第4章 消したい記憶 その④

「これで私たちは、晴れて男と女の関係になったわけだ」


 先生が去り、トイレの個室に残された私は、声を上げずに泣く。乱れたブレザーを直すこともできず、ひとり床に座り込み、壁に身体をもたれさせながら、肩をふるわす。


 どうすればいい? 香乃になんて言えばいい?


 誰かがくる声が聞こえ、私は咄嗟に個室の鍵をかける。何とか今の状況を整理しないと。



 ……私は嫌だと言わなかった。


 ……先生は私を好きだって。私たちは“男女の仲”になったんだって。


 ……私は香乃を裏切ったのかな。



 そこから家まで、どうやって帰ったか分からない。服を捨て必死に体を洗った。そして誰もいないマンションの部屋の中で、私はただ、必死に香乃への言い訳を考えた。


 スマホを見るとメッセージが溜まっている。いつの間にか0時を越えていたようだ。


 父からは今日は遅くなるとの連絡が、香乃からはスタ連が届いていた。私は慌てて、香乃に返信する。


〈ごめん。いろいろあって、返事遅くなっちゃった〉


〈心配したよ。でも無事だったみたいでよかった!〉


 香乃の何気ない一言が胸に突き刺さる。全然無事じゃないんだよ……でもそんなこと言えなかった。


〈出発は1週間後だよ。楽しみすぎる!〉


 何て言えばいい……? スマホを見つめる。何度も何度も、文章を書いては消した。


 私はきっと……香乃を裏切ったのだ。断ろうと思えばできたはずだ。



 眠れないまま迎えた朝、私は香乃にメッセージを送る。


〈香乃ごめん。マルタ島には行けないと思う〉


〈え? 急にどうしたの? もしかして私が2次会出なかったこと怒ってるの?〉


 香乃から電話があるが出られない。


〈電話に出てよ。私が何か悪いことしたなら教えて欲しい〉


 私は震える指で通話ボタンをスライドする。


「ごめんね。私、松中先生と付き合うの」


 電話口で香乃の声も震えているのを感じる。


「そんなわけないよ。よりによって松中と? 話がわかんないよ。いつから? どうしてそうなったの? なんで私に黙ってたの?」


 自分でもわからない。なぜこんなことになったのか。全くわからない。


「本当にごめん」


 矢継ぎ早に聞かれた私には何の答えもなかった。香乃のすすり泣く声が聞こえる。


「心愛がこっち側の人間・・・・・・・じゃないことはわかってたよ。でもいくらなんでも、こんな仕打ちは酷すぎる」


「ごめん。本当にごめん。さようなら」


「待ってよ! 私たち約束したじゃん!」


 それ以上香乃の声を聴くことがつらくて、ブロックをし、スマホの電源もオフにした。

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