第16話 過去の二人


 小鳥のさえずりに目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。

 ああ、朝だ。今日も生きて目を覚ました。よかった。


 ――時々、怖くなる。


 回帰した人生は、死にかけている私が見ている夢なのではないか。

 ベッドで眠りについて目を覚ましたらそこは病院で、全身に包帯を巻かれ激痛にさいなまれながら死を待つあの時の自分になっているのではないかと。

 むしろ、一度眠ってしまったらもう二度と目を覚まさないのではないかと……。

 だから、どこも痛くない状態で目が覚めるとほっとする。

 ベッドから出て、カーテンを開けた。

 いつもと変わらない風景に、心が落ち着く。


 今日は学校が休みなので、朝食後に庭園を散歩した。

 少し汗ばんだところでベンチに腰掛け、昨日の出来事を頭の中でなぞる。


 ――それに、俺はじゅうぶんすぎるものを、子供のころに君からもらったから。


 リアムのあの言葉。

 私、特に彼に素晴らしいことをした記憶がないんだけど……?

 どういう意味なのか気になって、子供のころの記憶を必死で探ってみた。


*************


「アメイシス公爵家のリアム君だ。ローゼリアと同い年だから、仲良くしてあげなさい」


 そう言ってお父様がきれいな顔立ちの男の子を私に紹介したのは、八歳のころ。

 彼は下を向いていて、暗い瞳をしていた。

 公爵夫妻はその場におらず、我が家に来たのは彼一人。

 その時は「きれいだけどなんだか元気のない子が来たな」としか思わなかった。


「はじめまして、私はローゼリアよ。よろしく」


「よろしく……」


 しん、と応接室が静まり返る。

 お母様が「えっと、リアム君」と笑顔で話しかけた。


「ケーキはお好き? お茶でもいかがかしら」


「いえ……」


 またその場が静まり返る。

 でもそんな重い空気に気づかなかったアホの子・私は、気にせずリアムに話しかけた。


「おなかすいてないならお庭に行こうよ。お父様がね、お庭に小さな山を作ってくれたの」


「……」


「ほら早くー」


 リアムの意見を聞かず扉に向かう私。

 お父様もお母様も子供同士のほうが打ち解けられるかもしれないと思ったのか、止めなかった。

 渋々ついてきたリアムと長い廊下を歩いていると、彼の足取りが次第に重くなっていくことに気づき、その手を取る。


「もう疲れたの? じゃあ私が手を引いてあげる!」


「……さわらないで」


 彼がぱっと手を離す。


「あ……ごめん、嫌だったのね」


 えへへ、と笑ってごまかす私。

 もう嫌われたのかと内心落ち込んでいた。


「ち、ちがう! そうじゃなくて……君がけがれるから……」


「どうして? 泥遊びでもしてきたの?」


「そうじゃなくて……僕は汚い妾の子だから……」


 すぐには妾の意味がわからなくて、考え込む。

 そしてお兄様が以前こっそり教えてくれたその意味を思い出した。


「あー、あれね。って、アメイシス公爵ご夫妻がそんなことを言ったの!?」


「違うよ。その……公爵夫人の侍女が……」


「じゃあ気にする必要はないわ。そんな無礼な侍女はクビにしてしまえばいいのよ」


「でも僕は……」


「難しいことはよくわからないけど、あなたはアメイシス公爵の息子なんでしょ? 公爵子息にそんなことを言う侍女なんて引っぱたいて水をかけて追い出せばいいの。それが無理なら、公爵に告げ口しちゃいなさいよ」


「……」


「だいたい、人に向かって汚いってなによ。リアムは汚くなんてないわ」


「……本当に?」


「うん。顔だってこんなにきれいだし、瞳もキラキラして宝石みたい」


 リアムは赤くなり、黙ってしまった。

 私はそんな彼の手を再び取り、なかば強引に庭園まで連れていく。今度は素直に手を引かれていた。

 庭園に着くなり「あの山の上まで競争よ!」と走り出して、少々ずるい手でリアムに勝った。

 きれいに芝生が張られた小山の上にぺたんと座る。彼もそれにならった。


「疲れた?」


 そう訊く私のほうがハァハァ言っていた。


「さほど」


「そっか。リアムは体力があるね」


「うん」


「あついねー。ちょっと待ってて」


 そう言って、私は風の精霊に働きかけた。

 魔力は弱かったけれど親和力はそれなりに高かったので、精霊が呼びかけに応えてそよそよと風を吹かせてくれる。


「精霊術って……優しいよね」


「え? そう?」


「うん。攻撃にはあまり向かないけど、高位の精霊術師ともなれば土を豊かにしたり、空気をきれいにしたり、凍える人を温めたり、水を浄化したり」


「そうだね」


「でも魔術は人をねじ伏せる狂暴な力だから」


「うーん……それも使い方しだいなんじゃないかな」


「……」


「ってお父様が言ってた」


 受け売りが恥ずかしくてえへへと笑うと、リアムが初めてクスッと笑った。

 そしてすぐにはっとした顔をする。


「どうしたの?」


「……笑ったのなんて久しぶりで……」


 公爵家での生活がつらいのかな、とその時思った。


「その……メカケとか本当はよくわからないけど、大人のじじょうっていうやつでしょう? ならリアムには関係ないし、リアムは何も悪いことしてないんだから、悪口を言われて我慢したり傷ついたりする必要はないと思う」


 本当はそんな簡単なことではないんだろうと、なんとなく気づいていた。

 それでも、目の前の寂しそうな男の子を元気づけたかった。


「ありがとう」


 そう微笑する彼は、ひどく大人びて見えた。


 タウンハウスが近いこともあり、その後もリアムはよく遊びにきた。

 私が外遊びが好きだったということもあって、かけっこやかくれんぼ、水遊びと貴族の子女にしては野性的な遊びをした。

 ここへ来るたび、彼は笑顔が増えていったように思う。

 我が家のお父様やお母様とも話すようになった。

 そんな日々が一年ほど続いて――彼はぱったりと遊びに来なくなった。

 私が嫌われるようなことをしてしまったのかとお父様に訊いたけれど、そうじゃない、事情があるんだとしか言ってくれない。


 胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな気分だった。


*************

 

 それから何年か経って、情報通かつ口が軽いお兄様がリアムについての事情を教えてくれた。


 公爵家の次男だった現アメイシス公爵は、学園時代、とある男爵令嬢と想い合っていた。

 後を継ぐ長男は入学前に婚約者を決めていることが多いけど、次男以降は学園で自ら相手を見つけることも珍しくない。

 けれど卒業間近となったそのとき、アメイシス家の長男が事故死してしまい、急遽次男であった現公爵が後継ぎとなった。

 未来の公爵と、没落寸前の男爵家の娘。あまりに家格が違いすぎてご両親に結婚を認められず、今の公爵夫人と政略結婚したということだった。

 この話は、学園で悲恋として語り継がれているのだとか。

 その後の詳しい話はお兄様も知らないけれど、少なくとも公爵はその男爵令嬢を妾として囲っていたわけではなかったらしい。

 リアムの年齢からしても、数年ぶりの再会か何かで公爵と男爵令嬢がかつての気持ちを思い出し……というのがお兄様の予想。

 リアムが七歳のときに母ののこした手紙を持って公爵家を訪ねるまで、アメイシス公爵は彼女との間に子ができていたことすら知らなかったらしい。

 アメイシス家特有の紫の瞳と高い魔力に、彼が公爵の息子であることはすぐに認められた。

 ただ、公爵夫人とその息子である長男がいる中では、かなり居心地が悪かったのだろうと。


 一度、アメイシス家の人に意地悪されるの? とリアムに訊いたことがある。

 彼は首を振った。

 公爵はあまり彼に構わず、体が弱い兄とは接点が少ない。公爵夫人は一生懸命優しくしてくれようとしているが、時々つらそうな顔をしていると言っていた。自分がそうさせているのがわかっているから、それがつらいと。

 彼はアメイシス公爵家の中に自分の居場所がないと感じ、あんなふうに元気がなくなってしまったんだろう。

 そんな折、アメイシス公爵がお父様を頼ったらしい。

 貴家の元気なお嬢様と遊べば、リアムも生気を取り戻すのではないかと。

 元気なお嬢様って。


 お兄様が知っているのはここまで。

 リアムがうちに来なくなった理由までは知らないらしい。


 それにしても。

 別にじゅうぶんすぎるものなんてあげてないわよね?

 うちで遊ぶのが楽しかったのかもしれないし、複雑な事情の彼にとってはそれが癒しだったのかもしれないけど、それでも彼が私のためにしてくれたこととは比べ物にならない。

 やっぱり彼に恩返ししたいなぁ……。

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