自販機で当たったら…

 冷たい風が細い路地を吹き抜け、街路樹の葉がわずかに震えていた。初冬の夜、街灯がぼんやりと道を照らし、帰り道を急ぐ人々が足早に通り過ぎる。その中に彼はいた。

 福山純次、大学三年生、コンビニでのアルバイトの帰りだった。


「ううぅ…、寒いな、今日は……」


 天気予報によると、この冬一番の寒気が降りてくるとかで、深夜には初雪が降るかもしれないというほど寒い夜だった。純次は家路を急ぎながら、帰ったら何か温かいものでも食べたいな、などと思っていると、ふとある気配に気づいた。


「ん?」


 純次は立ち止まり、気配へと視線を向けた。


 自販機がそこにあった。


「あれ、こんなところに自販機なんてあったっけ?」


 この道は毎日通る。昨日までは確かになかった。純次は首をかしげながら、その自販機をじっくりと見た。

 ごく普通の飲料の自動販売機だ。特に変わったところはないが、真新しい感じだ。汚れが全くない。


「今日の昼にでも設置したのかな…」


 そう考えるのが妥当だった。そこで純次は、ふらふらっとその自販機へと歩み寄った。特に飲み物が欲しかったわけではなかったのだが、灯りに惹かれる蛾のように無意識うちに自販機に引き寄せられた。


「……寒っ。せっかくだ、温かいものでも買うか」


 冷たい風に吹かれた純次は、冷えた体を温めるべく、並ぶ飲料のディスプレイに目を向けた。


「やっぱコーヒーかな……」


 買うものを決めたそこで、純次はあることを思い出した。


「しまった、小銭持ってないや…」


 小銭どころか現金を持ってなかった。決済はスマホさえあれば事足りるので、基本的に財布を持ち歩かない。

 諦めるか――そう思い今一度自販機を見つめると、「スマホ決済対応」の文字が目に入った。どうやら最新式の自販機らしい。


「よかった」


 純次は決済方法の説明書きを読みながら、ポケットからスマホを取り出した。


「ふむ、まずは商品を選んでから、この画面で決済するんだな…」


 そこで純次は、先程目を付けたホット缶コーヒーのボタンを押した。すぐに決済用の液晶に二次元コードが表示されたので、スマホをかざして読み取る。数秒で決済完了の音が鳴り、缶コーヒーが取り出し口へと落ちる音が響いた。

 と、同時にピコピコっという電子音が鳴り始める。見ると、決済とは別の画面に四桁の数字のルーレットが回っていた。


「クジ付きだったのか」


 腰をかがめてコーヒーを取り出しながら、何気なくクジの画面へと目を向ける。どうせ当たらない、そう思っていた純次だが――


 ピー、ピピピピピピっ!


 1111


 四つの数字が揃っていた。


「当たった!?」


 確認するため画面を凝視する純次。その耳に、


「大当たり! おめでとうございます、福山純次さん。あなたは勇者に選ばれました」


 甲高い女性の声でそんなセリフが聞こえてきた。


「へ?」


 純次が素っ頓狂な声を漏らす。今聞いた言葉が脳で理解できなかった。それを感じ取ったかのように、もう一度音声が流れる。


「おめでとうございます、福山純次さん。あなたは勇者に選ばれました」


「え、勇者? え、俺の名前をどうして…。どういう事? え、えっ……」


 缶コーヒーを握りしめたまま、純次がジワリと後ずさる。脳内がパニックで、何が起こっているのかわからない。


「勇者・福山純次、冒険の旅が待っていますよ。さあ、まいりましょう!」


 言葉と共に自販機の前面が上方に音もなくスライドして開き、奥に光り輝く通路が出現した。


「な、な、なんだ!?」

 純次は驚き、身を後方に大きく退いた。それを見て、


「さあ、まいりましょう、異世界に」

 自販機内の光に促すように声がかけられる。しかし、


「異世界――遠慮する。行かない」

 純次はきっぱりと断った。


「ええ、なんで。異世界ですよ。勇者ですよ。冒険ですよ?」

 戸惑ったように説得する自販機の声。


「そういうの、興味ないんで。それに、明日、初めてできた彼女と初デートなんだ。異世界になんて行っている場合じゃない!」

 ぐっと拳を握り締める純次。


「デート……、勇者になればモテモテですよ。イロドリミドリ、ハーレムです。さあ、まいりましょう」

 純次の決意を翻すように自販機が誘うが――


「……いや、結構です。じゃあ、そういうことで」

 純次の決意は変わらなった。


「はぁ~……」

 自販機から洩れるため息。続けて、小声でぼやきだす。

「おっかしいなぁ。最近の若者はこれで行けるって聞いたけど……。情報が間違っていたのかな…。いや、人選ミスか…。いやいや、場所かな…。そういえば、秋葉原がいいとか言ってたような……」


「えっと、じゃあ、さよなら」

 純次がここぞとばかりに自販機から立ち去ろうと横を向いた。その時――


「仕方ないな……」

 残念そうな声と共に、自販機の光が純次に向かって伸びてきて、がっちりと掴み取った。


「えっ、わあっ!」

 両腕ごと胴を光の手に握られた純次が悲鳴を上げる。

「助けて、誰かぁ――!」

 救援を求めて首を巡らすが――


「え、なんで……」


 道を行く人々が彫像になったかの如く動きを止めていた。それだけでなく、北風で舞う枯葉も、空中で張り付いたように留まっている。


「時間が止まっている――?」


 驚愕し目を見開く純次。そんな彼を光の腕が、自販機の中へと引き込んでいく。


「あ、待って、あぁ…、う、わあぁぁっつーーーっ!」


 尾を引くような悲鳴を残して純次の姿は光の中に消えていった。

 一拍おいて、上方に持ち上がっていた自販機の前面が下りてきて、元の姿に戻る。


「……ああ、やっぱり恐怖の感情のせいで、数値がよくないな。次はうまくやらないと、博士に怒られる。あと九体、質の良い状態の検体サンプルを集めないとな……。よし、場所を変えよう」


 その呟きが終わると共に、自販機が重量をまるで感じさせないかのように静かに上昇していき、空の彼方へと消え去った。

 直後に時間が動き出す。

 寸前まで自販機のあった場所を一陣の北風が吹き抜けていく。

 通りを進む人々は、自販機が消え去ったことなど、まるで気にした風もなくそれぞれの家路を急いだ。当然、一人の青年が居なくなったことなど誰も知る由もなかった……



おしまい

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