事件現場
狐と異類婚姻譚
ごちゃごちゃとした街の上に、塗りつぶしたような青い空が広がる。
それを見て俺は、昔図工の時間で作ったスクラッチアートを思い出した。青く塗りつぶした世界を削って、下から街の絵が浮かび上がっているように見えた。
強い陽射しを弾く白いコンクリートがにじむように輝き、太陽の熱を沢山吸い込んだアスファルトからは、見えない熱波が漂っている。
ふと、住宅街の中にそびえた電柱の住所表示を見る。「狐塚五丁目」と書かれていた。
なんとなく田の神の狐耳を思い出した俺は、無意識に呟いていた。
「ここ、『狐塚』って名前なんだ」
俺の言葉に、サチが「せやな」と、アイスキャンデーをくわえながら返す。サチは「暑いから」と言って、途中で冷え冷えの麦茶とアイスキャンデーを買った。溶けるだろ。
「何でも、狐を助けてお礼してもらったり、狐と結婚したりした話があるんだと。人間の男と結ばれるんだけど、ある日男が犬を連れて来たせいで別れるとか」
昔話に出てくる狐は、犬が嫌いらしい。サチ曰く、「犬を連れてきて、婚姻が破綻になるキツネの異類婚姻譚は、少なくない」とのことだった。
「あとは、……異類婚姻譚じゃないけど、お姫様に仕える話かな」
そう言ってサチは、かいつまんで説明してくれた。
――昔、あるお姫様に恋をした狐がいた。狐は男子になって結ばれたいと思ったが、それではお姫様を不幸にさせてしまうと思い、女子に変化してお姫様に仕えた。お姫様は女子に変化した狐をたいそう溺愛し、心から信頼していたという。
やがてお姫様は嫁入りすることになり、狐は手紙を残して去っていった。その手紙には、自分の正体と、『お姫様が末永く幸せになるように』と綴られていた――。
「あたしはこの話が一番好きかなあ」サチが頭の後ろに手を組んで言う。
あまり聞いたことがない話だ。けれど、結末は全部一緒だと思った。
「……どうして、正体を知られた妖怪は、姿を消すんだろう」
その狐は姿を消したあと、正体を明かしているけれど。
鶴の恩返しとか雪女とか、有名な昔話も、全部正体がバレて終わっている。子どもができても、不幸に終わる話ばかりだ。
そう言うとサチは、
「んー、でも、破綻するの、一部の夫婦なのかもしれねぇぜ?」
「どういうことだ?」
「話として残っているのが、破局で終わった夫婦だけってこと。本当はもっと、たくさんの夫婦がいたけど、末永く幸せになった話は残らなかったんじゃね?」
「……残らないほど、幸せな夫婦はいなかったんじゃないか?」
俺の言葉に、「残らないほど、隠し通してたって可能性もあるぞ」とサチは言う。
「これは親父の大叔母さんの話なんだけどさ、その人、相手の生まれで、結婚を反対されたんだとさ。それでずっと、独身を貫いていたんだとよ」
「……生まれで?」
「あたしたちにはピンとこねー話よな」
うん、とサチがうなずく。ちょっと目を離したすきに、アイスキャンデーは半分消えていた。
「何にせよ、好きな人が妖怪だと知ったら、誰にも言わず、知られず、ひっそりと生きた人たちの方が多いんじゃねーの? 妖怪と結婚したってだけで、どんな差別を受けるかわかんねーし」
その言葉に、俺は少し胸が痛む。
俺はサチみたいに、妖怪を自分と同じ存在として見ることが出来ない。妖怪が視えることで、たくさん怖い思いをした。妖怪に命を狙われ、日常を脅かされた。
……たんたんころりんみたいに、滅茶苦茶変でも、特に害のない妖怪がいるのもわかっているけど、人間とは決して相容れない、根本的に違う存在だと思う。そんな存在と結婚する人の気持ちは、正直理解できない。
だけど同時に、外へ弾かれた人の疎外感も知っている。
昔、『妖怪が視える』事が理由で、いじめられたことがあった。その時、かばってくれた優しい子がいた。
だけどその子は、俺をかばったせいで、一緒にいじめられることになった。
その子へのいじめをどう止めればいいのかわからなかった。頑張って『止めてくれ』って言ってみたものの、俺が介入することで、ますますいじめはひどくなっていった。
俺はどうすることも出来ないまま、また別の親戚に預けられることになり、転校した。
俺のせいでいじめられたのに、俺にはどうすることも出来なかった。それからだ。『視える』ことを必死で隠してきた。
あの無力感を、人間と結婚した妖怪は感じたのだろうか。妖怪と結婚した人間は感じたのだろうか。
「……語られない夫婦は、幸せになれたんだろうか?」
俺の言葉に、さあ、とサチは返す。
「人間同士でも、結婚したらハッピーエンドってわけじゃねえしな。
そんでも、誰にも強制されず、自分たちの意思のみで出来るなら、それはいいことなんじゃねえの。最後がどうなろうと」
けど、とサチは続ける。
「『周りに祝福されなくても、自分たちだけが幸せだとわかっていればいい』っていう結婚は、ハッピーエンドとも言えるけど、切ないよなあ」
しゃり、と、最後のアイスキャンデーの一欠片を噛んで、サチは言う。
「サチって、たまに真面目なこと言うよね」
「は? あたしはいつも真面目だが?」
それはない。
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