悲しい過去
■
アマノアカネは、生まれた時からピンク色の髪だった。
けれど、狐の耳や尻尾はなかったという。
アマノアカネには現在、血のつながりのある家族がいない。母親は早くにいなくなり、父は去年の冬に他界したらしい。その前に父親は再婚していた。けれど継母にあたる女性は、父親が不治の病で入院してもほとんど看病せず、彼女が引き受けていたそうだ。
そんな中だったという。――狐の耳としっぽが、彼女の身体に現れたのは。
それを見て、父親は微笑んだという。
『母さんに、そっくりだ』
そう言って、彼は息を引き取った。
アマノアカネは悲しみより、強烈な不安を抱いていた。
父親から、実の母親の話を聞いたことがなかった。そんな父親の、突然の告白。そもそも自分は人間ではなかったのかと、愕然とした。
いや、自分は人間だ。人間として産まれて、人間として生活してきたはずだ。
同時に、『人間にピンク色の髪の子が産まれるなんてありえないでしょう』と、教師に言われたことを思い出す。その度に父親は、『この子の髪はストロベリーブロンドと言って、母親ゆずりなんです』と返していた。
――この髪は、人間のものじゃない。
――母親は、人間じゃないの? 昔話に出てくるような、キツネの妖怪なの?
そう尋ねたくても、真相を知る人はこの世にいない。
とまどいながらも、まず帽子で耳を隠し、長いコートを着て尻尾を隠した。冬であったことが幸いした。
自分で手続きを行い、葬式の準備を済ませた。
継母は泣き崩れて、何もしなかった。それだけじゃない。
『どうして死ぬ時に、私を呼ばなかったの!』
そう胸倉をつかんだという。
その時に、帽子が外れ、耳を見られてしまった。
それを見て、継母は叫んだという。
『妖怪が娘のふりをしていたのか! この化け物、お前のせいだ! お前のせいで、あの人が死んだんだ!』
彼女は頭が真っ白になった。
それでも何とか弁明しようと思って、声を出そうとした瞬間、継母は『ひっ』と声を上げ、身体をすくませた。
『寄るな化け物! この人殺し、来るな、誰か! 誰か助けて、殺される、あの人みたいにっ……!』
以降、継母は彼女の前に姿を現さなかった。
自分のせい?
自分のせいで、父親が死んだ。
その呪いが、彼女の心に重くのしかかった。
アマノアカネは、人前に出ることができなくなった。
幸い、父親が闘病する前から不登校だったので、今更学校に行かなくても問題はない。ただ、一か月に一度、支援の人が面談にやって来る。
面談に来たのは、タナカ先生だった。
中学への進学が差し迫ったため、校長先生が案じ、タナカ先生に頼んだという。
と言っても、登校させるためではなく、彼女の意志や状況の引継ぎを行なうためだった。
そこでタナカ先生は、彼女の『秘密』を知った。
彼女は罵倒されることを覚悟した。けれどタナカ先生はその秘密に対して、何も質問をしなかった。ただ、普通に世間話をして、将来について尋ね、そして帰ったらしい。
そういう繰り返しを、何度かしているうちに、彼女はタナカ先生に心を開いていった。
ある日タナカ先生は、こう言った。
『キミが学校に行かないで済む方法も、学校に行ける方法も、一緒に探してみよう』
彼女は、人が大好きだった。外見で色々言われても、『化け物』だと言われても、人が好きで、誰かと話すのが好きだった。だから人と会えるようになるなら、そうなりたいと考えた。
『もしかしたら、外見を隠せる方法が見つかるかもしれない』
妖怪のことなんて何も知らないタナカ先生は、『調べてみる』と言った。
『見つからなくても、キミがキミのままでいても、気にしない人たちが絶対にいるはずだ。
私が、キミをそこまで連れていく』
タナカ先生に背中を押され、アマノアカネは人前に出る訓練を重ねた。
この身体で過ごしてみると、耳と尻尾がどんなタイミングで出て、どんなふうに隠せるか理解し始めた。心を穏やかにすれば、出ないようにすることができた。逆にビックリすると、出てくることが分かったのだ。
驚いて出てきても、帽子や腰巻代わりの何かを巻けば大丈夫かもしれない。僧提案したのは、タナカ先生だった。スカートを履くとめくれてしまうので、彼女は特注の服を作ってもらった。
そうして、訓練のため、狐塚の市立図書館まで連れて行ってもらった、その日。
あの事故は起きた。
その場を離れていた彼女は、事故そのものを見ていない。
帰ってくると、目の前にはへしゃげた車、煙と炎、割れたガラス、散らかった机や椅子。そして――息も絶え絶えのタナカ先生が倒れていた。
茫然としている中、彼女は足元にあったスマホを見つける。
タナカ先生のスマホだった。いつもはパスワードが掛けられて見えないそれは、『通話中』と書かれていた。
アマノアカネは、恐る恐るそれを手に取った。すると。
【こんにちは、人間のフリしてるキツネモドキさん】
その声に、心臓を掴まれたようだったと、彼女は言う。
【よくも邪魔してくれたわね。苛立たしいけど、でも、ちょうどよかったわ。
あなた、私と手を組まない?】
『邪魔? 手を組む……?』
話が見えてこない。だが質問は受け付けないとばかりに、その声は被せてきた。
【拒否権はないわよ。教師が一生徒と頻繁にプライベートで会ってたなんてバレたら、その教師、どんな目に遭うでしょうね】
ぞっとする言葉に、彼女は絶句した。
自分の正体が知られているだけじゃなく、自分とタナカ先生との関係まで知っている。
『な、何が目的なんですか? どうして、タナカ先生が……タナカ先生が……』
そこまで言って、ようやく、目の前の惨状を飲み込んだという。
タナカ先生が死にかけている。その恐怖が、一気に彼女に襲いかかってきた。
ガタンと膝をつく。スマホが床に落ちる。
聴力がすぐれた彼女は、その声をはっきり聞き取った。
【こんな目に遭ったかなんて? 決まってるじゃない】
震えが止まらない身体を抱きしめながら、アマノアカネはその声を聞いた。
【タナカ先生がこんな目に遭ったのは、あなたのせいよ】
――タナカ先生が死にかけてるのは、私のせい。
■
「……私の妖力は、呪いを引き起こすエネルギーになるんだって。もし自分に協力するなら、私を人間に戻してくれると言った。
よくわからないけど、私の妖力は、私がいるだけで引き起こされるんだって。今のままじゃ、私がいるだけで、周りが不幸になるって……」
なんだそれ。むちゃくちゃだ。
タナカ先生の呪いは、間違いなく電話口のそいつがかけたんだろう。
なのになんでこの人は、自分のせいだなんて……。
こういう時、真っ先にサチが否定するだろう。けれどサチは、黙っていた。
「……俺たちを退治屋さんだと勘違いしたのは、なんでですか?」
俺がそう尋ねると、「トモチカさんからそう聞いていたから」とアマノアカネは答えた。
「トモチカさんとは、タナカ先生経由で仲良くなって。いつもはチャットでお話するから、まだお会いしたことはなかったし、私の『秘密』も知らなかったはずなんだけど、今日タナカ先生の事故について聞きたい、って言ってて……全部、お話したの」
信じてもらえるかわからなかったけど、とアマノアカネは言った。
「そしたら、『専門家をよこす』と言っていたから……てっきり……」
専門家って。確かに、トモチカさんよりは妖怪や呪いのこと知ってるかもしれないけど。
「それでここまで来たアカネもすげーな。会ったことない相手なんだろ?」
サチが言う。「チカが女の子目当てでテキトーなことぬかす、ゲスい奴だったらどーすんだ?」
けれど、アマノアカネは首をふった。
「タナカ先生が以前言ってたの。『自分に何かあったら、トモチカを頼れ』って。
巻き込んでしまうんじゃないかって、自分からは言えなかったんだけど……もう、時間が無い」
お願い、とアマノアカネはサチに食いかかった。
「私の妖力を消す方法、知ってたら教えて欲しいの!」
早くしないと。
そう言ったアマノアカネの口の動きが、とても遅く見えた。
内容が、あまりにも衝撃的だったからだ。
「このままだと、神川が氾濫する……!」
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