第10章 性的同意 その③

 あの時の記憶が解凍される。


 松中先生の歪んだ顔。


 無数のナイフで突き刺された私の身体。


 傷に傷を重ねて、記憶を上書きしようとした過去。



 卒業式の二次会のときの事件を、私が初めて言葉にすると、山田さんは体を震わせた。



「とんでもないクズ野郎だな!」


 初めて声を荒げた山田さんに、私は少しビクつく。


「驚かしてごめん。僕、ホントにそういうの許せないの。自分の欲望を満たすために女性の心身を傷つけるなんてさ」


 これまで誰にも言えなかったことを話せたという安堵感と、私の傷ついた心身に寄り添ってくれる人が現れた喜びで私は嗚咽をもらす。


「知って欲しいことがある。SはSlave(奴隷)、MはMaster(主人)なんだ。Mはね、Sにリードされる・・・んじゃなくて、Sにリードさせる・・・の」


 私は山田さんから手渡された大きめのバスタオルに顔を埋める。


「将来、心愛ちゃんにふさわしい相手が現れるよ。そしたらよく躾けるようにね」


「山田さんは、私に相応しい相手じゃないんですか?」


「違うなあ。心愛ちゃんが求めてるのは癒しだと思う。それに、僕はお父さんと同じくらいの年だよ」


 山田さんは私のリストバンドに、そっと触れる。


「相応しい人に会ったとき、隠す必要もなくなるんじゃないかな」


 山田さんは手を離すと私から少し離れて座り直し、しみじみと言う。


「今まで一生懸命頑張って生きてきてくれたから、今こうやって話すことができる。僕は嬉しい」

 

 私が黙ったまま涙をぽとぽと流していると、山田さんは話を変えた。


「そのクズ教師の話はお父さんにした?」


「まさか! してませんよ」


「話した方がいい。絶対力になってくれるよ」


 私は首を横に大きくふる。


「僕、バツイチって言ったでしょ? 実は17歳になる娘がいるの。離婚してから会ってないけど。でも父親だからさ、わかるんだよ」


 私は力無く肩を落とす。


「もし父が私を責めたら?」


「責めるって何を?」


「私が逃げなかったとか、断らなかったとか」



「……もしかして、それは心愛ちゃん自身が思ってるんじゃない?」


 私が?


「人間てさ、酷い目にあうと、何か理由を作ろうとするんだよ。理不尽な目にあって耐えられないと、何かのせいにする。一番簡単なのは自分だよ、自分が何もかも悪いと決めつける」


 私は思わず大声をあげる。


「じゃあ私は、どうすればよかったんですか!?」


 答えが欲しい。


「僕が思うにそいつ、常習犯だよ。全部計画してただろうね。抵抗できないようなシチュエーションを作ったんだよ。だからどうしようもなかった。心愛ちゃんに責任はない」


 「あなたは悪くない」って誰かに言って欲しかった。でも……嗚咽をもらしながら私は山田さんに八つ当たりする。


「そうですか、私に責任はない。それじゃあ何も納得できないですよ!」


「責任がないということは、自分は無力だと言うのと同じだからね。……まずお父さんに話して、警察にも通報しよう」


「警察なんて嫌ですよ!」


「そいつはこれまでにも生徒に手を出してきただろうし、これからもそうする。止めることで、自分の無力さから解放されるよ」


 泣きじゃくる私の肩に、山田さんはそっと手を置いた。


 その夜私は、家にあったカミソリを全て処分する。

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