仕事納め
翌日、早朝。
私は中村さんに作ってもらったお弁当を腰にさげて、家を出る。
「お嬢様、本日は仕事納めですね。この中村アサ、腕によりをかけて夕飯をご用意いたしますからね!」
その声で、はたと思い出した。今日は仕事納めだ。
昨日はゴルトベルクさんと夕飯を食べた後、この国とこの街についてもっと知るべきだと方針を固めた。
具体的な方法については、ゴルトベルクさんとエーベルさんで決めるそうだ。私もそうするべきだと思う。
私はただの、通訳だから。それに明日からしばらく、年末年始の休暇がほしい。じいやと中村さんと、一緒に過ごしたいから。
だけど少しだけ、寂しい気もする。お兄さま、お母さま、……お父さま。あの頃の正月が懐かしくないと言えば、嘘になる。
ホテルに着いたら部屋番号を告げ、ゴルトベルクさんの部屋をノックした。
今日の彼はすでに着替えていて、私は少しだけほっとする。昨日の着替えは、結構心臓に悪かったから。
『おはよう』
『おはようございます』
彼は当たり前のように新聞記事を渡してきたので、昨日と同じように抜粋して読みあげる。
すべてのページをざっと読みあげた後、私は新聞を返しながらゴルトベルクさんに尋ねた。
『そういえば、僕に年末年始の休暇はありますか?』
『……まあ』
彼は眉間に深いしわを寄せて、しばらく考え込んだ。
『…………あっても、構わない』
彼は少し渋い顔で言った。しばらく顎をさすった後、いや、と顔をしかめて言う。
『ただ正直、こちらとしてはお前に休まれると困る』
『そうですよね』
それはそうだ。彼らはこの国の言葉を(恐らくほとんど、もしくはすべて)理解できない。そんな中、彼らは私なしで大丈夫なのだろうか。
年末年始の人混みの中、ゴルトベルクさんはまた財布をすられてしまわないだろうか。
またぼったくりに遭わないだろうか。
私の頭の中で二人が一文無しになったところで、はっと顔をあげる。
いいことを思いついたかもしれない。
『……年末年始の休暇はいただきたいです』
『ま、まあ、構わない』
痩せ我慢のゴルトベルクさんに、意を決して提案した。
『業務時間外で、よければ一緒に遊びませんか。僕がこの国を、私的に案内しますよ』
ゴルトベルクさんの、時が止まった。ちょうどそのとき、エーベルさんが扉をノックして入ってくる。
扉を開けた彼は、見つめ合う私たちを見て目を丸くした。
『ルドルフ様、何を固まっていらっしゃるんですか?』
『僕が、年末年始、一緒に遊びませんかと誘ったらこうなってしまわれて……』
エーベルさんは、思い切り噴き出した。そしてゴルトベルクさんの肩を叩き、『よかったですね』と満面の笑みで言う。
『あなた、僕以外に友達なんかいませんもんね』
『う、うるさい。人生に必要ないだけだ』
私はそのやりとりに、思わずくすくす笑ってしまった。ひょい、とゴルトベルクさんの顔を覗き込むと、彼の耳が少し赤いことに気づく。目をきゅう、と細めた。
『僕はいいですよ。年始も同居人たちと過ごすだけでは、少々刺激が足りませんから』
『つまり、俺に刺激を求めているのか……?』
ちょっと語弊のある言い方だ。だけど言いたいこととそう離れてもいなかったので、私は頷いた。
『年末年始もこちらへ伺わせてください。僕の雇い主ではなく、個人的な知り合いとして、お迎えに参ります』
お節介がすぎるかしら。だけど彼らを放っておく方が、ずっと心苦しい。
私を求めてくれる人が困っているなら、助けたいのだ。
『それでは、……頼む』
ためらいの残るゴルトベルクさんに、目を細めた笑みを向ける。
『はい』
『……時間外手当は出す』
『いいえ。あくまで個人的な交流ですから』
ゴルトベルクさんは、あくまで賃金を支払おうとした。それを私は断る。
エーベルさんはといえば、ずっと愉快そうに目を細めて私たちを見ていた。ゴルトベルクさんは
『どちらにせよ、お前の提案は時間外労働だろう。お前のためにならない』
『いいえ。僕がやりたくてやっていることですから』
ゴルトベルクさんはぶつぶつ文句を言っていたけれど、最終的にあちらが根負けした。いかにも不本意という顔の彼に思わず笑うと、ゴルトベルクさんはふいとそっぽを向く。
エーベルさんは、そんな私たちを静かに見守っていた。
『分かった。俺とお前は友人で、今回はお前の好意に甘える。ただし、次があると思うなよ』
『はい』
本当に、ゴルトベルクさんは律儀な人だ。
こうして、私はゴルトベルクさんたちと年末年始を過ごすことになった。
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