“闇”バイト
金が、必要だった。
月末までにそれなりにまとまった金が……
Fラン大学を卒業し春に就職した先が秋に倒産した。夏のボーナスから給料は貰ってなかったせいもあり、家計は火の車。短期バイトでやりくりしたが、もともと借金があったこともあり、どうにもこうにも首が回らなくなってきた。
一発逆転を狙ったギャンブルもすべて外し、もうどうにもならない。
SNSで高額バイトの募集を探す。世間では闇バイトのニュースが騒がれていたので、注意深く吟味していると、とある募集の文言が目に飛び込んできた。
一晩のみのアルバイト。高額報酬。即金払い。
何故かその募集が自分に向けて訴えてくるような妙な気分を覚え、注視した。
「顔写真を送るのか……。仔細は審査後か……。怪しい、でも――」
現金がすぐに入るなら――その一心で顔写真を送信した。
すぐにメッセージが返ってきた。
日時と勤務地、報酬額などが書かれていた。
予想以上の報酬額に反射的に了承のメッセジーを返す。
そこで、はたと気づいた。仕事内容が書かれていなかった。
「……どうする、今から断るか。――いや、行くだけ行こう。明日の晩……」
翌日の夜、指定された場所に向かった。地図で確認するとそこは小さな工場のようだった。
実際現地に着いてみると、その工場には人気はなく、灯りも消えて真っ暗だった。
到着したと連絡を入れると、すぐにメッセージが返ってきた。そこに仕事内容が書かれていた。
「中に入って、事務室で一晩過ごすだけ? 必要なものと前金はそこに置いてある、か…」
スマホの画面をじっと見つめたまま、頭の隅で不信感が湧き上がってくる。
事務室で一晩過ごすだけ……
何の目的で?
そもそも、この依頼人はどういった人物なんだ?
この工場の関係者か?
いや、もしかして何らかの犯罪に――
様々な疑問が頭をよぎるが、貰える報酬の多さが不安感ををねじ伏せる。今は金が何よりも必要だった。だから恐怖や疑念は後回しだ。
通りの街灯に照らされた敷地内を進み、建物の入口まで歩んでいく。
ドアのノブに手をかけると、鍵はかかっておらず、ギィという軋んだ音を立てて開いていく。
中は真っ暗だった。そこでポケットから小さな懐中電灯を取り出して点ける。これは、昨日の採用メッセージに用意しておくように書かれていたため、百円ショップで買ったものだ。
「えっと、確か事務所は廊下の先の左だったな……」
工場の簡単な構内図も送られてきていたので、スマホで今一度確認してから暗闇の中を進む。
冷えた空気が肌を撫でる。工場内は想像以上に静寂で、足音がやけに響いた。廊下を進むと、事務室と書かれた扉が現れる。ドアノブを握ると思ったよりも冷たくて、背筋まで冷気が走るようだった。
ドアを開け中を照らす。事務机が四つ中央に固まっておかれ、壁際にはキャビネットが並んでいた。明日になれば社員が出勤してきて、仕事に就くのではないかと思うような様子だったが、よく見ると書類の類が一切なく、薄汚れた感じがした。空気も澱んでいて、この部屋はしばらく使われていないようだとすぐに悟った。
入口の壁際に灯りのスイッチらしきものがあるのを見つけたので、試しにオンにしてみるが反応はない。電気は通じていないようだ。そこで懐中電灯で室内をよく照らし探る。
事務机の一つに500mlのペットボトルの飲み物と菓子パンらしきものが二つ、それに茶封筒が一つ置かれているのに気づいた。
「……」
無言で机に近づき、そこの椅子に腰かけると茶封筒を手に取った。中には約束の前金が入っていた。思わず周囲を見回す。どこかで依頼主が見ているのではないか――そう感じたが、もちろんそんなことはなかった。ただ暗闇だけが室内を覆っている。
「ここで一晩、過ごすだけでいいのか……」
椅子の背もたれに体重をかけながら、スマホの画面を再度確認する。特に新たなメッセージは入っていない。
「ふぅ~、何の意味があるんだ、この仕事……」
疑問は湧いてくるが、実際に手にした報酬が全てを押し包み、素直に指示に従おうと自身に言い聞かせた。
緊張からか喉が渇いたのでペットボトルを手に取る。ミネラルウォーターだった。それを一口飲み、少し気を落ち着かせる。ここに来る前に軽く食事をしてきたので、腹は減っていなかったのでパンはそのままにしておいた。ちなみにジャムパンとクリームパンだった。
しばらくそのまま座ってじっとしていたが、どうも落ち着かない。何よりも光源が百均の小さな懐中電灯のみというのが不安だ。念のために替えの乾電池も用意してあるので大丈夫だと思うが、途中で消えたりしないだろうか?
そう考えた途端に、その灯りがチカチカと瞬いた。
「えっ?」
驚き、椅子から腰を浮かせる。が、どうやら接触不良か何かだったようで、何事もなかったかのように灯りはちゃんと点き続けていた。
「ふぅ……」
安堵のため息を漏らす。そして再び椅子に深く腰掛けた。そこで、ギィと背もたれの軋む音が室内に響き、思わずビクリと身を縮めた。
暗闇と静寂が、神経を過敏にさせているようだ。
室内の空気に異様なもの感じ始める。懐中電灯の灯りの届かない闇に中に何者かが潜み、こちらを観察しているんじゃないかという妄想に取りつかれる。
「くそ…、このまま帰っちまうか……」
手にした前金を元手に、競馬で一発――いや、ダメだ、今晩一晩我慢すれば、とりあえずの窮地は逃れられる。
「……寝ちまうか」
起きていると余計なことを考えてしまう。朝まで寝てしまえばいい。事務室で一晩過ごせと言われただけで、起きていろとは言われなかった。
ただ、横になって寝れそうな場所はないので、そのまま机に突っ伏して目を閉じる。電池の節約のために懐中電灯は消して、すぐ手の届くところに置いた。
「……」
静かだ。自身の発する音以外に何も聞こえない。
そして何よりも暗い。目を閉じているのだから当然だが、それにしても闇を濃く感じた。まるで闇が体内に沁みてくるようだ。
すぅ…、すぅ…、すぅ…
自分の呼吸音がやけに耳に付く。
トクトクン…、トクトクン…
体内を巡る血液の脈打つ音も、過剰に感じた。
「…………」
眠れそうで、眠れない。頭の芯が周囲の環境に過敏になっている様だ。
(眠れ、眠れ、眠れ……)
羊を数えるように自分自身に言い聞かせる。
しばらくすると、気分も落ち着いてきて、意識が闇に溶けていく。
すぅ~…、すぅ~…
眠りに落ちた――はずなのだが……
すぅ…、はぁ…、すぅ…、はぁ…
まどろむ意識の中で、寝息がやけに耳に付く。自分の呼吸音のはずなのに、妙に大きく聞こえてくる。
すぅ~…、すぅ~…
はぁ~…、はぁ~…
(あれ、何だかリズムが――)
己の息づかいと聞こえてくる呼吸音に微妙なズレを感じた。
はぁ~、はぁ~、はぁ~…
眠りのリズムとズレた音に気持ち悪さを感じる、と共に意識が覚醒へと引き戻される。
「なんだ……、俺じゃない……、何かいる……」
聞こえているのは自分以外の吐息。何者か確かめないと――そう思い、懐中電灯へと反射的に手が伸びた。いや、伸ばそうとしたが、動かない。
「体が…、動かない……」
体が眠りについたままのごとく、自分の意志に反応しない。
金縛り――
頭の中にそんな文言が浮かぶ。
「バカな…、そんなこと……」
起きろ!
自分の肉体に言い聞かせるが、全く言う事を聞かない。それどころか、意識さえも再び眠りの中に引き込まれていきそうだ。
(なんだ、これ……。何か…、いる……!?)
全身を包む闇が質量をもったかの如く、重みを感じ始めた。自分の体に何かが覆いかぶさっているかのような感覚――
はぁ~、はぁ~、はぁ~…
「うっ――!?」
すぐ耳元で聞こえる吐息。痛んだ生肉のような生臭い匂いも鼻孔に届く。
「あぁ…、何が……、ううぅ………」
ギシッ――
椅子が軋む。
カタカタカタ……
机が小刻みに揺れた。
「あ、ああぁ…、くあぁあぁぁ……」
抗おうと心拍数が上がる。全身から汗がにじむ。しかし、肉体は石化したかのように微動だにしない。
はぁ、はぁ、はぁ……
「あっ…、やめろ……」
覆いかぶさる何かが、中に入ってくる。皮膚を透過して、肉を犯し、骨へと沁みてくる。
「くわっ、あぐあぁ……」
はっ、はっ、はっ……
ドクン、ドクン、ドクン……
侵入してくるものの吐息と自分の鼓動が同期する。
(ダメだ…、犯される…、意識まで――)
気が遠のいていく。
このまま俺は別の何かに成り代わってしまうのか――
言い知れぬ恐怖が襲ってくるが、それに反応しているはずの肉体の感覚がもうない。声ももう出せない。
ダメだ……、ああ…、ここまでか……――
意識の最後の一片が消失しようとした刹那、どこからか声が聞こえた。何を言っているのかわからない。聞き覚えのない音の羅列。
なんだ…? 呪文? お経?
リズミカルに流れる音の列挙。声の主は女性だ。女性にしては低い、落ち着きのある、耳心地のいい声。
うはっ、はぁっ、あぁっ……
聞こえてくる声に合わせて、中に入り込んだものの苦鳴が漏れ聞こえてくる。苦しんでいる。それに合わせて、俺の意識も回復してくる。
「ああぁ…、誰…?」
声も戻った。体は――微かに動くぞ!
首を動かし、声の主を見ようとしたが、ダメだ、何も見えない。視界が戻っていないのか。いや、暗闇がまだ周囲を覆っている。
くっ、ぐっ、ぐあぁぁぁっ!
突然の絶叫。同時に俺にも強烈な衝撃が襲ってくる。
「うあわぁぁっ!」
全身が痛い。体が痺れて動かない。肉体の感触が戻ったのはいいが、ダメだ、これじゃまともに動かせない。突然戻った五感に、神経が悲鳴を上げている。
「あぁ、ああぁ……」
防御機能が働いたのか意識がシャットダウンする。遠のく意識の中で、女性の声を聞いた。
「ご苦労様。後金はここに置いておくわね、朝までゆっくりおやすみなさい」
「……――――」
次に気づいた時は夜が明けていた。
窓から差し込む明かりで照らされた室内は、特に変わったことはなく、夜中の異様な出来事は全て夢なのではないかと思った。
しかし――
「これは……」
眠っていた机の上に、新たな封筒が置かれていた。中を確認すると、約束の報酬が入っていた。
「……夢じゃ、ないのか」
そう思った途端に背筋に寒気が走り抜けた。そして、すぐにその場を離れた。
その後、特に俺の体に異変はない。ただ、夜になると少し体が重く感じ、寝ているときによく金縛りにあうようになったが、どうということはないさ。
それよりも、また金が必要だ。
そう考えながらスマホを覗いていると、またあの求人広告が目に留まった。
ふふっ、またやるか、“闇”バイト……
おしまい
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