第20話/毒親

「その、今日はありがとうございました」


 忍の恋人という勘違いをしている忍の母親の大盤振る舞いをごちそうになった後、玄関先でお礼を述べた梅花は夜道を歩き始める。


 流石に暗くなったから危ないと忍が心配していたが、すぐそこだからと見送りを断り一人で歩いていた。忍に好意を抱いているからこそ、その気遣いは彼女にとって嬉しいものではあったが、彼を想うからこそ自分の家庭事情には巻き込みたくないと思い断っていた。


 彼女はポケットからスマホを取り出し、通知を確認する。途中から気づいてはいたが菊城家でご飯を食べている時に梅花の親から連絡が入っていた。それも1回ではなく数えきれないほど。その着信歴に嫌気が差しつつ、電話をかけようとした刹那再びスマホが震え、親からの着信を知らせる。


 恐る恐る通話を開始してスマホを耳に当てて。


「……もしもし、お母さん……?」


『梅花! 一体どこにいるの! そもそも今何時だと思ってるの!』


「あ、えっと、ライムしたけど今まで友達の――」


『友達!? 何こんな時間まで遊んでるの! さっさと帰ってきなさい! そもそももう2年生にもなるんだから遊んでないで勉強して受験に備えなさい! 梅花には将来困らないようになってほしいから私だって頑張ってるのよ! だからもし次こんなことあったら外出禁止にするからね! わかった!?』


「……はい、ごめんなさい」


『謝るくらいならこんなことしないで! 頼むから心配かけさせないで!』


 電話越しに響く怒声。恐怖で体の震えが止まらず、親の怒りをどうにか鎮めようと悩む梅花。だが実の子供が親に反抗などできずただ謝ることしかできずにいた。


 一方的に怒声を浴びされ通話が切れた途端、梅花の呼吸が浅くなる。心臓を掴まれているような感覚に襲われ、無意識に手を胸元にあてては服を握りしめた。


 親が子供の心配をするのは当たり前のこと。だが、彼女の親は異常なほどに過保護なのだ。それも今に始まったことではないもので、彼女が嘘を吐くようになった理由の1つでもある。もちろんそんな親と知っているのだから、菊城家でご飯を食べることにしたことについては事前に連絡をしている。そのうえでの仕打ちがこれだ。


「はは……、菊城くんが羨ましいよ……」


 ぎゅっと自分の腕を抱きしめると思い詰めているような悲しい顔を浮かべて妬みの声をぽつりと零す。


 親の【理想】を毎日のように押し付けられ、時には暴力すら振るわれる。そんな環境だからこそ、忍の家は羨ましいと思う梅花。だがどんなに思ったところで、立場が変わることも親が変わることもない。ただひたすら、卒業まで【理想】を保ち耐えるしかない。自分の道はそれしか残されていないと彼女は感じている。


 一度助けを求めたこともあるが、梅花の親は表ではいい顔をしており誰もが騙されている。唯一梅花の母親の真の顔を知っているのは彼女の担任である吾妻と、見て見ぬふりをし、娘の気持ちに気づくことのない父親だけだ。


 ――――――――――――


「……ただいま」


 家にたどり着くころには胸の痛みは和らいでいた。それでも彼女が負った傷は癒えず嫌々ながら玄関を開ける。直後、ぱちんと軽く響く音と共に彼女の頬に衝撃が走った。


「遅い! 本当に今何時だと思ってるのよ!」


 叩かれた衝撃で思考が止まりかけていたが、ゆっくりと顔を戻して壊れそうな心を右手を握りしめることで耐える。しかし深い痛みは消えることは無く、溢れそうな涙を隠すように俯いた彼女はただ母親の問いに答える。


「は、8時……です」


「そう夜の8時! 学生は勉強が本分であってこんな時間まで遊んで良いわけにはならないのわかってる? 第一こんな時間まで友達と遊んでるなんて……その友達とはもう関わらないで? これ以上梅花に変な知恵を覚えてほしくないし、こんな時間まで遊んでるような社会の出来損ないの友達みたいになってほしくもないし、何よりあなたの将来のためなのよ、分かってくれるかしら?」


「……はい……ごめんなさい」


 忍への悪口が聞こえ再び拳を強く握り、歯を食いしばる。たとえ言い返したところで母を説得させることなどできず、無力な自分を心から恨み、責める。

 

 その様子に「梅花、何か言いたいことでもあるの?」と母親が圧をかけながら言う。


「ない……です」


「そう、まあわかればいいのよ。梅花はやればできるこなんだから」


 言いたいことだけ言い捨てると泣きそうになっている娘など知らないとばかりに、自分の生活を送り始める梅花の母親。彼女からするといつも通りに過ぎず、親の激怒から解放されたと知ると真っ先に自室へと向かった。


 自分の部屋だけは心を落ち着かせられる場所でありプライベートな場所。本来はそうだろう。だが備え付けの鍵をかけたところで、合鍵で開けられてしまうのだからいつだって彼女の心は休まることがない。


「……菊城くんの親、優しくて面白くて……良かったな……私の家は……なんで、私ばかり……もういやだ」


 心に負った傷は簡単には癒えない。それでも現実から逃げたい一心で彼女はベッドへと潜り込み眠りにつくのだった。

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