第32話/桂月樹は変わらない

「久しぶり。しの君」

 ――まさか再会するなんてね。……それにまで連れてるなんて。


「……いつき、なんで――」


 忍が樹と呼ぶ少女の正体は、佳月樹けいづきいつき。梅花と同じく、忍がどれだけ耳を塞いでもその心が聞こえてしまう人物だ。


「なんでお前がここにって言おうとしてるみたいだけど、別に勝手でしょ」

 ――この喫茶店好きだからよく飲みに来てるだけなんだけど。


「……遠くから来るほど良い喫茶店なのか」


「うわ……まだ他人の心を読んでるんだ。キモ」

 ――どうせ聞こえるから仕方ないとか言うんだろうけど。本当に気持ち悪い。プライバシー侵害にもほどがある。


 氷河にでも放り込まれたかの如く、鋭く冷たく、見下すような視線で忍が樹と呼ぶ少女は言い捨てる。


 その言葉を耳にした途端、忍は拳を強く握る。心臓が恐怖で高鳴り、彼の顔色は悪くなっていく。1人でここにいるのならばさっさと逃げてしまうところだが、梅花がいる以上勝手には離れることはできなかった。いや、そもそも樹がこんなにも近くにいる以上動くことすらも忍はできそうになかった。


「あれ、忍くんその子は? もしかして隠し子……」

 ――なんだろう、空気が重たいような……ここだけ重力違う?


 押しつぶされそうな空気が漂い、どうにか逃れようと考えていたところで目当てのものを購入した梅花が戻ってきた。


 買い物をしている間に知らない人が増えていたことに対して驚いている様子だが、同時にその場の空気が重く忍の様子も先ほどと違うことに気づいていた。


「初めまして、しの君の彼女さん。ボクは佳月樹けいづきいつき。早速だけど、ボクの幼馴染に近づかないでくれる? それにしの君と接してたらろくなことないからさっさと帰った方がいいよ」


 梅花の声にくるりと踵を返した樹は、自分よりも背の高い梅花を下から睨みつけて言う。更に獲物を狩る直前の虎の如く殺気まで放っており、小さいながらも気迫が強く感じる。


 だが鈍感なのか樹の前に立つ梅花は樹の言っていることを上手く理解できず、何この子と言わんばかりに小首を傾げ忍へと視線を送り唖然としていた。


「あ、忍くんとりあえずこれ。お昼ご飯のサンドイッチ」

 ――状況が全く掴めないんだけど、腹減っては戦はできぬっていうし……。


 ぽかんとしている梅花は、はっと我を戻すと買ってきたサンドイッチをテーブルの上に置き、改めて少女に尋ねた。


「えーと……それで桂月ちゃん……いや幼馴染だし同い歳だろうから、桂月さん……? は、忍くんの幼馴染なのはわかったけど……何か用なのかな? あ、桂月さんもサンドイッチ食べる?」


「要らない。というか話聞いてた? しの君と関わってたら――」


「いや、聞いてたけど……うーん。よくわからないけど、ここ数か月忍くんと話したりしてるけど別にろくなことなんてなかったし。むしろ助けてくれたからなぁ。説得力が一切ないと思うんだけど……」


「へぇ、転校してさらにお人好しになったんだねしの君。でもお人好しで他人を助けるってことは、自分のことを言わないで嘘をつき続けてるってことだ。どうせ彼女さんにも言ってないんでしょ? 他人の心の声を勝手に盗み聞きしてることを」


「……えっと、桂月さんと忍くんの間に何があったのか知らないけど……そのことなら知ってるよ? なんなら忍くんから話してくれたし、私自身、気にもしてないけど。むしろ私の事ちゃんとわかってくれてるって思えるし」


 梅花はそんな気持ちはさらさらないが、このままでは喧嘩に勃発するやも知れず、まして周りには他の客もいる。


 今ですら少しだけ視線を集めている状態なゆえ、喧嘩でも起きようものなら注目の的になるだろう。


 さすがにそれはまずいと体調が戻ってきた忍は小さく。

 

「……と、とりあえず2人とも座るか、店の外で喧嘩してくれ、変に注目されているから……」


「誰がしの君の意見なんか……」

 ――でも変に目立って出禁になったら嫌だし……。


 忍の言葉に鼻を鳴らして言う樹だったが、あとのことを考えてか、忍の隣――正確には隣のテーブルの椅子だ――に座った。


 改めて忍は2人のことを紹介し、今どういう状況なのか、そして過去に何があったかを説明した。


 言うほどのものでは無いのだが、情報を出さない限り感情がエスカレートして座らせた意味が無くなると感じたからだ。


 だが話すべきでもなかったと知ったのは後の祭り。


「へぇ……忍くんをいじめてた……それはちょっと許せないなぁ」


「あなたこそ、しの君がうるさいの苦手だと言ってるのによくもまぁ毎日毎日……」


 バチバチと火花が咲き乱れるように2人の視線はぶつかり、お互いを睨み合っている。


「第一しの君の彼女でも何でもないんなら、いちゃつかないでくれる? 目障り」


「そんなの私の勝手ですー。桂月さんに決められることじゃあありませんー」

 

 結局口喧嘩が始まりそうな雰囲気になり、忍はため息を吐く。ただでさえ嫌な人物が近くにいるだけで心身が縮まるような思いをしている中で、こうも注目を浴びられては身が持たない。そこで忍は席を立ち無言で店から出た。


 何も言わずに席を離れ外に出てから少し、驚いた様子で店内から梅花が出てきた。


「忍くん!? いつの間に外に出てたの!?」

 ――というか何か言ってよぉ! びっくりしちゃったよ!?

 

「すまん。2人が喧嘩してると周りから注目されてきついんだ……」


「あ……そういうことかごめん。確かに熱くなってた……」

 ――でもでも桂月さんが全部の発端だし!


「……まぁ外に出れたしいいが。とりあえずサンドイッチは仕方ないから歩きながら食べるとして……次はどこに行く? できればなるべく遠目のとこがいいんだが」


 喫茶店から少し離れた場所で今後を打ち合わせする2人。喧嘩が始まりそうなほどヒートアップし始めていたことについては申し訳なく感じている梅花は、彼の言葉を聞いてわざとらしく考える素振りを見せる。


 だが大袈裟にそう見えるだけで実際はしっかりと考えており。


「なら映画館行こう!」

 ――丁度見たい映画があるんだ!


 頭の上に光が灯った電球が見えそうなほどハッとした梅花はご機嫌に彼の腕を引いて歩き始めた。

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