第11話 どうしても?

 皆さん、猫と一緒に寝たいですか?


 猫はきまぐれの代名詞のように扱われていますし、世間的には「つれない」存在と思われている節があります。

 ですがそんな猫と奇跡的に友情を育むことができたとして、さらには一緒にベッドで寝たいと言ってきたらどうしますか?

 猫好きの皆さん。胸に手を当てて考えてから答えてください。

 寝ますか?


 * * *


「……………………猫」

「にゃあ」

“どこからどう見ても、完璧な猫だぞ?”


(完璧な猫は、男の人の声で、自分を猫って言わないと思う……!)


 リーズロッテの部屋は二階である。

 まさかの臨場感あるジェラさんの声を聞いて窓を開け放ったら、地面を蹴って壁を登り、颯爽と部屋の中まで入ってきてしまった。

 そして、何食わぬ様子で窓の下の床に座り、ベッドで一緒に寝たいとの主張を繰り返している。

 リーズロッテは、白のシュミーズ・ドレス姿で、途方に暮れてジェラさんを見つめ返した。


「わたくし、記憶にある限り他の誰かと一緒にベッドで寝たことなんかないわ。お屋敷は広かったから、家族は各自それぞれのお部屋があったし、夜はどんなにひとりが嫌と父や母に頼み込んでも『貴族の娘がそんなことでどうする』と叱られて。ぬ、ぬいぐるみと一緒に寝ても怒られたのよ」


“寂しかったんだな。もうひとりにはしない”


 背筋に悪寒のようなものが走り抜けるほどの、蠱惑的な甘い声。

 う、とリーズロッテは三歩後退しつつも、目に力を込めて言った。


「そんな話はしていないの。過去の寂しさは、関係ない。わたくしはもう、夜はひとりで寝られるのよ」


“俺と寝ると、あったかいぞ”


 自信満々。猫毛をもふっと揺らして、にぃっと目だけで笑う。


(話が噛み合っている気がしない……! どうして童話の中のカエルも目の前の猫さんも、一緒に寝たがるの!? 一緒に寝ると何が回復するというの!?)


 カエルに一緒に食事をすることを迫られて、ベッドで寝たいと言われたお姫様の気持ちがほんのりとだがわかる気がする。

 もしジェラさんが、首筋をつまみあげて窓の外にぽいっとできるサイズであったら、ごめんなさいの気持ちを込めつつもぽいしていたかもしれない(二階なので躊躇はあるものの)。

 サイズ……。


 子牛のようなサイズ感。ブチ切れたお姫様のように壁に叩きつけることはおろか、持ち上げることすらできないに違いない。


「ジェラさん、猫というには大きすぎるのよ。一緒に寝たらわたくしの方が潰されてしまいそう」

“そんなことはしない。優しくする”


 ぞぞぞ。ぞくっ。


 猫なのだし、含むところはないと思いたいのだが、妙に緊張する。

 おそらくその、誰が聞いても痺れてしまいそうな美声のせいに違いない。

 惑わされる。


「ジェラさんのことは、決して嫌いじゃないの。一緒にいると楽しいから、食事にも行っているのよ。会えると嬉しいし、意思疎通のできるしゃべる猫で良かったと思っている。その、猫なのよね?」

「にゃあ!」


 実に朗らかに認められた。それでも、落ち着かないのはそのままで、リーズロッテは真剣な口調でさらに尋ねた。


「中にひとなんかいないわよね? つまり聖獣は聖獣であって、人間とは違う存在なのよね? わたくし、未婚の娘です。もしあなたの正体が人間の男性だった場合、言い訳のしようもないわ。結婚したわけでもない相手とベッドを共にするなんて、許されることじゃないもの」


 黙って聞いていたジェラさんは、深緑色の瞳を光らせて、面白そうに言った。


“「言い訳」は誰に? 「許されることじゃない」は、誰に? リズの体はリズのものだ”


「そうは言っても、こんなことわたくしの一存では決められません。もしあなたが猫じゃなかった場合、取り返しのつかないことに」


「にゃあ」

“猫だぞー”


「本当に?」

“本当にゃ”


 そこまで言われると、頑なに疑ってかかっている自分の心が狭いだけのような気がしてくる。相手は懇意にしている猫であり、わざわざ追いかけてきて、一緒に寝たいだけだと言っているのだ。


 ……懇意にしている「猫」とは?


 明らかに人間の言葉を理解し、教えたわけでもない女子寮まで追いかけてきて、圧倒的な魔力を持って話しかけてくる相手は果たして「猫」なのか。

 まだまだ迷いのあるリーズロッテの様子を気にしてか、ジェラさんは座ったまま、後ろ足で耳をかいてみたり、前足で顔を洗うなどの猫アピールをはじめた。うっすら、ごろごろと喉を鳴らしているのも聞こえる気がする。

 猫に見える。

 あとは、認めるかどうかだ。


「どうしても、同じベッドで寝るの?」

“できるだけ近くにいたほうが回復する。早く元の姿に。おっと”

 

(『おっと』? 何かいま、言いかけた?)


「『元の姿』って言った? どういうこと? 中にひとはいないのよね?」

“中にいるわけじゃない。いまは猫だよ、触って確かめるか?”

 

 ジェラさんが、優雅な足運びで近づいてくる。

 見た目は本当にうつくしく、猫の中の猫。世の猫好きであれば、こんな猫さんに熱烈に一緒に寝たいと言われたら、嬉しくて卒倒してしまうかもしれない。

 これまでさほど猫に興味を抱いたことがないリーズロッテでさえ、ほだされかけている。


“ほら、好きなだけ触ってくれ。ふわっふわの、触り心地の良い猫ちゃんだぞー”


 猫が猫であることを売りにして、さかんにアピールしてきている。

 後ろめたさを感じつつも、リーズロッテは物は試しと、ふるふると震える手を伸ばしてジェラさんに触れてしまった。


 ふわっ。もふっ。


 つやつやっとした見た目通りの滑らかな指通りながら、しっとりしすぎているわけでもなく、むしろ抜群のふわふわ感。


(すごい気持ち良い。いつまでも触ってられる……指が幸せ)


“もっと触っていいんだぞ。ほら。全身どこを触っても、良い。そう、そこ、気持ち良い。猫はそこを触られるとすげー気持ち良いんだ。そう、上手い上手い”


 リーズロッテは「そこ」「もっとこっち」「ここも」と指定されるたびに手を伸ばし、はっと気がついたときには不安定な小さな体を支えるために、ジェラさんの首にしがみついていた。


「あの……」

“大丈夫。これは猫との正常なコミュニケーションだ。いかがわしい気持ちになる方がおかしい。堪能しただろ?”

 

 戸惑う心を見透かすように言われて、リーズロッテはこくん、と頷いた。

 相手は猫なのだし、いけないことをしているような気分になる必要はないのだ。

 

“この毛並み、これだけ気持ち良いんだ。くっついて寝るとさらに至福だぞ? さ、ベッドに行こう”


 このとき、なぜ押し切られてしまったかといえば、やはりすべすべの毛が気持ちよかったせいに違いない。

 正常な思考力が奪われていた。


 リーズロッテがベッドに横になり、上掛けをかけると、ジェラさんはしゅっと足元に乗り上げた。中に入り込んでくることはない。 


「そこで良いの?」

“うん”


 意外なほど行儀が良い。

 成人用のベッドで、子どもの体のリーズロッテには余している大きさだ。きちんと距離をとってくれれば、ぶつかることはない。


(ぬいぐるみを抱っこして寝ることもできなかったけど、猫。抱っこして寝たら気持ちよさそう……でも、自分から誘うなんてはしたないわよね。抱っこしたいなんて、絶対に言えない)


 しばらくするとドキドキも収まってきて、しぜんに眠くなってきた。おやすみなさい、と言ってしまうと後はあっという間に眠りにひきずりこまれてしまう。

 リーズロッテの足元で、丸くなって寝たふりをしていたジェラさんは、闇の中で緑色の目を輝かせて、寝息を立てているリーズロッテを長いこと見つめた。


 ゆっくりと部屋の中を見渡してから、再び目を瞑った。 

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