予想外のこと

 とっさに動いたのはサチだった。まるで弾丸のように、クマカワ先生の方へ飛んでいく。

 が、それよりも速く、廊下の向こう側にいたはずの人型が飛んできた。

 バキン‼

 ついに木製バットが折れる。破片が、サチの頬をかすめた。

「サチちゃん!」

「だいじょーぶ。……とは、言えねえかな」

 声もいつもより弱弱しい。こんなサチは初めてだ。


 いやそれより、クマカワ先生の呪力は、札に吸われたはずだ。どうしてクマカワ先生が、呪力を使えるんだ⁉


 混乱していると、スマホから電話が掛かってきた。

 画面には、『終了して応答する』と『拒否』、『保留して応答する』が出てきている。

「え? え?」

 初めて見る画面に、俺はどうすればいいのか混乱する。

 するとトモチカさんが、「貸して」と言ったので、俺はトモチカさんに渡した。

「もしもし」

『ああ、タケルか⁉』

「いや、トモチカ。その声は天狗のおっさんか?」

 トモチカさんがスピーカーにしてくれた。おかげで、天狗の声がこっちにも聞こえた。

『すまん! 俺の見通しが甘かった! ヤツは別のところに、自分の呪力を隠している‼』

「え⁉」

 何それ。そんなの、あり?

『呪術師は、「呪い返し」をされる可能性も考えて、その呪いを肩代わりさせる形代を作ってんだ! そこに呪力も隠してたんだ! それを壊せば、奴は無力化できる! どこかに埋めているはずだ!』

 埋める?

 そう言われて、俺ははっと思い出す。

 ――校長先生と会う時も、さっきも、クマカワ先生は花壇にいた。まさか。

 俺はサチの方を見た。サチはかろうじて式神の攻撃を避けているが、だいぶ疲弊している。捕まるのも時間の問題だ。

 俺は渡り廊下からそのまま飛び出し、花壇のところへ向かった。後から、トモチカさんとアマノがやって来る。

 掘り出している俺の様子を見て、察してくれたんだろう。何も言わず、アカネが土をかき分け始める。トモチカさんはスコップを持ってきてくれた。


「まさかあなたたち、本気でアマノアカネが人間として生きていけると思ってるの?」


 校舎にいるはずなのに、その声は校内放送のようによく聞こえた。

 耳をふさいでも、頭の中に直接響き渡るようだった。


「あなたたちだけが認めても無意味だわ。アマノアカネは人間でも妖怪でもない中途半端なやつよ! そんなやつを、社会が受け入れるわけないじゃない!」


 その声に、アマノの顔がゆがんだ。

 そうだ。大切な人たちに受け入れられても、社会に受け入れられるかは別だ。俺たちはこれからずっと否定され、拒絶される。隠れて生きないといけないし、バレたらすべてを失うかもしれない。

 アマノはこれからもその不安を抱えて生きる。俺もきっとそうだ。――それでも。

 

 そう思った時、カツン、と何かがあたる。

 必死にそれを彫り出すと、木で出来た人形が出てきた。それは真ん中に穴が空いていて、その穴に髪の毛が通っている。これを壊せば。

 俺は無我夢中で、スコップを人形に突き刺した。その途端、頭の中に、誰かの記憶が入って来る。


 ――それは、クマカワ先生の記憶だった。

 怖い、助けてと言っても、大人の人たちに『気味が悪い』『嘘つかないで』と言われ続け、子どもたちからは『妖怪』やら『魔女』やらと言われ続けた。

 その『妖怪』たちは、クマカワ先生を見る度、ちょっかいをかけたり、からかったりする。

 それでも、クマカワ先生は皆に好かれるよう頑張った。

 普通になりたい。

 人から押し付けられた仕事をこなした。会話を振られた時は、ただ「そうなんだ」と返した。「あの子って自意識過剰で構ってちゃんだから」といじられても、怒らないで笑えるようにした。

 やがて、妖怪が視えることを受け入れてくれる人たちが現れた。

 けれど、それは受け入れたふりをしていただけで。

 彼らは面白がって、クマカワ先生を心霊スポットに連れて行き、――置いて行った。

『ここは危険だ、入っちゃいけない』そう泣きながら訴えても、皆ニヤニヤするだけで、誰も取り合わなかった。泣きわめく彼女を、動画に収めていた。『これでどれぐらい再生数稼げるんだろうな』という声が響く。

 クマカワ先生はその時、初めて人を呪った。


 そのうち、クマカワ先生の呪いの噂を聞きつけて、悪い先輩が口止めの金代わりに呪いを依頼する。髪を脱色させ、口元にピアスをつけた男は、禍々しい笑みを浮かべていた。

 それが彼女の、呪術師としての始まり。

 利用されてたまるか。裏切られてたまるか。そうやって私をいいように使っていると勘違いすればいい。私がお前たちを支配してやる。いつか全部、お前たちが大切にしていたもの、築き上げたものをぶっ壊してやる。――

 

 ほんの少ししか見えなかったけど、それはほとんど痛みのように俺に入り込んできた。

 受け入れられないばかりか、裏切られたことで、どれだけクマカワ先生は傷ついたか。どんどん現状が悪くなる中、その中で生き抜くために、目に映るものすべてを憎んだ。自分自身でさえ。

 涙が止まらない。どうして、誰もクマカワ先生の味方をしなかったんだろう。サチやトモチカさん、タナカ先生みたいな人が、どうして現れなかったんだろう。

 多分俺とクマカワ先生は、たったそれだけの差だった。


「生まれてきたのが間違いなのよ! それなら、ここで死んだ方がマシでしょ⁉」

「うるせえ。お前が決めるな」

 サチの声が、鋭く飛んできた。

 クマカワ先生の過去に触れて、ボウっとしていた俺は、ハッと我に返る。人形はまだ割れていなかった。俺はもう一度、スコップを人形に突き刺す。


「アカネはお前じゃない。アカネのことは、全部アカネが決める」


 サチがそう言った瞬間、人形にひびが割れて。

 パアン‼

 破裂するような音と同時に、視界が真っ白になった。

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