お餅で分かる価格の話

 握った手を離したとたん、きゅうう、と私のお腹が鳴った。恥ずかしくて思わず赤くなる私を前に、ゴルトベルクさんが『昼だったな』と呟く。


『今日買ってきたこれを食べるか』


 そう言って、彼が指差したのはお餅だ。そうですね、と私も頷く。


『ここでは調理できないので、私の家で食べましょう。エーベルさんも、よければご一緒にどうですか?』

『ぜひ。喜んで』


 こうして私たち三人は、じいやのお家に向かった。

 家の門をくぐると、「お嬢様!」と、女の人の大きな声が響く。

 うちの女中をしている中村さんが、干している途中の洗濯物を放ってこちらへ寄ってきた。

 ふくよかで人のいい、笑い皺の消えない顔に、親しみやすい笑みを浮かべている。早足で着物の裾を捌いて、綺麗なお辞儀をした。


「まあまあ、お仕事お疲れさまです。そちらの方々は?」

「雇い主のゴルトベルクさんと、その補佐のエーベルさん。この二人の前で女扱いはあんまりよしてね、男として雇われているから」

「マア! そんなこと、とてもこの中村アサにはできませんっ!」


 中村さんはぶんぶんと首を横に振る。彼女はずっとこの調子だ。このご近所中に響く大きな声で、髪を切った私を「お嬢様」と呼ぶ。

 だから私はそれなりに似合っているらしい男装の割に、この辺りではすっかり正体がバレてしまっていた。


「女だからなんだと言うのです。髪を切っても揃えを着ても、お嬢様はお嬢様。それを馬鹿にしたり、下品にはやしたてる方がおかしいのですよ」


 だけど中村さんは、こうやって彼女なりに私を大事に思ってくれているだけだ。ちょっとずれてはいるけれど。


「ええ、そうね。今日のお昼ご飯はなあに?」

「お嬢様がお昼にお帰りになられるとは思いませんでしたので、お弁当の残りで済ませるつもりでした」


 この分だと、朝方に私が厨房を使ったことはバレていないらしい。じいやが片付けてくれたのだろう。


「ねえ、わがままを言って申し訳ないのだけど、今からお餅を焼いてくれない?」


 そう言って、私はそっと市場で買ったお餅を渡す。中村さんはその中身を確かめて、首を横に振った。


「お嬢様とそのお雇い主がお召し上がりになるのに、こんな安物ではいけません。こちらは私とじいやでいただきます」

「いいえ、この安物だからいいのよ。私の雇い主には、お勉強をしてもらいたいの。あと、お正月用のちゃんとしたお餅を一個か二個、出してくれない?」


 私の言葉に、中村さんがちらりと後ろの二人を見た。そして頷き、玄関を開ける。


「どうぞ、おあがりくださいまし」

『中に入ってください。屋内では、靴を脱いでくださいね』


 私の言葉に、二人は玄関に入った。土間に革靴が三足並んで、私の靴の小ささが目立つ。


「それでは、私は洗濯物の残りを干してきます。七輪の準備は、じいやにお申しつけください」


 中村さんはお餅を私に返して物干し竿の方へと飛んでいき、入れ替わりでじいやが顔を出す。

 中村さんの大きな声でだいたいの事情は察しているらしく、すでにお茶を湯呑みにいれてくれていた。


「粗茶ですが」

『客人を出迎えるお茶です。お飲みください』


 それから、とじいやに七輪を持ってくるよう言いつける。彼が客間から出ていったのを後目に、これまでずっと無言だった二人へ『せわしなくてすみません』と声をかける。


『いや。賑やかで、いい家だ』


 ゴルトベルクさんの本音なのか皮肉なのかは分からないけれど、『ありがとうございます』と礼を言う。

 エーベルさんは、物珍しそうにあちこちを見ていた。


『ハタノさん。あの天井近くの透かし彫りはなんですか?』

欄間らんまといいます。この国の家屋でよく見られる装飾です』

『あそこの花が飾られている空間、素敵ですね』

『床の間ですね。手入れをしている者に、褒めていただけたこと、後ほど伝えておきます』


 このこぢんまりとした家は、実はよくよく見るとあちこちにお金と手がかけられている。聞いた話によると、じいやのお兄様が軍で出世なさって、そのお給金や年金でじいやたちの実家を建て直したのだとか。

 そして年月が経ち、無人になってしまっていたこの家を管理していたのが、じいやの親戚の中村さんご一家。そういう経緯もあって、私たちは家を飛び出したあと、ここで暮らしている。


 しばらくして、じいやが七輪を持ってきた。炭に火をつけて金網を置き、熱が上がるのを待つ。

 私がお餅を金網に並べていると、中村さんが静かに部屋に入ってきた。その手には、真っ白なお餅が二個ある。


「こちらで構いませんか?」

「ありがとう」


 そうこうしている間に、お餅が炭火の熱で膨れていく。あまり丁寧に粒を潰していないので、すぐにぷつぷつと割れてしまった。

 じいやは箸でお餅を転がしてくっつかないようにしているけれど、粉が少ないせいで、どうしても難しいみたい。


『どろどろになって膨らんでいるぞ、あんなに固かったのに』

『本当に稲が原材料なんですか? 白米を潰すとこうなるんですか?』


 ざわつく二人に、ああそれは……と、私はいろいろうんちくを語った。二人は聞いているのかいないのか、じっと七輪を見ている。

 その間にお餅が焼けた。私の目的は、ここからだ。


『ゴルトベルクさん。これが、市場で買った粗悪品の餅です』


 お皿に乗ったお餅は、べたべたと金網にひっついたせいで無惨な形になっていた。膨らみ方も歪だ。


『それから今焼いているのは、特別な日に食べられる品質のいい餅です。それなりに高価で、粗悪品の二倍ほどの値段で販売されています』


 中村さんが菜箸で、ちょいちょいとお餅をつつく。ころりとひっくり返されたお餅は丸々と膨らんで、箸で潰すとぷしゅと音が立つ。

 均一になるまで米粒を潰しているから、膨らみ方も綺麗だ。

 私はお皿に焼けた餅を並べてもらって、二つとも海苔で巻いた。


『こちらが粗悪品です。今朝の市場では、相場の二倍の値段を提示されましたね。千切ってみましょう』


 少し引っ張っただけで、ぺちんと切れる。次いで、中村さんが用意してくれた方を手に取った。


『こちらは、特別な日のための、高品質なもの』


 私が千切ると、にょんと餅が長く伸びた。二人が引く気配がしたけれど、それは気にせずたっぷりお醤油をかける。


『高いものはいいものだと、ゴルトベルクさんはおっしゃっていましたね。だけど価格なんて品質に関わらず、売り手側でどうとでも変えられるんです』


 どうぞ、と二人に差し出す。揃って恐ろしいものを見る目をしていたので、私は勝手に粗悪品の方を取り上げて頬張った。それなりの味である。


『無理して食べろとは言いません』


 私がそう言うと、ゴルトベルクさんが晴れの日のためのお餅に手を伸ばした。しばらくあちこちからお餅を観察して、恐る恐るかぶりつく。

 途端に渋い顔をしたので、私はさっとお茶を差し出した。


『独特な食感だ』

『粘性のあるものは、あちらでは一般的な食べ物ではありませんしね』


 でもこの人は、とりあえず食べてみるらしい。ふうん、と私は目を細めた。

 そういうところは、間違いなく彼の美点だ。

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