第15話 喜んでいた!?


 声の主はリアムだった。

 オリヴァーを見据える紫の瞳には冷たい怒りが宿り、その感情を具現化したかのように右手に炎を宿している。


「ローゼリアから手を放せ。燃やすぞ」


「……」


 オリヴァーが小さく舌打ちし、私から手を放す。

 ようやく体が自由になって、ほっと息を吐いた。

 リアムが手の炎を消し、ちらりとアンジェラを見る。


「どうせアンジェラがずぶ濡れになってるのを見てかっとなってローゼリアに詰め寄ったんだろう。ローゼリアの話をろくに聞きもせず勝手な思い込みでよくそんな真似ができるな」


「思い込みじゃない! この女がアンジェラを……!」


「だからその瞬間を見たのかよお前は。それともローゼリアに突き飛ばされたとアンジェラが言ったのか?」


「ち、ちがうわ! 私そんなこと……! 私のせいなの、私が悪くて」


「ああそうだな。オリヴァーの思い込みをろくに否定せずかわいそうな被害者みたいな顔をしてるんだから、そりゃ悪いな」


「……っ!」


 アンジェラの顔が傷ついたように歪む。


「貴様だとて見ていないくせに、なんだその言い草は!」


 オリヴァーの怒りの言葉に、リアムはふっと皮肉な笑みを浮かべた。


「そうだな、俺も見ていない。だから何も見ていない第三者がこうして口を出すべき問題じゃないんだ。護衛騎士を気取るのはお前の勝手だが、感情だけで動いて力に訴えるのはそこらの酔っぱらいと変わんねぇんだよ」


「この……!」


 オリヴァーの額の血管が今にも切れそう。彼が帯剣していなくてよかったと心から思う。

 そんな怒りなど意に介さず、リアムが彼に一歩近づいた。


「勝手な決めつけで腕力にものを言わせて女を押さえつけるやつが騎士を気取ってんなよ。それともそれがお前の騎士道か」


 騎士道を引き合いに出され、さすがのオリヴァーも言葉に詰まる。


「……で。お前のお姫様がずぶ濡れのままだけどいいのか? まだ水浴びには寒い季節だぞ」


「……っ、お前たち覚えていろ」


「さっさと行けよゴリヴァー」


「誰がゴリヴァーだ!」


 オリヴァーがリアムを睨みながらもアンジェラのもとに行く。

 彼女の視線はリアムに注がれたままだった。

 やっぱりアンジェラはリアムのことを……?

 オリヴァーに「行こう、風邪を引く」と促された彼女の視線は、今度は私に注がれた。どす黒い感情を隠し切れない彼女に向かって、私は寂しげに笑みを作った。


「ねえ、アンジェラ。私がオリヴァーに押さえつけられているとき、あなたは彼の誤解を解こうとはしてくれなかったのね。はっきりとローズは何もやっていないと言ってほしかったわ」


「! あ……っ、ご、ごめんなさい。私、そんなつもりは……」


「ええ、いいのよ。きっとあなたはオリヴァーの剣幕に驚いてしまっただけよね。それに私も悪かったわ。すぐにあなたを助け起こさなかったのだから」


「ううん、そんなこと……私が悪かったんだから……」


 オリヴァーがちらりとアンジェラを見る。

 彼の顔に一瞬浮かんだ、かすかに疑念を抱いたかのような表情。

 ここ最近の私の変化に焦っていたのか、あなたは強引な手段をとりすぎたのよ、アンジェラ。


「こんなことがあって残念だけど、私、あなたの友情を疑ったりしていないわ。私たち、親友だものね」


「ええ、もちろんよ、ローズ……」


 今日も見事なぐぬぬ顔……だけどリアムが絡んでいるせいかさらに顔がゆがんでいる。

 そのまま、二人は林の奥へと消えていった。 


「大丈夫か? 手を見せてみろ」


 言われた通り、彼に手を見せる。


「ああ……ひどいな。手首が赤くなってる。あのゴリラ野郎」


「これくらい平気よ。それより、ありがとうリアム。助かったわ」


「別にたいしたことはしていない。あの蔦や木の枝……精霊術で抵抗したんだな」


 千切られて地面に落ちている蔦や、だらんと力なく伸び切ってまだ元に戻っていない木の枝を見て、リアムが言う。


「ええ、木の枝でお尻を叩いてやったわ。そこを狙ったわけじゃないのだけど」


 それを聞いて、リアムが吹き出した。


「あのバカ、尻を叩かれたのか! ちょっと喜んでなかったか?」


「えっ?」


「回帰してからアンジェラの周辺を取り巻き含めていろいろ調べたんだが。あいつ、隠れマザコンドMだぞ」


 かくれまざこんどえむ。

 聞きなれない言葉に首を傾げる。


「あー、つまり、母親のことが大好きすぎて、さらには尻を叩かれて喜ぶ変態だ」


「え……なにそれ怖い」


「悪いことをしたら気の強い母親に尻を叩かれてきたんだとか。その反動で表向きは清楚でか弱い女を守ることこそ至高の騎士道と思うようになったらしい」


「ああ、アンジェラのような」


「だが本質は気の強い女に尻を叩かれて喜ぶ変態だ」


「……」


「ローゼリアに予想外にそうされて喜んでいたかもな」


「ぞっとするようなことを言わないで」


 あの体格の良い粗暴な男が、尻を叩かれて喜んでいた?

 やだやだ、気持ち悪い!


「ああ、もう一つ。デリックもある意味Mっ気がある。あっちは叩かれて喜ぶわけじゃなく精神的な面だが。女に冷たい目で見据えられて冷静に言い返されるとゾクゾクするらしい」


 いったいどういうルートでそんなことを調べているのかと不思議に思う。

 いずれにしろどっちも気持ち悪い。


「でもそれならアンジェラはタイプじゃないわよね?」


「よくわからないが、クラブで討論したりしてるうちに惹かれたんだろう。アンジェラは成績はいいからな。人の好みを把握したりそいつが好む行動をする……そういう嗅覚に優れた女なんだと思う」


「なるほど……」


「デリックもローゼリアに中庭で言い返されたとき、まんざらでもなかったのかもな」


「やめてよ……って、あのときの声! あなただったのね」


「ああ。助けに入ろうか迷ったけど、自分で言い返せてたからな。あれを見て君も回帰したと気づいたんだ」


「そうだったのね」


 リアムがうなずく。

 とりあえず、今日は絵を描くという感じでもないし、私たちもここから引き上げることになった。

 彼が画材を片付けるのを手伝ってくれ、二人で校舎に向かって歩き出す。


「……話は変わるが、今回の件。アンジェラはずいぶん大げさな芝居を打ったが、その目的がよくわからないな」


「これからずぶ濡れ姿を他の生徒に披露しながら『私が悪いの……』って言って回るんじゃないの?」


 これでまた私を疑う人も出てくるんだろうなと思う。

 でも仕方がない。オリヴァーが一瞬でも疑念を抱いたことのほうが大事。


「それをするにしても写生で同学年の生徒はあちこちに散ってるし、たいした効果はないだろう」


「だとしたらオリヴァーをさらに味方につけるため? でも今さらよね。彼はデリック以上に彼女のことが好きで、私のことが嫌いなんだから」


 似たような手を二度使うと効果が薄れるでしょうに、卒業記念パーティーまで奥の手をとっておかなくてよかったのかしら。

 あのときはたくさんの目撃者がいて、今までになかった事態だったからこその絶大な効果だった。


「色々なことが前回と違っていて、なんだかよくわからないわね」


「そうだな……」


「それにしても。どうしてリアムはこんなにも私に良くしてくれるの? 私、あなたに返しきれない恩がどんどん積もっていくわ」


 隣を歩くリアムを見上げると、彼はたれ目気味の目を細めて微笑した。

 彼のこの顔を見ると、ほっとすると同時になんだか落ち着かない気持ちになる。


「俺自身が全員気に入らないという理由がまずある。アンジェラもデリックもオリヴァーも第二王子も気に入らない」


「そうなのね」


 アンジェラや殿下は、デリックやオリヴァーのようにリアムを見下していたわけではないと思うのだけど。

 人の感情だから、そのあたりは色々あるわよね。


「だから、恩を返すとかそんなこと考えなくていい。それに、俺はじゅうぶんすぎるものを、子供のころに君からもらったから」


「子供のころに?」


 たしかに子供のころに一年ほど一緒に過ごしたけど、何か特別なことなんてあった?

 首をかしげる私に、彼はふっと笑う。


「君にとってはきっとなんでもない言葉や態度だったんだろうと思う。だから憶えてなくてもいい。それでも、俺は君に救われたんだ」


 リアムはそれ以上のことは語らず、教室まで送ってくれた。

 写生はまったく進まなかったけど、仕方がない。次頑張ろう。毎回アンジェラと一緒だけど……。


 アンジェラはあのまま早退したらしく、それ以降の授業には出ていなかった。

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