歳末市に行きましたが、雇い主が爆買いしています

 家を出て再び市電に揺られる。公園前の駅で降りると、そこは既に多くの人々でにぎわっていた。

 年越しに必要な食べ物や、新年に必要な正月飾り。冬着を着た人々の暗い色の雑踏の中で、めでたい紅白飾りの色が鮮やかだ。


『ここが、年末の市場です』

『何を売っているんだ?』

『年末から年始にかけて必要なもの全般です』


 たとえば、と正月飾りのお店を指す。しめ縄が並べられ、破魔矢が山積みになっている。壁にかけられているのは熊手と羽子板。


『あのようなものが、多くの家に飾られます』

『ほう』


 ゴルトベルクさんが、人混みを掻き分けてその屋台へと向かっていく。私も慌てて追いかけると、まじまじと商品を見ていた。店主さんは、引きつった顔でゴルトベルクさんを見ている。

 私が追い付くのを待って、彼はしめ縄を指さした。


『あの飾り付けられた……縄? は、なんだ。なんであれを飾るんだ』

『悪いものが家の門から入ってこないように飾ります』

『矢もある』

『邪悪なものを打ち破る矢です』

『あの竹の細い板がたくさんついた、箒のようなものは』

『掃除道具から派生した飾りです。幸福をかき集めるという意味があります』


 よほど興味を惹かれたのか、ゴルトベルクさんはあれこれと私を質問攻めにした。とはいえ私もそれほど詳しいわけではないから、どうしようと店主さんをちらりと見る。

 私たちが外国語で会話しているのに呆気にとられているようで、口をぽかんと開けていた。


『あそこの飾り付けられた板は』

「すみません、羽子板ってなんで正月飾りになっているんですか?」


 私が尋ねると、店主さんは気さくな様子で教えてくれた。


「昔、お内裏だいりなんかで正月に遊んだのがはじまりらしいね。それがいつしか、平民にまで広がったんだ」

「それがこうやって飾りもついて、お正月飾りになったんですね」


 ふむ、と私は内容を咀嚼する。


『高貴な人々が、年始にこれで遊んだのが起源のようです。今は一般の人々も、これで遊びます』

『ふむ』


 どうやら、どうやって遊ぶのかまでの関心はないらしい。ゴルトベルクさんは店中ぐるりと指さして、私を見る。


『全部買う。店主と交渉しろ』

『全部……?』


 私が店主さんを見ると、彼は愛想笑いを浮かべていた。はっと後ろを振り返ると、みんなこのお店を遠巻きにしている。私たちは、お店の邪魔をしてしまっているらしい。慌てて財布を開く。


「すみません、全部の商品をひとつずつください」

「すごい荷物の量になるよ?」

「構いません」


 それじゃあ、と、店主さんはお会計をはじめた。提示された金額は相場に合っている。いいお店だ。

 それでも案の定、結構な額の買い物だったけれど、まだ財布の中身には余裕があった。どれだけのお金が入っているんだろう。


「毎度あり。お坊ちゃん、異人さんのお相手がんばってね」


 微笑ましそうな目で、店主さんが私たちを見送る。私が女と分かればゴルトベルクさんの妾扱いになるだろうから、正直彼の勘違いはありがたい。

 とはいえ、少し複雑でもあるのだけど。


 山ほどの荷物を私が抱えていると、ひょいと彼がいくつかを取り上げた。興味深そうに紅白飾りをいじっている。


『他には?』

『あちらには食料品が売っています。魚などの生ものも売っていますね』

『魚か』


 苦い顔をする彼に、私はこっそり笑った。こんなに身体が大きいのに、まるで子どもみたいなことを言う。


『穀物や栗、豆、そしてその加工品も売っています。もちはご存じですか?』

『知らない』

『粘性のある米を潰して、丸めるなどして形を整えたものです。ここの年始には欠かせません』


 ふむ、と彼はふらふらと食料品売り場へと近づいていった。近隣の海から運ばれてきた新鮮な魚や、栗や豆、お餅、もち米。おせち料理に欠かせない食材がずらりと並んでいる。

 そのひとつひとつを見て、栗や豆などの持ち歩けるものは片っ端から買っていく。言われるがままにしているけれど、ゴルトベルクさんたちに調理ができるのだろうか。それとも我が家を当てにしているのだろうか。


 ゴルトベルクさんは、お餅を売っている屋台の前で立ち止まった。しげしげと覗き込んでいるけれど、その目立つ容姿のせいで人々がそこを避けて歩いている。

 私はゴルトベルクさんの傍に寄って、店主さんにぺこりと申し訳程度の会釈をした。


『何か気になるものがあるんですか?』

『この白い塊がモチか?』


 視線の先を見ると、なるほど丸餅だ。少しお米粒の感じが残っているし、粉をケチっているのか一部くっついてしまっているけれど、安物はこんなものだろう。


『はい。……僕の家で調理できます。食べてみますか?』


 頷く彼に、私は再び財布を取り出した。


「おいくらですか?」


 店主は算盤をはじき、金額を示す。市場価格の二倍以上だ。私は顔を顰めて「高すぎます」とにらみつけた。


「足元を見ないでください。あっちのお店が、ここの半額でお餅を売っているのは知っているんですよ」

「だけど、こっちはそれよりずっと質がいいんだぜ」

「どこがですか。本当の高級品はもっと丹念につかれています」


 私があえてせせら笑うような態度を取ると、ゴルトベルクさんが少し身体を引いた。


「餅米はどの品種を使っているんですか? どんな加工法で作ったんですか? 市場で普通並み以上の価格がつく理由は?」


 途端に、店主さんは言葉に詰まった。私はくるりとゴルトベルクさんを振り返った。彼は目を丸くして、私を見下ろしている。


『このお店は、適正価格での商売をしていません。ここで買うのはやめるべきです』


 私がそう言って去ろうとすると、「まあまあ、待ってくれよ」と声がかけられる。


「いいぜ。半額にしてやるから、うちで買っていきな」

『半額にすると言っていますが、この手のやからの常とう手段です。それでも市場価格より少し上のお金がかかります』


 ゴルトベルクさんにひそひそと教えると、なんだ、という顔をされる。


『半額になるんだったら、いいんじゃないか』

『でも、市場の適正価格より少し上ですよ』

『その分いいものじゃないのか?』


 そう言って、彼は荷物をかばいながら財布を取り出す。あー、と私は目を閉じて口を引き結んだ。ボンボンめ。


 結局、お餅を何個か包んでもらった。私が受け取ろうとすると、いやらしい手つきで指を掴まれる。


「このすべすべでちいさな手は女だね。お嬢ちゃん、この人のお妾かい」


 こちらの店主さんは私の性別に気づいたようで、下品な言葉で私に話しかけてきた。私の手の甲をじっとりと撫でて、顔には下卑た笑みを浮かべている。


「まだ若いのに、そんなふしだらなことをしちゃあいけない。もっと立派に生きなきゃ、故郷の親御さんも泣いちまうよ」

「通訳として働いております」


 私はけんもほろろに言って、『行きましょう』とゴルトベルクさんに言った。彼はじろりと店主さんを見下ろしたので、店主さんは蛇に睨まれたカエルのように固まっている。


『なんと言われたんだ?』

『まだ若いのに、通訳として働いていて立派だと言われました』


 ゴルトベルクさんは、ふんと鼻を鳴らして店主さんを睨んだ。その眉間には、深い皺が寄っている。

 私が失礼なことを言われたと察してくれたのだろうか。半額の罠にはまる割には案外人の機微に聡いのだな、と少しだけ、ほんの少しだけ見直した。


 さらに入り口付近に戻ってダルマ、他のお店の正月飾り、凧や羽子板、カルタ、その他たくさんを買う。本当に片っ端から買っていくから、私もゴルトベルクさんもさらにたくさんの荷物を抱えることになった。

 あちこち回っている間に、号砲が鳴る。正午になったのだ。

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