対話する 2
ぐにゃり、と視界がゆがむ。
そのまま、俺は机の上に倒れ込んだ。椅子のパイプに肘が当たって痛い。
その衝撃でティーカップが倒れ、ソーサラーと机の上に紅茶が零れた。
「せ……せんせ……」
クマカワ先生は見下ろしていた。無感情の目で。
「あなたたちが私を嗅ぎ回っていること、知ってるわ。アマノアカネとも接触したわね?」
バレていたのか。
指ひとつ動かせられない状態で、俺はクマカワ先生を見上げる。
クマカワ先生の顔から、いつもの笑みが消えた。今は、昔本で見たような、能面のように見える。
「全くあの狐、油断の隙もありゃしない。誑かすのだけは一人前ね。けど、いいわ。
臼井くん。私はね、あなたも使えるんじゃないかと思ったのよ。アマノアカネと比べても、見劣らないほどの呪力を持っている。ずっと気になっていたけど、あのピンク頭に邪魔され続けた」
ハッ、とクマカワ先生は鼻で笑った。
「まさか一人で来てくれるなんて思いもしなかったわ。何かの罠かと思ったのに、本当に相談するだけだったなんて。
別にアマノアカネじゃなくても構わない。あなたを使って、この町を災害で満たしてやる」
「……あ、なたは、何をしたいんですか?」
何とか出てくる言葉を振り絞って、俺は尋ねた。
「川を氾濫させて……町を壊して……なんの得になるんですか?」
ビジネスなのか。それとも、願い事を叶えるためなのか。
そう言うと、クマカワ先生は少しだけ黙って、
「……あなたにはないわけ?」
そう言った。
「これだけ『嘘つき』呼ばわりされて、『気持ち悪い』って言われて、同級生からは除け者扱いされたり都合よく使われて。何もかもぶっ壊れてしまえばいいって、思ったことはないの?」
俺は呆気にとられた。――ビジネスでも、何か願い事を叶えるわけでもなく、それはただの破滅願望だった。
そう返すと、はあ、とクマカワ先生はため息をつく。
「あなたもアマノアカネも、ずいぶんいい子ちゃんね。人を憎まないなんて気持ち悪い。それとも何? まだ期待してるの?」
そう言って、ぐい、と俺の前髪を掴む。
「さっきも言ったでしょ。『視え』なきゃ、話にならないって」
うっすらと、クマカワ先生の口が三日月のようにつり上がった。「おとぎ話みたいに、皆と手を取り合って、仲良く過ごせると思ってるわけ?」
「……違う」
俺の言葉に、ぴくり、とクマカワ先生の表情が動く。
――ずっと、自分と同じ世界を見る人と話したかった。
だからこんな時になんだけど、サチに頼んだ。こんな機会、最後かもしれないから。
同じものが視える人間なら、分かち合えるんじゃないかとずっと思っていた。
だけど、現実はそうじゃなかった。
『なるほど。話は分かった』
『サチは確かにいい加減だが、嘘はつかない』
あの時トモチカさんは、実際に妖怪を視る前から信じてくれた。それはサチのことを信じたからだ。
結局、『視える』『視えない』は関係なくて、信じるか、信じないかなのかもしれない。
いや、もっと単純な話だ。
それがクマカワ先生と話して、よくわかった。
「同じものが『視え』たとしても、俺の気持ちが、クマカワ先生にわからないように……俺も、クマカワ先生の気持ちはわからない……」
誰かの憎しみや怒りを煽って、お金にしたり。女の子を脅して、全部壊すために川の氾濫を起こしたり。そんな人の気持ちは、理解できない。
俺がそう言うと、戸惑ったようにクマカワ先生の動きが止まる。
一瞬、それは泣きそうな顔に見えた。けれど、見間違えだろう。カッと、クマカワ先生の目が見開かれる。
「……んの、ぶっ殺してやる!!」
そのまま指が、俺の首にかけようとした。
その時だった。
ガッシャ――――ン!!
窓ガラスが、全開に壊される。
ガラスの破片が、床に飛び散る。その上を、赤いスニーカーが踏み荒らした。
「……幸村さん?」
クマカワ先生が、ポカンと口を開ける。
「よーっす、クマカワセンセー。お仕事おつかれさまでーす」
呑気に間伸びしながら、持っていた木製バットを振る。
「いやー、外で待ってたらビックリしたわー。『ぶっ殺す!』なんて言葉が聞こえてくるし。バッチシ録音もしててよかったよかった」
「……なっ」
「あ、窓ガラス割ったけど、これ正当防衛だよな? 確か『ぶっ殺す!』って言うのも、脅迫罪になるんじゃなかったっけ?」
「いややり過ぎだろ!」
ガラ、と、トモチカさんがドアを開ける。
「ふつーにドア開けりゃいいのに、なんで割るんだよ。めっちゃくちゃ高ーんだぞ、窓ガラスなんて誰が弁償したり掃除したりすると思ってんだ、てかタケルが怪我したらどーすんだ読者が真似したらどーすんだよ!」
「あ、あなたたち! どうやって……人避けの結界は張っていたのに!」
思わぬ二人の登場に、クマカワ先生がうろたえる。
「ん? どうやってここに来たかって? なんであたしらがんなこと、教えなきゃなんねーだ?」
ニッコリと、サチが返す。
「いやーしかし、よく喋るわりに、悪口のボキャブラリーが貧困だなお前。
自分に言われた悪口をオウム返ししてんのか? 自己紹介?」
うん、今日も絶好調だな。サチの煽り。
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