第30話 八つ当たり

 階段を登ってくる音が聞こえる。軽快なリズム。

 これは杏奈だな。

 そもそも、この部屋に来るなんて杏奈以外にはいない。


「イエーイ! お菓子食べよー! ……って、どうしたんこれ?」

 俺の食べ散らかした後のテーブルを見て、杏奈が驚いた声を上げた。

 

「どしたん?」と聞かれても、見たまんま。

 暴食、というよりもダイエットを始める前に戻っただけだ。


 でも杏奈は、俺の様子がおかしいのに直ぐ気づいた。


「最近、頑なにお菓子拒否ってたのに……」

「別に。お前だって、俺にダイエットやめろって言ってただろ」

 自分でも冷たい態度を取っているなって思う。

 でも今は誰とも喋りたくない。

 

 それでも杏奈はいつもの調子でテーブルの上のゴミを一旦片付け、持参したお菓子を並べた。


「まぁまぁ、そんな頑張らなくてもさ、悠伍はウチと違って毎日頑張ってんじゃん。そのうち痩せるよぉ」


 気休めにもならない言葉を平然と言う。

 それで余計にイラついてしまった。

 喋りながら、もうお菓子の袋を開けている。

 俺がこんなにも悩んでいるのに。そりゃ、杏奈にとっては他人事だろうな。


「……帰ってくれ」

「なんでそんな酷いこと言うん? そんな思い詰めることじゃないじゃん」

「はっ? お前にはわかんないだろ、俺の気持ちなんて!!」

「何それ? ウチが悪いことしたみたいじゃん」

「お前が俺のダイエットの邪魔しにきてんだろ」

「じゃあ、ウチがきてなかったら悠伍は痩せてたって言いたいわけ?」


 どっちもが売り言葉に買い言葉をぶつけ合う。

 本心じゃないって頭のどこかで分かっていても、苛立ちを抑えることはできない。


「お前もどうせ、俺が太いのを馬鹿にしてんだろ!!」

「そんなこといつ言った? ウチは、別に悠伍は痩せなくてもいいって言ってんじゃん」

「俺が痩せたいって言ってんだろ。ずっと大路に馬鹿にされて、虐められて。周りからの視線も冷たくて……。だから、生まれ変わろうって……思って……」

「そんなの、ウチが一緒にいるからいいじゃん。ずっと悠伍の側でいるっつってんじゃん」

「お前だけがいて、何になるんだよ!!」


 言っては行けないことを言ってしまった。

 完全に八つ当たり。

 それでも発してしまった言葉は消せない。


 杏奈の目に、みるみる涙が溜まっていった。

『ヤバい』なんて思っても、もう遅い。


「……悠伍なんて嫌い。痩せるも太るも、勝手にしろよ」

 グーに握った手で、テーブルを思い切り叩きつけると、杏奈は部屋から出ていった。


「何だよ。俺が悪いのかよ。いっつも邪魔しに来てたんだろ。今だって……お菓子、持って帰れよ」


 買い物袋にお菓子をねじ込む。

 床に叩きつけたいくらいだが、そこはグッと堪えた。


 今回のは、いつもの喧嘩とは訳が違う。

 

 完全に怒らせた。

 言葉とは裏腹に、後悔と焦りに責められる。

 自分が悪いのか?

 杏奈は泣いていた。

 そうか……泣かせたのは俺が悪いよな。


 俺がダイエットなんてしなければ、こんなことにはならなかった。


 いつものようにお菓子やご飯を食べて、満腹になったら寝転んで、まったり過ごせば良かったんだ。

 そうしたら、平和でいられた。


 大路の虐めだって、そのうち飽きて向こうからやめるかもしれない。

 それを俺は、一生付きまとうものみたいに、杏奈にぶつけた。


 今日はもう異世界へは行けない。

 

「明日、ダイエットやめますって言いに行こう」

 

 俺はこれからも現実世界で生きていかなければ行けない。

 異世界は楽しいし、エマさんとステラさんともせっかく会えた。でも、いつまでも甘えるわけにはいかないんだ。


 今日食べた物もなかったことには出来ないし、食べることが罪悪感でしかない。

 こんな生活、ちっとも楽しくない。


 何で痩せられると思ったんだろ。

 俺なんか、痩せられるはずもないのに。

 これだけやっても痩せないなら、もう見込みもないはずだ。

 あの二人は、言い出せないだけなのかもしれない。


 明日行ったら、暴食したことも全て話して終わりにしようと思った。


 杏奈が持ってきたお菓子は、台所に片付けておいた。

 前なら余裕で食べられていたが、さっき急激に食べ込んだからか、何も入りそうにない。


 気分も落ち込んでいるし。

 

 散歩にでも出掛けて、気を紛らわせることにした。

 夕方の河川敷へと向かう。

 

 相変わらず、俺は一人だ。

 これまでは寂しいとは思わなかった。

 でも、今はそれを少し寂しいと思うようになっている。


 エマさんとステラさん、アナイスさん。それに杏奈も。

 人と一緒に過ごすことに、知らないうちに慣れてしまっている。

 喋ったり、一緒に行動するのが楽しいとインプットされてしまった。

 

 また、一人が平気と思えるようになるだろうか。

 

 こんな虚無感に苛まれる日が来るとは……。

 

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