第21話 アイザックお兄様
やけに早く目が覚めてしまった。
時計を見ると、まだ日が昇ったばかりの時間。
二度寝する気にもなれなくて、カーテンを開ける。
庭園を見下ろすと、お兄様が走っているのが見えた。
急いでどこかに向かっているのかと思ったけど、そうじゃない。広い庭園を、ひたすら走り込んでいる。
まるで騎士科の生徒みたい。精霊術師であるお兄様が、体力づくり……?
なんとなく気になって、着替えて庭園に向かう。
私の姿を見つけたお兄様が、足を止めた。
「おー、早いな、ローズ」
こちらに近づいてきて、ベンチに置いてあったタオルで汗を拭く。
「ええ。お兄様は……走り込みをしていたの?」
「そうだよ」
「精霊術師であるお兄様が、体力づくり? なぜ?」
お兄様がははっと笑う。
「精霊術師にも体力は必要だぞ。魔力を扱うというのは体力を使うものだしな」
「そういえばそう習ったわね……。精霊術師よりも魔術師のほうが体力を使うのよね?」
「魔術師は自分の中の魔力を魔術に変換して放つからな。その反動が体にくるから筋力も必要だ。当代一の魔術師と言われているリアムも、脱いだら結構すごいらしいぞ。ローズは見たことあるか?」
「あ、あるわけないでしょ!」
なぜか動揺してしまう。
お兄様はニヤリと笑った。
「そ、それはいいとして。私も体力をつけたらもっと上手に精霊術を扱えるようになるかしら?」
「精霊術を扱うのに体力は必要だが、精霊術の効果に影響するのは親和力だからなあ」
「……そうよね」
お兄様は少し考え込むと、「座らないか?」とベンチを指す。
私が座ると、お兄様も隣に座った。
「あー、何から話そうか。結論から言うと、お前がものすごい精霊術師になる可能性は大いにあると思う」
「……精霊との親和力が、幼い頃はとても高かったから?」
「そうだな。お前はあまり憶えてはいないだろうが、幼く魔力の少ない身には危険なほど高かったんだ」
親和力が高いほど、精霊は願いに応えてくれる。
それは良いことのようだけど、度が過ぎれば術者にとって危険なのよね。
例えば、大きな湖を満たす水を完全に浄化したいと願った場合、親和力が高ければ精霊はそれに完璧に応えようとする。けれど、その願いをかなえている間じゅう、術者は魔力を消費し続ける。
魔力がからっぽになれば精霊は力を行使するのをやめるけれど、幼い体に魔力切れは負担が大きすぎる。
親和力が高いほど魔力の消費量を抑えられるとはいえ、それも限度があるものね。
実際に私は五歳のとき、精霊術を使いすぎて魔力切れで倒れて三日間も意識を失っていたことがあった。
「お前が五歳のときに倒れて以降、親和力がどんどん低くなっていったのは、幼い体を守るためだったんじゃないかと思う」
体が成熟して魔力が高くなるまで、そして願いの強さをコントロールできるようになるまでは、親和力が高いのは危険だと私の体が判断したということ?
でも、魔力そのものはそれなりに高くなった今でも、親和力は低いまま。
前回の生では、魔力が完成すると言われる十五歳から十八歳の間に再び親和力が高くなるんじゃないかと期待したけど、結局十七歳の終わりごろ――つまり死ぬまで低いままだった。
「入学前に測ったときも、親和力はあまり高くなかったよな」
「ええ」
「……あくまで推測なんだが。もしかしたら、お前は本能的に精霊術を恐れているのかもしれないな。倒れたとき、結構危険な状態だったから。だから、無意識に親和力を抑えているのかもしれない」
「え……?」
私が……親和力を抑えている?
私自身が?
「魔力と違って親和力は精神状態も大きくかかわってくるし、高くなることも低くなることもある。ただ、幼いころにあれほど親和力が高かったということは、それだけ精霊術師としての器が大きいということだ」
「……」
「だからお前が心から、そして子供のときのようにあれこれ考えず素直に精霊に働きかければ、きっと応えてくれるだろうし、親和力も高くなっていくんじゃないかと思っている」
そんな発想はなかったわ。
本当に私にそんな才能があるのかはわからないけれど、お兄様と話せてよかった。
なんだか前向きな気持ちになってくる。
「精霊術の練習、してみようかしら」
魔術と違って、精霊術は練習して上手くなるというものではないのだけど。
それでも、何もやらないよりは努力したほうがいい。
「そうだな。いいと思うぞ」
「走り込みも」
「うん。体力をつけて悪いことは何もないだろうしな」
「そうね。ダイエットにもなるし」
「はは、別に太ってないけどな」
そういえば前回、私は二年生になってからどんどん体重が増えていった。
アンジェラとのスイーツ巡りを楽しんだから。もちろんアンジェラの提案。
私はムチムチと肉がついていくのに、アンジェラは細いまま。
体質もあるのかもしれないけど、陰で彼女も努力していたのかもしれない。
――私、ずっとあなたが嫌いだったのよ。何もかもを持って生まれて、何も努力しないあなたが。
勉強も、美容も、精霊術も、交友関係も。
彼女の言うとおり、私は何の努力もしていなかったのだと思う。
アンジェラだけを見て、彼女の言うとおりにしか動かなかったのは、……きっとそれが楽だったから。
愚かではあるけれど、アンジェラはそんな私をなぜあんなにも嫌っていたんだろう。
何もかもを持って生まれて、というけれど。
公爵家の娘という立場以外で、私の方が優れていることって何かあったかしら? ひとまずリアムのことは置いておくとして。
私も容姿はいい方だと思うけどアンジェラはとても可愛らしいし、勉強も精霊術も彼女の方が上。そして男女ともに好かれていた。
じゃあ彼女が羨むものって?
……こうして家族仲がいいこと、とか……?
何度か見かけた程度だけど、なんとなく彼女の父親である子爵は苦手だった。
「どうした? 考え込んで」
「ん? ううん……。アンジェラの家って、子爵夫人が亡くなっていて子爵と彼女の弟の三人家族よね」
「そうだな」
「子爵や彼女の弟はどんな人?」
うーん、とお兄様が考え込む。
「子息のほうはよくわからない。まだ幼くて体が弱いらしく、遠目に一度見たことがあるだけだ。子爵は……」
お兄様が言い淀む。
「正直な意見を聞きたいの。たしか子爵はお兄様が働いている精霊省に勤めていた時期があったわよね?」
「ああ。僕が入省して一年ほどで子爵は辞めたけどな。彼は……そうだな、笑顔で接してくるけど、何を考えているのかわからない感じがする。腹黒いというか野心家というか……」
「……」
そういうところはアンジェラに似ているのかもしれない。
子爵は、少なくとも見える部分ではアンジェラのことを自慢の娘として扱っていたと思うけど、家族仲はどうだったのか……。
「アンジェラと何かあったのか?」
「ううん、そういうわけではないの。じゃあ、私も明日から精霊術の練習や走り込みを初めてみるわ」
「そうだな。努力をするのはいいことだ。でもな、ローズ」
「?」
お兄様が優しく微笑む。
「たとえお前が高位の精霊術師になれなくても、お前はかわいい妹で、大事な家族なんだからな。お前の価値は精霊術だけでは決まらない」
うれしさと申し訳なさで胸が痛んだ。
私は回帰するまで、お兄様に嫉妬してずっと冷たい態度をとってきたのに。
お兄様はそんな私を、こんなにも大事に思っていてくれた。
「ありがとう、お兄様。それから……今まで態度が悪くてごめんなさい」
「はは、何も気にしてないよ。お前が以前よりも元気で楽しそうで、何よりだ」
「うん……」
私はこんなにも恵まれている。
何不自由ない暮らしに、優しい家族。
以前は恵まれていることにすら気づいていなかった。それもアンジェラを苛立たせていた一因なのかもしれない。
でも、だからといって私の人生を滅茶苦茶にしていい理由にはならない。
私だけじゃない。私の死後、ルビーノ公爵家の評判は下がり、家の中の雰囲気も一変してしまったはず。
家族のためにも、今回の生では絶対に彼女に負けない。
あらためて、そう決意した。
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