エピローグ
あれから
「田の神って、なんで『災い』を告げに来たんだろうな?」
秋めく日。今年の米は豊作。
たんたんころりんから貰った柿をむしゃむしゃ食べながら、サチは言った。
■
人形を破壊した後、俺には記憶がない。
というのも、あの後気を失ってしまったらしい。気づいたら、病院のベッドで寝ていた。
俺は大したことがなかったけど、サチとトモチカさんは全治二週間の大怪我を負っていた。これには、ミドリさんもマサツグさんも黙っていないだろう。お世話になっている家の娘さんを大怪我させてしまったのだ。
けれど、ミドリさんとマサツグさんには、逆に頭を下げられてしまった。
『どうせサチが無理しただけでしょう』『いつもタケルくんに世話を押し付けて、本当に申し訳ない』『君が無事で、本当に良かった』そう言って、深深と頭を下げられた。
だけど、今回は逆だ。サチが俺のわがままに付き合ってくれたんだ。……それなのに俺は、二人に打ち明けられなかった。こんなに心配かけて、お金も時間もたくさん使わせてしまったのに。
罪悪感を抱えていたら、よ、と別室で入院していたトモチカさんが、点滴と一緒にやって来た。
それから、トモチカさんから詳しく事情を聞いた。アマノは無事で、今家にいること。割れた窓ガラスや部品は、ミドリさんたちが弁償してくれたこと。本当に二人が心配していたこと。特にサチは、二人が交互に見舞いに来てベッドに繋がれていること。
『いやー、絞られているサチ、ケッサクだったわー』ハハハ、と乾いた笑みを浮かべる。『俺も母親に絞られたけど。そりゃもう怒られた』
聞けば聞くほど申し訳なくて、俺は身体が縮む思いだ。
『……それで、クマカワ先生のことなんだけどな』
そう言って、トモチカさんは重い口を開くように話し始める。
あの人形を破壊した後、クマカワ先生は消えてしまったらしい。
というのも、あれは呪いを肩代わりさせていたものなので、人形を壊せば呪いはクマカワ先生の方へ返っていく。その呪いによって、身体の一部も残らなかったらしい。唯一その様子を見ていたサチは、『向こう一週間メシ食いたくねえ』と漏らしたそうだ。
それを聞いて、俺はシーツを握りしめる。
クマカワ先生のやったことが返ってきたのなら、その結末は当然かもしれない。けれど、頭の中に浮かぶのは、人形を砕くたびに流れ込んできた、クマカワ先生の記憶だった。
先生は、どうすればよかったんだろう。いるだけで遠ざけられ、信じたら裏切られ、寄ってくるものは利用しようとしてくる。あれは、先生の努力で何とかなるものだったんだろうか?
――普通になりたい。
きっとあの頃のままなら、町の破滅ではなく、クマカワ先生はそう願ったのだろう。けれど、それは受け入れないとばかりに粉々にされた。
あんな目に遭っても、俺は誰かを憎まないでいられたんだろうか?
『色々考えることはあるかもしれないけどさ』考え込む俺に、トモチカさんが言った。
『藁にすがるような想いで助けを呼んだら、もう他の人に助けを呼ぶ元気は無いからな。
いつでも余裕のあるうちに、色んな人に助けを呼んでおけよ』
そう言って、トモチカさんは病室を出る。きっとトモチカさんも、色々あったんだろう。
皆、言えないことが色々ある。それでも、色んな人に打ち明けて、助けを求める。
アマノは、それが出来た。
俺は……助けを求める前に、助けられてる気がする。
入院生活が終わり、サチのところへ行くと、サチが怪獣のごとく暴れていた。相変わらずなこと。
やれ母さんと親父が怖かっただの、監禁されて退屈で死にそうだっただの、色々言う。心配させたんじゃないか、と言いかけてやめた。原因は俺だからだ。
そう、俺が『話したい』なんて言わなければ、サチはもっと安全で確実な方法をとっただろう。それなのに、どうして『いい』なんて言ったのか。
そう尋ねると、『だってお前』とサチが言った。
『お前、目玉焼きになんもつけないじゃん。サラダにもトーストにもご飯にもなんも』
……思わぬ返答に、俺は『はあ?』と返す。
『あたしがやれ塩だのソースだの、ドレッシングだのマヨネーズだの、チーズだのジャムだの海苔だの梅干しだのしてるのに、お前、一度も付けなかったじゃん。部屋にある本棚にも中々触んねーし、ゲームだって誘わないと全然やらない。パソコンにも触らねーし、あたしがスマホを持っていても、ずるいとか欲しいとかも言わない。
それで思ったんだよ。お前、あたしたちに遠慮して、なんも試そうとしてないんじゃないか? って』
『いや……それは……』
違う、と言いかけて、はた、と気づく。
確かに俺には、好みみたいなものがほとんどない。何かをしたい、と思ったこともない。
それは、何かしようとすると、幸村家に迷惑がかかるからだと、どこかで思っていたのかもしれない。無意識だったけど。
『そんなお前が、「話したい」と言った。……ま、ただの気まぐれだよ』
それを聞いて、俺はすう、と、緊張の糸が切れる。
「自分さえ良ければいい」と他人を振り回しながら、人のことをよく見て、さりげなく助けてくれる。幸村サチとは、そんな人間だった。
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