(手作り)ご飯をごちそうしました

 市電に揺られ、下町の道を行く。ゴルトベルクさんは、開発の進んだ中心街と全く違う風景に興味津々なようで、あちこちを見回していた。


 道端で遊んでいる子どもたちは、遠巻きに私たちを見ている。近所のご婦人たちもひそひそと声をひそめ、ちらちらと視線を向けてきた。


「ほら、あのお家の娘さんよ」

「あんなに髪を短くしてしまって、みっともない。まるで男じゃないの」

「それに家出少女なんでしょう? そのうち、身売りでもしだすんじゃないかしら」

「外国人を連れて……妾にでもなったんじゃない?」

「随分と大きいわね」


 ゴルトベルクさんが、この国の言葉を理解できなくてよかったと心の底から思う。蔑む目つきの彼女たちに微笑みかけると、気まずそうに顔を見合わせていた。


『屋根の形が随分と違うな。写真で見たことがないわけではないが……植物も、俺の故郷とは全く違う。あそこの生垣の赤い花はなんだ』

『山茶花と言います』


 なんだかんだと、彼もはしゃいでいるのだろうか。あれこれと私に質問する彼を連れて、私は家の門をくぐった。

 すぐにじいやが飛んできて、ゴルトベルクさんを見て腰を抜かす。


「お嬢様、こちらの方は……」

「私の雇い主よ。男として雇われているから、ここでお嬢様扱いはやめてちょうだい」


 私が言うと、じいやは頷いた。髪を後ろへ撫でつけながら、「どうしてこちらへおいでになられたのですか?」と尋ねる。


「ゴルトベルクさんが、普段朝食を召し上がらないらしいの。だから、今日はうちのご飯を食べてもらおうと思って」

「そんなことで……」


 しょぼしょぼと肩を落とすじいやを無視して、私は家へとあがる。あ、とゴルトベルクさんを振り返って、靴を指す。


『靴は脱いでください』


 ゴルトベルクさんは自分の足元を見下ろして、靴を脱いだ。その間に私はじいやを連れて、ひそひそと相談を持ち掛ける。


「中村さん、いるかしら」

「今はちょうど買い物へ出ております」

「好都合だわ。ねえ、まだソースはある? 小麦粉は?」

「はい、ございます。卵もお使いになられますか?」

「そうね。せっかくの来客なのだから、使ってしまいましょう。私が厨房にいる間、じいやはゴルトベルクさんのお相手をしてちょうだい」


 私はそう言って、じいやを捨て置いて厨房へと向かった。お嬢様、と情けない声を上げるじいやには悪いけれど、これを作れるのは、この家に私だけだ。


 厨房の椅子にひっかけてある割烹着を着た。

 収納庫から小麦粉を取り出し、鉢にためらいなく入れる。水を入れて、菜箸で混ぜる。本当はだし汁の方が美味しいのだけど、今日はその時間がない。


 白くてとろりとした生地になったら一旦置いて、マッチを擦った。かまどに火をつけて、フライパンを火にかける。これまた惜しみなく油を敷いて、掌を上にかざした。

 かざした手にじりじりと熱を感じるようになったら、生地を流し入れる。本当は豚肉があればよかったのだけれど、そんな高級品はなかなか買えない。それに肉が好きなゴルトベルクさんは、量の少ない肉をかえって嫌がるかもしれない。


 鼻歌を歌いながら、ふつふつと焼ける生地をひっくり返す。少し焦げ目がついて茶色くなるまで焼いたら、ぽんとお皿に出した。

 次いで卵を、えいやと割ってフライパンに落とした。すぐにじゅうじゅう音を立てて白身が濁っていって、菜箸でつつきつつ様子を見る。


 半熟の目玉焼きをひっくり返して、しっかり両面焼いた。それを焼いた生地に乗せて、これでもかとソースをかける。


 これは、私の地元で評判だったおやつに手を加えた、私の創作料理。本当はちょっとネギが入っていて卵は乗っていないのだけど、ゴルトベルクさんには、こちらの方がいいだろう。


 割烹着を脱いで、手を念入りに洗う。フォークをとって、一応箸も用意した。ほかほかと湯気を立てているそれを持って居間へ向かうと、じいやとゴルトベルクさんは、無言で睨みあっている。

 ゴルトベルクさんの手元には湯飲みがあったけれど、お茶に手をつけてもいないみたい。


 それを無視して、卓袱台にお皿を置いた。奇異の目で見るゴルトベルクさんに、『お食べください』と促す。途端に顔をしかめられた。


『なんだ、これは』

『我が国で食べられている、パンの亜種です』


 小麦粉を溶かして焼いたもの、と説明したら、きっとこの人は食べない。だったら多少嘘であっても、パンと説明した方が抵抗は少ないだろう。じっと彼を見つめると、根負けしたように箸の方を取った。


『箸でいい。食べられる』


 その手つきはなるほど綺麗なもので、私は彼を外国人と侮っていたことを反省した。


 生地を小さく切って、恐る恐る口に運ぶ。


『……味が、濃い。面白い食感だ』


 そう言って、もう一口食べた。そのまま大きく一口を切って、卵を乗せる。ぱくりとそれを食べて、ゴルトベルクさんはすっかり無言だ。

 半分ほど食べてから、こちらを見た。


『肉はないのか』

『出せても、薄くて食べ応えのないものしかお出しできません』

『ふうん』


 ゴルトベルクさんの食事ペースははやく、すぐにぺろりと平らげてしまった。私は頬が緩みそうになるのをなんとか我慢して、『お口に合ったようで、何よりです』とすまし顔をする。


『この料理、誰が作った?』

『うちの女中が作りました』


 真っ赤な嘘だ。うちのお手伝いをしている中村さんは、味が濃すぎるという理由で、どれだけ言ってもこれを作ってくれない。だから自然と、自分で作るようになったのだ。

 ゴルトベルクさんは『そうか』とあっさり引き下がって、最後の一口を頬張った。


『礼を言う』


 そう言って、自分の財布を取り出した。何枚かの紙幣を抜き出し、私へ向ける。それを大人しく受け取って、その多さに少し顔をしかめた。


『多すぎませんか?』

『次は、これで肉を買ってくれ』


 ふうん、と私はゴルトベルクさんを見上げた。目を細くすると、彼は少したじろぐ。


『なんだ、その目は』

『いえ。気に入ってくださったと、女中にも伝えておきます』


 にこりと笑うと、ゴルトベルクさんは『そうしろ』とそっぽを向いた。

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