第9話 個人データ

 この施設に来るたび、こんなにドキドキしっぱなしなのか。

 正直、心臓が持たん。

 

 今日のエマさんは、膝丈のスカートとはいえ体にピッタリと沿った生地は、腰から腿のラインを強調している。

 小さい下着の形までくっきりと反映されているそこには、なるべく視線を向けないように意識する。


 そしてステラさんもスキニーパンツで細い脚がより長く細く見える。

 形の良いスラリと伸びた脚は『美脚』の代名詞と言っていいだろう。


 こんなにも正反対の二人だけど、姉妹なんだなぁ。と、エマさんとステラさんのやりとりを見ているだけで楽しい。

 午前中のいやだった記憶も、この二人によって塗り替えられる。


「そういえば、昨日お渡ししたファイルを書いていただけましたか?」

「はい、えっと……もしダメな項目があれば書き直しますので」

 自分で書いたことだが、強気に書き過ぎたかもしれない。 

 目標よりもご褒美に力を入れてしまったのを、今更ながらに後悔した。 

 しかし今更書き直すわけにもいかず、渡すのを渋っていたらステラさんが隙を見て取り上げた。


「あっ!!」

「いいじゃん、早く見たいもん」

「ステラ、私にも見せてください」

「あ、いや、でも基準がよく分からなくて……」

「いいんですよ、ご自身の希望を叶えるのがこの施設ですから」


 姉妹が顔を寄せてファイルを覗き込む。

 なんで俺はあんなことを書いてしまったのか……。

 今から書き直しますって言った方が良いのでは……。でもそんなことを言い出せるわけもなく。調子乗った昨日の自分を恥じた。


 項目を一つ一つチェックしていくエマさんとステラさん。

 初めこそ頷きながら読んでいったが、最後のご褒美の項目で明らかに二人の表情が固まった。


「こ……これは……」

 エマさんが顔を再び赤く染めた。

「あわわっっ!! ごめんなさい!! すぐに書き直しますから!!」

 ファイルを取り上げようとすると、ステラさんが避けた。

「あの、返してください」

「ダメ!! 男に二言はないよ!! 悠伍さん!!」

「でも、流石に調子に乗り過ぎたって自分でも分かるので……」

「……これで、いいですよ!!」

「エマさんまで……。だってこれじゃ……」

「いいんです!! 敢えて何も基準を設けずに書き込んでもらうのが規則なんです。そのほうが本音が書けるので。基準を決めてしまえば、本当の希望が書けなくなります。悠伍さんが、このご褒美のために頑張れるなら、これが正解なんですよ!」


 エマさんの力強い言葉に、何も言い返せなかった。

 ステラさんもうんうんと頷いている。


「あの……よろしくお願いします……」

 下半身がモゾモゾする。

 ダメもとで書いたけど、そう言われてみれば確かにあれが一番の望みだ。

 それが叶うなら、やりたくもないダイエットを頑張ろうという気にもなる。


 エマさんとステラさんが良いって言うから大丈夫なんだろう。

 もし、その時になってやっぱりダメだと言われたら、その時別のご褒美を考えればいい。


「じゃあ、今日はお散歩に行きましょう! この施設の外には広い公園があって気持ちいいんですよ」

「え? ダイエットはしないんですか?」

「これもダイエットの一環ではありますが、始めたばかりですし、いきなり激しい運動もよくないですし」

「そうそう、今日はデート気分でいいじゃない!」


 ……ダイエットって、もっと厳しいのかと思ってたけど違うのか?

 それともまだこれから俺のダイエット計画が練られるのか?

 俺は痩せることに関して無知中の無知だから、エマさんとステラさんの考えてることが全く分からない。


 施設の外へ出ると、程よく暖かい気温だった。

 芝生が広がる広場の周りにはウォーキングに最適なコースが設けられている。

 そのさらに周りには木が生い茂っていて、適度な影を落としてくれているから、そこを流れる風が肌に触れて心地いい。


「本当に気持ちいい場所ですね。自分の地元にもこんな場所があればいいのに」

「悠伍さんの住んでるところってどんな感じなの?」

「普通に住宅が所狭しと建ってて、合間に小さな公園くらいはあるけど……。買い物に行くのも体を動かしに行くのも車移動が必須かな」

「なるほどー、じゃあ気軽に体を動かせる環境がないんですね」

「まあ、今までは何も思わなかったけど、いざダイエットを始めてみれば不便だな。とは思いました」


 普通に歩きながら、世間話をして時間が過ぎてる。

 これがどうダイエットにつながっているのかは分からない。

 ダイエットといえば、厳しい筋トレに厳しい食事制限が鉄板だろう。

 今日はどれも押し付けられていない。


「学校に行くときは歩かないんですか?」

「駅まで徒歩でそこからは電車、最寄りの駅から大学までは徒歩二十分ってところですかね」

「へぇ。それを毎日なんでしょ? だったら、往復も考えて結構運動できてるじゃん」

「こんなの、運動のうちに入らないですよ?」


 ステラさんがそれも運動になると言い張っている。

 不思議だ。

 もっとアレはダメ、これはダメとか、言われるかと思ったのに。


 こうして三人で散歩を楽しんで帰ってくると、二時間以上も経っていた。


「こんな長時間、歩いたと思わなかった」

 思わず本音が出た。

 だって今朝は凄い頑張って一時間歩いたのに、それよりも時間の感覚は短く感じた。


「わぁ! その言葉が聞きたかったんですよ」

「どう言うことですか?」

「楽しい時間って、過ぎるのが早いと思いませんか?」

 付けていた万歩計を確認すると一万歩に届きそうなほど歩いていた。


「……確かにそうかも。さっきは本当に楽しかったです。こんなに人と会話することもないので」

「悠伍さん、本当はお喋りとかお好きなんですね」

 エマさんに言われても、自分では苦手だと思っている。

「そうだよねー! 悠伍さんとの会話って、全然途切れないし。ボクも楽しかった」

 ステラさんも普通に楽しんでくれたなんて、この感情をどう受け取ればいいのか戸惑ってしまう。


 杏奈以外の人で、俺と過ごして楽しいなんて言う人はいない。

 仕事だから、俺を喜ばせようとしてくれているのか。

 こんなことでいちいち反応するのも変なのかもしれないけど、緩んだ口元を隠すのは困難だった。

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