第23話 歴史の勉強
昨日は図書館でデリックに会ってしまったので、今日は校舎の脇にある林の中のベンチで勉強することにした。
以前よりは関係性が良くなっているとは思うけど、苦手意識は消えていないしやっぱり会いたくはない。
放課後はクラブ活動をするか家に帰るか街に出て楽しむ人が多いので、こういう場所は比較的人が少ない。
今日も周囲に人がいなくて幸運だわ。
風がそよそよと吹いて、髪を揺らす。葉擦れの音や緑の香りが心地いい。
こうして自然を肌で感じることも、精霊術師には大事なのよね。
それに、以前よりも精霊を身近に感じる気がする。もしかして、親和力が上がってるんだろうか。
前回の生では精霊術師として成長することはなかったのに、なんだか不思議。
「と、勉強勉強……」
自分に言い聞かせるようにそう言って、歴史の教科書を開く。
歴史は学園に入る前から家庭教師に習っていたし、一年生の授業でもやっていた。
でもほとんど憶えていない。
国にとって重要な出来事がなんとなーくぼんやりと頭に入っているだけで、細かいところはすっかり忘れている。
それでもやるしかないと教科書を読み進めるうちに、だんだんと暗記しているというよりはなんとなく字面を追っている状態になり、さらには
眠い。
だめだめ、寝ている場合じゃないわ。
そう思うのに、頭がぐらぐらと動く。
柔らかい春の日差しが心地いい。
ああ、なんだかもう――。
手から力が抜けて、教科書が地面に落ちる。
その音にはっとして、慌てて拾おうとしたけれど。
「どうぞ」
すっと手が伸びてきて、目の前に教科書が差し出される。
「あ、ありが……」
お礼を言って受け取ろうとして、固まる。
笑顔で教科書を差し出しているのが、レイノルド第二王子殿下だったから。
「で、殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。その、恐れ多くも殿下に教科書を拾わせてしまい……」
動揺のあまりしどろもどろになってしまう。
殿下がクスッと笑った。
「ご令嬢が目の前で何かを落としたら、拾うのは紳士として当たり前だ。それなのに、前回は拾えなかったからね」
前回。
例のあの本のことですね、わかります。
よみがえる黒歴史に、ここにはない枕に顔をうずめたくなる。
そんな考えが顔に出ていたのか、殿下が吹き出した。
……なんだか、意外。
いつも気品があって口元に微笑を浮かべてはいるけれど、こんな風に楽しげな様子は見たことがない気がする。
いえ、前回も笑っていたわね。街のあの書店で。
よっぽど私の黒歴史ネタが好きなのかしら……。
「からかってごめんね。ああ、あと君を偶然見かけただけで、つけていたわけではないから安心して」
「もちろんわかっております」
「とはいえ、これじゃあ私の方が君を追いかけているようだね」
「……」
どう答えていいのかわからず、黙り込む。
「隣に座っても?」
え!? という驚きの言葉をかろうじて飲み込む。
「ええ、もちろんです」
正直なところ複雑だけど、第二王子殿下に座ってもいいかと聞かれて駄目だと答えられる女性は国内にいないだろう。いろんな意味で。
「歴史は退屈かな」
殿下が、人ひとり座れそうなほどの距離をあけて座る。
その距離感に少しほっとした。
「そのようなことはありません。王国に住む貴族として、国の歴史を学ぶのは大切なことですから」
「なるほど。じゃあ君の頭がぐらぐらしていたのは気のせいか」
笑いを含んだ声で、殿下が言う。
……殿下ってこんな性格だった?
「まあ年号と表面上の出来事だけを追っていたら退屈なものだ。でも深く知ると面白いものだったりするよ」
「……?」
「例えば、君が今開いているページに載っている星歴二八七年の『ダルタナの戦い』。当時はまだ領地戦が認められていた時代で、ドルーガ伯爵がクルドス伯爵の領地に攻め入ったというものなんだけど、実はそれは奪われた愛人を取り返すためだった」
「え、そうなんですか!?」
「妻ならまだしも愛人がきっかけの戦争なんて外聞が悪いし、教科書には載っていないけどね。とある文献には載っているんだ。あと『エルマリー王妃のダイヤの指輪事件』。星歴三五六年に王妃の指輪が盗まれたその事件、王妃に近づいていた絶世の美男子が実は詐欺師で――」
殿下が、教科書に載っている出来事の裏話をあれこれ教えてくれる。
さすがは殿下、話し上手で聞き入ってしまった。
「――というように、教科書に書かれていない出来事を知ると歴史も少し楽しくなるだろう?」
「はい、本当にそう思います。歴史の授業を好きになれそうです」
「ふ、それは良かった。もちろんすべての出来事について詳しく知ることはできないだろうけど、もしかしてこの事件はああだったのかな、なんて想像しながら学ぶと知識も入りやすい。少なくとも私はそうやって歴史を学んだんだ」
「そうなのですか」
「ああ。実は私も家庭教師による歴史の授業が退屈でね。授業中に窓の外をぼんやり眺めては叱られたものだ」
完璧な男性と言われているレイノルド第二王子殿下にも、そんな時代があったなんて。
「意外かな?」
「その……はい」
彼がふっと笑う。
「完璧な男だなんて持ち上げられるけど、私はいたって普通の男なんだよ。苦手なことも実は多いし、醜い部分もある。無欲でもないし、いろいろ失敗して後悔することもある」
殿下が私の目をまっすぐに見つめる。
木漏れ日を映す青い瞳が怖いくらいにきれいだった。
否定も肯定もできず、目をそらすこともできない。
まるで時間が止まったかのように――。
その時間を動かしたのは、殿下。私から視線をそらして立ち上がった。
「私はこれで失礼するよ。勉強頑張って」
「はい。ありがとうございました」
少し長めの金色の髪をさらさらと揺らして、殿下が去っていく。
相変わらず見とれるほど綺麗な方だと思った。
けれど、以前とはやっぱり気持ちが違う。心が騒がない。
そもそも、あれは恋だったのだろうか。
……まあいいわ。考えたって仕方がないもの。
再び教科書に視線を落とす。
さっきよりも、頭の中に情報が入っていく気がする。
この出来事の裏にはこんなことがあったのかな、なんて想像しながら、教科書を読み進めていった。
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