狐耳と尻尾の女の子
しばらく歩くと、目的地である市立図書館にやって来た。
一方通行の道路の脇に建つ、大きな図書館。入口には『休館』と書かれた立て札があり、休館になった経緯が書かれている。
「ここが事件現場?」
「おう。車が突っ込んで来たんだと」
目の前には、『立ち入り禁止』を意味する黄色いテープが張り巡らされていて、粉々になったガラスが広がっていた。なんか見たことがある景色だけど、幸村家のものとは比べ物にならないほど悲惨な被害だ。
ガラス張りになったそこはラウンジだったらしく、潰れたテーブルが散乱していた。
『そこに座っていたのは、とある教員だったそうだ。今は意識不明の重体で、入院してるらしい。あたしが気になる最近の事件は、これだな』
『事件って……ニュースでは高齢者の運転による事故だって話だろ? 建物だって道路のそばだし、運転手も朦朧としてたって聞くし……』
いたましいことではあるけど、この後期高齢者社会では、ありえない話じゃない。ここに来るまで、そんな会話をしていた。
けど、ここに来て、俺はあることに気づく。
「これって……」
「ん、なんか分かったか?」
サチに聞かれ、俺が答えようとした時だった。
「あら? 幸村さん、臼井さん。こんなところで何をしてるの?」
大人の女性の声がした。
澄んだその声は、良く知っている声だった。
「クマカワ先生、こんにちは」
振り向くと、そこには俺が所属している5年1組の担任である、
教室にいるクマカワ先生は髪を一つに結び、カットソーに夏用のスーツを着ているが、今日は凝った髪型をしていて、Tシャツとズボンを着ていた。
「ここは立ち入り禁止よ? 危ないじゃない」
「す、すみません」
俺はとりあえず、すまなさそうな顔をしてみる。
そしてこの場をやりすごせるような言い訳を考えてみた。
「実は、この辺りで落し物をしちゃって……サチに付き合ってもらってるんです」
「落し物? どんなもの? 一緒に探すわよ」
うぐ。そう来たか。
具体的には何も考えてなかったところを、サチがハア、と溜息をつきながら言う。
「もう見つかったから帰るとこ」
「あらそうなの。じゃあ、離れましょうか」
そう言って、クマカワ先生は俺たちを市立図書館から歩道へ連れ出した。
並木によって日陰が落ちる歩道は、少し涼しい。球磨川先生が俺たちの後ろを歩く。コロンなのか、柔軟剤なのか、甘い匂いがする。
くっさ、とサチが小さくつぶやいた。
俺はぎょっとして、クマカワ先生の顔を見る。どうやら聞こえていなかったようだ。これ以上サチのつぶやきがクマカワ先生に聞かれないよう、大きな声で質問した。
「あ、あの! 先生は、どうしてここに?」
「私? 私は研修へ向かおうとしたら、あなたたちがいたから声をかけただけよ」
「そ、そうだったんですね」
忙しいところを邪魔してしまったようだ。なんか悪いことをしてしまった。立ち入り禁止区域に入ってないとは言え、近くに生徒がいたら、声をかけないわけにはいかないだろう。
「それじゃあね、臼井さん、幸村さん。今日も暑いから、熱中症には気をつけてね。特に幸村さんは、カツラを被っているわけだし」
「ご親切にどーも。センセーのケンシューを邪魔する気はねーよ」
サチが素っ気なく返すと、クマカワ先生は苦笑いしながら去って行った。
完全にいなくなったことを見計らってから、俺はサチに言う。
「サチ! 先生に対して、さっきの態度は失礼だろ!」
「はいはい。んで? さっき、なんかわかったんだろ?」
サチに言われて、俺はああ、とうなずく。
「モヤモヤが、ものすごく漂ってた。多分、邪気とか言われるたぐいのやつ」
交通事故の現場は何度も見るけど、邪気を見ることはほとんど無い。あるのは無念の気持ちだけ。
邪気はどちらかと言えば、学校とか、駅とか、多くの人間がいて溜まるものだ。人の恨みや憎しみとか――そんな感じのもの。
「つまり邪気っつーのは、悪意の念ってことでいいんだよな?」
サチの質問に、俺はうなずく。
サチが言った。
「これはチカから聞いた話なんだけど、その被害者の教員――」
ガサッ。
サチの言葉を、物音がさえぎる。
サチがパッと、物音がした方へ視線を向ける。遅れて、俺もそちらを見た。
見るとそこには、女の子がいた。
背丈は、男子の中でも背が高い俺と、同じぐらいだろうか。同級生の中でも小柄なサチと並ぶと、頭五つ分ほど高そうだ。
その子は、男女問わず使えそうな、前ひさしだけがついた、緑色の帽子を被っていた。黒と白のTシャツと長いズボンを履いたサチとは対照的に、フリルのたくさん着いたシャツとかぼちゃの形をした短パンを履いていて、とても女の子っぽい格好をしている。
サチの目に刺さるようなショッキングピンク色と違い、やわらかいピンク色の髪が、ゆるやかに風になびいていた。が。
「きゃっ」
突然、強い風が吹いた。
風が帽子によって飛んだ。俺は思わず、その帽子をとる。
歩道に植えられた生垣と並木が、激しく揺れる。ガザガザと葉っぱ同士がぶつかり、地面に落ちた木漏れ日はチカチカとまぶしく光る。
その中で、俺は見てしまった。
その女の子の頭には、最近見たような狐の耳が。
そして腰には、フワフワと揺れる尻尾が。
「……え?」
俺が驚いたことに気づいたのか、その女の子は顔色を変えて、走り去って行った。
風が止む。こずえの音が止まる。
まるで夢みたいだと、俺は思った。
「な、なあ。さっきの女の子……」
「ああ」
サチが真剣な顔でうなずく。
俺はごくり、と唾を飲み込んだ。
このサチの真剣な顔。普通なら視えないサチにも見えていたんだ。あの狐の耳と尻尾が――。
「めっっっっちゃ可愛やん、あの子!!」
俺は思わずずっこけた。
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