夜、神社にて

(自主企画「【三題噺 #83】「和解」「暗夜」「神様」」の為に書いた作品)



 夜の静寂が街を包み込む中、私は喧嘩中の恋人と共に小さな神社へと足を運んだ。薄暗い街灯の下、二人の影が長く伸びる。その影の暗さの様に、私の心は重く、昏い罪の意識で占められていた。

 鳥居をくぐると、冷たい夜風が二人の頬を撫でた。静寂と神秘に包まれた境内を、彼女の手を引いて進んでいく。その途中で、彼女が不意に足を止めた。


「ねえ、何なのよ、こんなところに連れてきて?」

 参道の両脇に並ぶ石灯籠に灯った淡い灯りに照らされた彼女の顔には、いらだちと不満、それに僅かな怯えが浮かんでいた。


「きみに謝罪したいんだ、の前で」

 参道の先に見える本殿に顔を向ける。


 謝罪――そう、私は罪を犯した。素晴らしい恋人がいる身で、つい他の女性と……。それも、彼女の友人と過ちを犯してしまった……

 今日はその謝罪のため、彼女とすべく、この場に来たのだった。


「きみがどう思うのかはわからない。しかし、私の誠意を見せたい。とにかく、神様の前で心から謝らせてくれ」

 風が吹き、周囲に広がる木々が夜風にざわめき、葉擦れの音が耳に響く。その音が途切れ、夜の静けさが辺りを包む中で、彼女が静かに口を開いた。


「わかったわよ。好きにして……」

 言ってから彼女がプイっと視線を逸らす。当然だが、まだ怒りは鎮まっていない。

「ありがとう。――じゃあ、あの本殿の前、神様のすぐ傍で、やらせてくれ、いいか?」

「はいはい、付き合ってあげる」

 そこで再び歩き出す。


 今晩は新月なのか、晴れているのに空に月明かりがない。石燈籠の淡い灯りは、その周りを照らすのみで、奥の森は漆黒で、に紛れて何者かが潜んでいてもわからないほどだ。秋の冷たい風が再び強く吹き、夜の静寂に葉擦れの音が響いていく。世俗とは隔離された神聖な空間だと思わせ、彼女の手を握る手に微かな緊張が走った。


 程なく本殿に着き、賽銭箱の前で立ち止まる。

 夜の闇ではっきりとは見えないが、年月を感じさせる風格が漂った建物で、威厳の様なものをひしひしと感じることができた。


 私は彼女の手を離すと、その場に膝をつき、更には手をついて深く頭を下げた。いわゆる土下座というやつだ。


「すまない。本当に悪かった。相手に誘われたと事とはいえ――申し訳ない。許してくれ!」

 額を石畳に擦り付け、心から謝罪をする。


 今、彼女と別れるわけにはいかなかった。彼女の父親は取引先の重役。機嫌を損なえば、私の将来は――


「好きなんだきみが。いずれ結婚したいとも思っている」

 言葉などタダだ。いくらでも弁明してやる。


「……好きなら、何故浮気なんか」


「気の迷いだ。無理やり酒に付き合わされ、泥酔してつい……。すまない!」

 というのは嘘だ。酒には酔っていたが、どちらかといえば私が先導した。なかなか色っぽい子で、前から気にはなっていたのだ。


「お酒…、そう……」


 そこで下からちらりと彼女の表情を見た。明らかな怒りは消えている。もう一押しか?


「頼む、もう一度チャンスをくれ。一度の過ちだ。浮気など二度としない。きみだけを愛するから」

 これも嘘。実はすでに何人か浮気ををしていたし、当の彼女の友人とも未だに続いている。あの体は手放すにはもったいない。もう少し味あわないと……


「そう…、本当ね、その言葉?」


 彼女が私を見て、念を押すように訊く。

 あどけなさの残る表情。お嬢様育ちのせいか、人を疑うことを知らない。

 その清らかな雰囲気とこの場の空気感に、嘘八百を並べる自分に気が咎め、胸がチクリと痛んだ。


「もちろんだ。神に誓うよ。だから、この場所を選んだんだ!」

 神など信じていない。でも彼女は信心深い。こうすれば効果覿面こうかてきめんだろうと、この機会をセッティングした。


「神様に…、そうね、信じましょう」


 清らかな微笑みが彼女の顔に浮かぶ。すべてを許す如来様のよう。

 胸がまたチクリと痛んだ。いやチクリと言うより、ズキッといった感じだ。


「……あ、ありがとう。必ず約束は守るよ。きみだけを一生愛する」

 顔をしっかり上げ、彼女の顔を見つめる。


「そう…、ふふ、よかった。じゃあもう立って」

 彼女が手を差し出す。その手を握って、立ち上がった。その時――


 ズグキッ!


 胸に激痛が――!


「あぅっ! なんだ……」

 思わず胸を手で押さえ、腰をくの字に折った。


「どうしたの?」

「いや、その、胸が――」


「胸…、ああ、今になって効いてきちゃたのねぇ」

 どこかのんびりした口調で彼女が呟く。その声に彼女を見ると、意味ありげな笑みを浮かべていた。左右の口角がつり上がり、三日月形に広がる口元。微笑んで目じりが下がった瞳の奥には、今までに見たことのないような毒を含んだ光が灯っていた。


「効く、何のことだ……?」

 ズキズキ……


「実はね、わたしも昨日の夜、ここに来たのよ。いえ、正確には今日の未明かしら?」

 小首をかしげる彼女。


「ここに…、何故……?」

 ズキズキズキ……


「神様にお願いしによ。丑の刻に、藁人形を持ってね、ふふふ」


「藁人形――」

 ズキズキズキズキ……


「嘘つきなあなたを罰してもらおうと思ってぇ、……今その胸が痛んでいるということは、嘘をついているということかしら?」

 彼女の顔から笑みが消え、刺すような視線がこちらに向けられる。


「あ、ああ…、違う、嘘なんて――」

 ズキズキズキズキズキ……


「ぐああぁっ!」


「あらあら、神様はすべてお見通しよ。――さて、わたしは帰るわね。この鎮守の森のどこかに、あなたの髪の毛の入った名札付きの藁人形が打ち付けてあるから、捜すといいわ。釘を抜けばその痛みも消えるかもしれないわね、ふふふふふふふ……」


 彼女は悪魔の様な笑い声を残し、その場を去っていった。私は――


「くそっ、どこだ、藁人形は――!」

 暗夜に覆われる鎮守の森に入り込み、問題の藁人形を捜す。


 ズキズキズキズキズキズキ……


「うぐっ! 頼む神様、もう二度と嘘はつかない。彼女にももう一度しっかり謝罪し、和解する。だから、だから――」


 ググズギッ!!


「ぬあぁっ……!」


 胸が裂ける! 激痛が全身を巡る。


 そして、私の意識は遠のき――……



おしまい



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