クリスマスイブの残業

「ふぅ~、ちょっと休憩するか……」

 作業していたデータを保存し、ノートパソコンをスリープモードにする。

 オフィスの中には俺一人。俺のデスクの周囲以外の電灯は消しているので、なんとも物寂しい感じだ。

 コーヒーを飲もうとカップを手に取るが、中は空だった。そこでコーヒーメーカーまで歩むとカップをセットしてボタンを押す。少し待つと暖かいコーヒーが新たに注がれた。

 カップを手に持ち、一口飲んでから、窓際まで進んでいく。

 窓に近づくにつれて楽しそうな人々の笑い声やクリスマスソングが耳にはっきりと届いてくる。街を彩るイルミネーションの明かりも漏れ見えてきた。


「……クリスマスイブの晩に残業とは、日頃の行いが悪いのかな」


 コーヒーを再び口に含みながら、十三階にあるオフィスの窓から下を覗くと、なんとも楽し気な光景が広がっていた。少し先のメインストリート程ではないが、このビルのある通りもすっかりクリスマス一色だ。

 外の様子と一人残業する室内との格差に、俺は深くため息をつく。


「仕方ないか、元々俺のミスだ……」


 残業の原因を作ったのは自分だった。八つ当たりはできても、誰も責めることはできない。落ち込む気分を少しでも回復させるべく、暖かなコーヒーを胃へと流し込む。


「ま、いいか、どうせ今年は騒ぐ気はなかったからな……」


 窓の外の賑わいを見ながら、一年前の事が頭によぎる。丁度一年前のクリスマスイブの晩に、当時付き合っていた彼女――彩菜あやなが自殺した。俺がその日の約束をドタキャンしたせいだ。それだけで――というわけではない。彼女はその前から疑っていたのだ、俺の浮気を。彼女の親友との浮気……。それを確かめる意味もあって、イブの晩の約束であったが、俺は急な仕事だと嘘をついて、その浮気相手の方に走ってしまった。

 そして、彩菜は自らの命を絶った。


「もう一年か……」


 あれから一年、そのショックから恋人は作っていない。もちろん浮気相手ともきっぱりと別れた。仕事に打ち込むことで彩菜のことを忘れようとした一年だったが、その仕事でミスをして、今日という晩に一人残業しているとは、何とも皮肉な感じだ。


「……はぁ~、仕事に戻るか」


 クリスマスの祝祭に彩られた世界から顔をそらし、自分のデスクへと戻ろうとした。その視界の隅に、何かが横切った。

 窓の外、正面、空中だ――

 気になり、窓へと視線を戻す。


「……なにもないか。赤い影が見えたような気がしたが」

 赤い服を着た人影を見たような気がしたのだ。クリスマスに赤い服――

「ふっ、まさかサンタか……」

 自嘲気味に呟き、再度窓の外を確認するが特に何も見えなかった。


「疲れているのかな…」

 そこで手にしたコーヒーを全て飲み干し、ふぅっと大きく息を吐きだした。

「もう帰るか。後はうちでどうにかなるだろう……」

 そう決意し、デスクへと歩き出した。

 その時、室内の灯りが消え、真っ暗になる。


「停電?」

 いや、窓から街の灯りが漏れている。明滅するイルミネーションの色とりどりの光も確認できた。

「この部屋だけ? ビルの電源でも落ちたのかな」

 どうせ帰ろうとしていたところだ。窓からの明かりを頼りにデスクまで歩いていく。が――


 リーン……


 済んだ金属性の音が室内に響いた。鈴の、いやクリスマスならベルの音か?


「えっ? なに――」

 音源を探して暗い室内を見回す。


 リーン、リーン……


 はっきり聞こえるベルの音。窓からだ――

 視線を向けると、そこに赤い服の人物の姿が見えた。


「サンタクロース……」

 自分の目を疑った。窓の外にサンタクロースが立っていた。いや、ここは十三階。浮かんでいたというべきか。服装は確かにサンタのそれだが、顔は――影のようになってよく見えない。

 そのサンタが、ベルの音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。


「バカな…、夢でも見ているのか……」

 手にしていたコーヒーカップが床へと落ちた。全身から嫌な汗が吹き出し、自然と体が震えてくる。

 サンタが窓をすり抜け、室内へと入ってきた。もう目前だ。

 そこで、その顔がはっきりしてきた。


「あ、ああぁ、彩菜ぁっ……」


 一年前に死んだ恋人の顔がそこにあった。そう認識すると共に、サンタの服装が、セクシーなものへと変化する。胸元が大きく開き、彩菜の豊かな胸の谷間が露わになり、下はミニスカートに変化し白くむっちりとした太腿がにょっきりと伸びている。


「あぁ、そんな、その服は――」


 セクシーなコスプレサンタ。彩菜が死んだときの姿。あの晩彼女は、パーティーの準備をすっかり整えた自分の部屋で、そのサンタの姿をして自らの首筋を裂き、全身真っ赤に染めて死んでいた。そんな彼女を最初に見つけたのは俺だ。クリスマスの朝、スマホに届いていた彼女からの死を匂わせる音声メッセージに、慌ててマンションを訪ねたら――全ては手遅れだった。


『迎えに来たの、みのるさん……』


 間違いなく彩菜の声――


『今年こそ一緒にパーティーしましょ。ね、クリスマスの――』


 ニコっ…、微笑む彩菜だが、その目は空洞のように光がなく、微かに開いた三日月形の口の中は鮮血のように真っ赤に染まっていた。


「う、うあぁぁーー! 許してくれ、彩菜!」


 俺は彩菜に背を向け、その場から逃げようとした。しかし、足が動かない。石膏でがっちりと固められてしまったかのようだ。

 そんな俺の背中に、彩菜が抱きついてくる。

 冷たい――体温のかけらも感じられない肉体。


『ねぇ、どこに行くの? まさか、またあの女ところ!』

「違う…、いや、頼む許してくれ……。悪かった、彩菜」


 俺は目を瞑り、ひたすら許しを請う。


 悪いのは俺だ。俺が彼女を死に追いやった。そうだ、俺が悪い。俺が――


 脳裏に彩菜の最期の顔が蘇って来る。

 自らの血しぶきに濡れ、目を見開き、歯を食いしばるその表情はまるで羅刹のようだった。俺を責めて睨んでいるように感じ、すぐに顔を背けたのを思い出す。


「頼む、許してくれ……。全部、俺が悪かった……」


 背中から伝わる彩菜の冷気が、全身へと広がりガタガタと震えてくる。


 寒い、凍える……


 電灯と共にエアコンも止まっていた。冬の寒さがゆっくり室内に広がっていたが、今感じる寒さはそれとは違う。外からではなく、内から凍える寒さ。


 内臓が、血液が、そして、心が凍る――


 彩菜に対する罪悪感。それが俺を内側から蝕んでいく。


「あぁ、俺は…、そうか、自分が…、許せない……」


『さあ、一緒に行きましょう。稔さん……』


 耳元で囁かれ、脳の奥まで彩菜の声が突き刺さる。


「ああぁ…、わかったよ、彩菜…、一緒に行こう……」


『うれしい……』


 リーン、リーン……


 ベルの音が鳴り響く。続いて、


 シャンシャンシャンシャン……


 サンタのトナカイが近づいてくるような鈴の音。


 体が急に軽くなる。そして、俺は――……



☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆



 クリスマスイブの夜、オフィスビルの警備員が夜間の見回りで一人の男性社員が死んでいるのを発見した。真っ暗なオフィスの中で何故か凍死していた。凍死するほど室内は寒くはなかったそうで、原因は不明である。ただ、その顔は幸せそうに微笑んでいたという……



メリークリスマス♪


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