第32話/忍の好み

「……それで、ご感想は?」

 ――人様の胸触って何もなしとかはないでしょ……?


 滅多に見ないじとっと睨みつけるその表情は、完全に警戒しているそれだ。だが警戒しているように見えるだけで、触られてからほとんど何も言わない彼に怒りが出ているだけ。

 

 このままでは誤魔化されて終わりだ。と言ってもできるだけ誤魔化すような真似は忍はしない。本人自身嘘をつくのは好きではないからだ。

 

 だからこそそのことを知っている梅花は、念の為にと質問を投げた。


 しかしこのような体験は初めての忍は、彼女の問いにどう答えるべきか悩んでしまう。下手なことを言って傷つけてしまうのではと考えてもいる。それでも逃げ道を失いどんな感想なのかを期待している彼女の前では本当のことを言うしかできない。


「……柔らかいけど硬か……った……?」


「……硬!? いや……あー、私硬めのブラしてるからかな」

 ――形崩れたらいやだし。


 硬いと言われギョッとすると動揺したのか自身の胸を寄せるように触る梅花。硬いと言われた原因が明らかになると渋い顔を浮かべてそう言った。


 男の忍には硬いブラがあるとは知らず、きょとんとした様子だ。


「……よし、硬いとはいえ私の胸触ったんだから、忍くんには私の要望を聞いてもらおう!」

 ――忍くんだけいい思いしてるんだから当然聞いてくれるよね?


 なんとも言えない圧を感じる笑みで言う。忍には罪悪感があるのもあり、気が乗らないものの少しの間を置いて彼女の望みを聞くこと気した。


「……で? 本当にここに来た理由はなんだよ」


「忍くん! 今週末デートしよう!」

 ――さっきの買い物は全くの嘘で、本当はこっちが本命なのだ!


「……買い物のやつ嘘なのかよ。あんな切羽詰まったような言い方するから実際に頼まれたのかと……嘘のようにも思えなかったからなあ……まあわかった」


「まあ嘘だってバレないように特訓してるし、心の声が聞こえるならそっちでもなるべく……ね。あ、でも流石に意識しないと難しいから常には騙せないから安心して?」

 ――しゃべることを2つも考えるから疲れるんだよね……。


「安心する要素はないけどな」


「むー……まあいいや。それじゃあ今週末ね! 約束だから! あ、集合は11時で駅前で!」

 ――忘れたら針千本飲ませるからね?


 1つのトラブルからその約束にこじつけられ、にこにこと嬉しさが滲み出ている表情を浮かべながら言い放つと、今度こそ忍の家を後にした。




 そんな頭を抱える約束をして、あっという間に当日を迎える。


 最初こそ嫌々だった忍だが、誰かと一緒に出かけるということ自体久々であり、それも一応信用している相手でもあるからこそ待ち合わせ場所に早く来てしまうほど楽しみにしていた。しかし時間つぶしにとコンビニに寄り気づけば約束の時間が過ぎてしまっていた。


 そのことに気づくと慌てて待合場所に向かう。


 「あれ、忍くん遅かったね」

 ――遅れるような性格してないのに珍しい。そういえば連絡もなかったし。


 待ち合わせ場所にたどり着いた時には約束の時間から10分ほど経っていた。

 時間が過ぎてしまったことにたどり着くやいなや慌てて梅花の姿を探していた忍だが、一向に見つからない。そこでどこにいるのかと連絡をしようとした瞬間、彼女が彼の顔を覗き込むようにして声をかけてきた。


 その声にはっと後ろに下がって彼女へと視線をむけると、純白のトップスに水色のスカートと見ただけでも涼しさが伝わるような、シンプルでいて爽やかな衣を纏っているのが見え、脳が焼かれたような感覚を覚える。


 忍が梅花を探してしまったのも、いつも制服姿を見ることが多く、その可愛らしい服装に気づかなかったからだ。


 いつもとのギャップにドキリと心臓が高く跳ねたが、彼女は装いだけいつもと違うだけでそれ以外は何も変わらない。とはいえ不思議と彼女を直視できない彼は、目を逸らして簡単に説明することにした。

 

「あー……すまん。連絡忘れてた。コンビニ行ってたら時間過ぎた」


「一人だけ涼んでたなんてズルいよお……」

 ――まぁ私としてはデートができるならいいけどね!


 ズルいと言葉にしながらもまったく気にしていない様子で、心の声は浮かれていた。

 

「……それで? どこに行くんだ?」


 忍の言葉で思い出したかのように拳を掌で叩くと忍の手を取って歩き始める。


 先導する梅花はやけに嬉しそうに笑みを浮かべて商店街を歩く。忍には丸聞こえだが彼女の心の中で彼とデートしていることを楽し気な声色で連呼しており、気分が上がっているのがはたから見ても伝わってくる。


「忍くん遅れたからそろそろ昼だし、最初はここ!」

 ――一度来てみたかったんだよねこの喫茶店!

 

「あぁここか」


 歩いてたどり着いたところは、今ではスーパーなどでもよく見るブランドで、緑で描かれたロゴが印象的な有名な喫茶店だ。


「ん? 忍くんもしかして来たことあるの?」

 ――基本的に外出しない忍くんが……?


「後半失礼にも程があるだろ……俺だって外出くらいするからな言っておくけど。まぁそれはそれとして普通に初めて来たぞ。ただ有名どころだからな。名前は知ってた」


「そういうことかー。びっくりした」

 ――てっきり誰か知らない女と来たのかと。

 

「ヤンデレみたいな発想はやめろ。……金は俺が払うから、領収書貰ってくれ。俺は先に席取っておくから、ドリンクは空木さんに任せる。何あるのかとか知らないから知ってる人が買えば間違いないだろうし」


「律儀だねぇ……どうせ遅れたからだろうけど、このくらい私が出すよ? もしくは割り勘?」

 ――男がお金出さないとかありえないっていう人もいるけど、私は気にしないんだけどな。


「まあ空木さんがそれでいいならいいけど、女子って色々大変なのは流石に知ってるし、待ち合わせに遅刻したからな出させてくれ」


「んー……まあいいけど。じゃあとりあえずドリンクは梅花ちゃんに任せなさーい!」

 ――ふっふっふっ……こういう時はオリジナルMIXブレンドの洗礼を……。


「……変なの持ってきたら家に出禁するからな」


「うぐッ……」

 ――その権利を人質にするなんて……! この人でなしぃぃ!


 


 そもそもドリンクバーでは無いのだからオリジナルでブレンドすることは不可能。その事くらいはさすがにわかってはいる忍だったが、万が一にも混ぜられたらたまったものじゃないと、忠告しつつ2人は店内へと入った。


「そういえば好みとか全く聞いてなかったけど、とりあえずはいどうぞ」

 ――変なものは入れてない純粋な抹茶ラテフラペチーノだよ〜。


 忍の元へと歩いてきた梅花の手には薄緑の抹茶ラテにソフトクリームがついたフラペチーノのカップ。そしてもう片方の手にはダークモカという焦げ茶色のコーヒーが入ったカップがあった。


「あぁ好みな……まぁなんでもいいっちゃいいんだけど、とはいえよくわかったな俺のが抹茶ラテだって。言ったことないのに」


「ふっふっふっ私にかかればこのくらい朝飯前だよ!」

 ――何となく好きそうで選んだだけなんだけどね!?


「勘で選んだな……でも一発で当てるなんてお前の勘は冴えてるな。ともかくありがとな」


「うひひ褒められたー! にしても抹茶ラテが好みってことは、コーヒーって苦手だったり?」

 ――抹茶ラテってほろ苦なのにふわっとした甘さがあるから、苦く感じないけど……。


 話しながら忍の前の席に座ると、小首を傾げて尋ねる梅花。もしかしてと心の中で推測すると、それに反応した忍が小さく頷き抹茶ラテに口をつけた。


「別にコーヒーは飲めない訳じゃないんだがあそこまで苦いのはどうにも苦手なんだ」


だけに苦手なのか……」

 ――苦いの苦手なのに苦ではない……??? ややこしいダジャレだ……やるな忍くん……。


「あほか。そのつもりで言ってないからな」


 1人で感心している梅花に冷たい目線を送ると、再び飲み物を喉に通す。


 刹那じゅるりと涎をすする音が聞こえ、恐る恐る彼女を見るとじいっと忍のドリンクを見つめていた。


 彼女から感じる嫌な予感にまさかと思っていると。


「忍くんの1口ちょうだい!」

 ――抹茶ラテ飲んでみたい!


「なんかデジャブを感じたんだが……そんなに飲みたいなら最初から2つ頼んでおけよ……」


「梅花ちゃんは欲張りなんですよ、どやぁ」

 ――欲張りもそうだけど、ここの抹茶ラテって美味しそうだから飲んでみたかったんだよね。


「はぁ……わかった。ほら」


「ありがとう忍くん!」

 ――うぇっへっへっへ……人生2度目の間接キスだぜぇ……。


「下心丸出しすぎてキモイわ」


 梅花の心の声にドン引きした忍は思わず腕を引く。


「ぬぅぅぅ……飲んでみたいのは本当なのになぁ……」


 結局忍が飲んでいる抹茶ラテを飲むことができなかった彼女はむすっとしながら喉を潤した後「サンドイッチも買ってくるね!」と言い残してぱたぱたとその場から離れていった。


 その間にちびちびと好みである抹茶ラテをゆっくり堪能していると人影が差しふわっとした柔らかな匂いが鼻をくすぐる。梅花のではないそれは席を間違えたのではと推測したが、刹那にして彼のはそれの正体を見破った。


 とてつもない胸騒ぎに慌てて振り向くと、そこには1人の少女が腕を組み忍を睨みつけている形で立っていた。


 少女は背が小さくまるで子供。いや、傍から見れば間違いなく子供に見られる容姿なのは確か。だが少女が本当は高校生であることを忍は知っている。なにしろ少女は忍の幼馴染であり、忍がトラウマを抱えてしまった原因でもあるのだから。


 少女の顔は引っ越ししてからもう見ることは無くなったと思っていたからこそ、少女を見た瞬間目を見開いて、まるで忍だけ時間が止まったかのように硬直していた。

 

「久しぶり、しの君」

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