がなかったので嫌いという感情はなかっただろう。

 シェリル嬢はわりと人をよく見ているタイプのようだし、偏見なく私たちを見ていて色々気づいたのかもしれない。


「きっとお二人の間には、色々あるんでしょうね」


「……そうですね」

 

「事情を知らない私ですから、頼まれてもいないのに余計なことをすることはありません。でも、助けが必要なときはいつでも頼ってください」


「ありがとう、シェリル嬢。本当にうれしいです」


 そう言うと、彼女は照れたように笑う。

 クリスティーナ嬢とミランダ嬢も来てなごやかに話していると、聞きなれた小さな悲鳴が聞こえた。

 アンジェラの声。

 そちらを見ると、彼女のドレスには赤紫色の大きなシミが。

 その近くには、空のグラスを持って怒りの表情を浮かべている女子生徒。


 ……あれ?

 なんでそんなことに?

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