ゴルトベルクさんには輝くものがある

 結局ゴルトベルクさんたちは、お餅を食べなかった。お餅はすべてじいやと中村さんのお腹に収まり、お弁当のおかずの残りがゴルトベルクさんとエーベルさんのご飯になった。私は、中村さんが持たせてくれたお弁当を食べた。


『味が薄い』

『そんなこと言わないでください、作ってくださった方がすぐそこにいるんですよ』


 文句を言うゴルトベルクさんを、エーベルさんが窘めている。私がそっと卓上に置かれたソースを見やると、実に自然な仕草で中村さんが台所へとしまっていった。

 あれを白米にかけて食べるとおいしいから、ゴルトベルクさんたちにもすすめたかったのに。


 みんながすっかり食べ終わったのを見計らって、中村さんが食器を片付けはじめる。じいやがみんなの分もお茶をいれてくれたので、私はそれで掌を温めた。


『それで、これからどうしましょうか』


 ゴルトベルクさんとエーベルさんは顔を見合わせた。私は畳の上で手をつき、ずりずりと彼らに寄る。


『どういう方法で商売をしますか。僕が助言できるとしたら、小売店や屋台にまつわる事業になりますけど』

『それは儲かるのか?』


 ゴルトベルクさんの言う、今回の問題のうち身も蓋もない、だけど一番根っこの部分。私は頷いて、頭の中でそろばんをはじく。


『一等客室分は無理でも、三等客室くらいの旅費なら、無理ではないかと』


 途端にゴルトベルクさんは嫌そうな顔をしたけれど、エーベルさんが前のめりになった。無理ではない、のところを聞いて、多いに希望を持ったらしい。


『どういう形態ではじめますか。小売店であれば取り扱うものに関わる業者探しや、店を出す物件探しが必要になってきますよね。屋台もまた、考えることが多いでしょう』


 さて当の本人はといえば、ピンと来ないのか首を傾げている。


『俺たちはこの国のことをほとんど知らない。それで何が必要とされていて何が売れるのか、分かるものなのか?』


 私は思わず、ぴたりとゴルトベルクさんを見つめた。それに驚いたのか、彼の逞しい肩がびくりと跳ねる。


『素晴らしい』


 私は正座したままずりずりと手で身体を引きずって、ゴルトベルクさんに寄っていった。奇怪な動きに仰け反る彼に構わず、私は彼の手を取る。


『あなたには輝くものがあります。商売とは、需要と供給。何が必要とされていて、こちらが何を提供できるかこそが真髄であると、私は教わりました』


 お兄様たちと必死で品物を売った、あの日々。教本でしか知らなかったいろいろなことが、骨の髄に至るまで沁みたものだ。

 それを、何も言われずとも理解しているだなんて。あんなに金銭感覚がないのに。あんなにちゃらんぽらんなのに。


『あなたはたぶん立派な商人になれます。あなたは素晴らしい。すごい。天才』


 だんだん語彙が貧弱になってくる私を前に、じわじわと彼の口がへの字に曲がっていく。頬にもじんわりと赤みが差してきた。

 次の瞬間、私はじいやにそっと肩を叩かれた。そして優しく引きはがされて、「お嬢様」と穏やかな声で窘められる。


「いけません。嫁入り前の女子が、そのように殿方の手を握られては」

「今の私は男子。男子なんだから」


 私はじいやの腕から抜け出した。ゴルトベルクさんは咳払いをして『皮肉か?』といじけたように言う。かわいいところがあるじゃないの、と私は目を細めた。


『この波多野ミナト、たとえ得になるとしても嘘は申しません』


 胸を張って言えば、ゴルトベルクさんは髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて俯く。明るい色の金髪が、日の光にきらきら輝いて綺麗だ。


『……参った』


 彼はぼそぼそ呟きながら、あぐらをかいて膝を強く叩いた。大きく頷いて、私をじっと見つめる。

 その青い瞳がやっぱり綺麗で、私は自然と彼に向き直って正座をした。真正面から見つめ合うと、その目に吸い込まれそうになる。


「お嬢様、こちら本日のお小遣いでございます」


 じいやが私とゴルトベルクさんの間に入って、すっとお財布を差し出した。は、と我に返って、慌てて受け取る。心臓が急に、どくどくと主張しだした。


「ご、ごめんなさいね。ありがとうじいや」


 気まずくて、愛想笑いを浮かべた。ゴルトベルクさんもエーベルさんに首根っこを掴まれて、何かをひそひそ話している。


『彼、男ですからね。いいですか、男なんですよ』

『いや、……本当に男か?』

『男ですからね』


 漏れ聞こえてくる会話に聞こえないふりをして、私はお財布をしまった。中村さんも台所から戻ってきて、お茶をゆっくり飲んでいる。縁側からは、のどかな昼の光が差し込んできていた。

 ゆるりとした居間の空気の中で、私はずっと恥ずかしかった。男の人とじっと見つめ合うのなんて、はじめてだ。男の幼馴染ともこんなに近づいたことなかったのに。


『それで、午後からはどうしますか』


 エーベルさんが仕切り直す。私はちょっと考えて、ゴルトベルクさんの方を再び見た。

 たぶんこの人の最大の課題は、目の前のものがいくらで買えるかという、ありきたりな金銭感覚がないことだ。

 私の視線に気づいた彼が、ふいと視線を逸らす。よいしょと私は膝立ちになって、じいやを呼んだ。


「私たちのお店の帳簿は、こちらへ持ってきているかしら?」

「ございます。持ってまいりましょうか?」

「お願い」


 じいやは素早い動きで立ち上がり、彼の書斎へと向かった。中村さんに茶碗や湯飲みを片付けてもらって、私は二人を机につかせる。


『この国の物価を勉強しましょう。まず、話はそれからです』

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