終電を降りたら…
金曜の晩、久しぶりに大学時代の友人達と集まり飲み会をした。仕事上の愚痴や人間関係の悩みなどをグタグタと話し、気づくと終電の時間になっていた。
週末の夜なので終電も混んでいるかと思ったが、意外と空いていて初めから座ることができた。
私の降車する駅は、始発となる都心の乗車駅から三十分以上先だ。準急や快速ならもう少し早いのだが、終電は各駅なので、時間がかかるのは仕方がない。
電車が発車して二駅ほど過ぎるとすでにこくりこくりとし始め、その次の駅を発車する頃には完全に寝息を立てていた。
くぅ~、くう~、むにゃむにゃむにゃ…、ZZZZZZ……
どれくらい寝ていたのか、自分ではわからない。がくっという揺れを感じて、体が前に倒れそうになったので目が覚め、窓の外に視線を向けると、ちょうど駅に停車するところだった。
「……どこだ? ――あ、いかん!」
窓から見えた様子が自分の降車する駅のものだと思い、私は慌てて席を立った。ドアが閉まる寸前に急いで電車を降りる。
「ふう~、危なかった、危うく寝過ごすところだった」
ホッと一息し、周囲を見る。
(ん? 私以外に降りた客はいないのか…)
青白いライトに照らされたホームには人影がなく、がらーんと静まり返っていた。終電とはいえ数人は降車客がいてもおかしくないのに、と思いながらホームを歩き出す。そこで、気づく。
「あ、あれ? 違う、間違えた!」
駅の造りは似ていたが、ホームから見える外の風景が自分の降りる駅とは違っていた。慌てて駅名を確認すると、降車駅より三つほど手前の駅だった。
「ああ……」
後悔しても手遅れだ。駅から遠ざかって行く最終電車のライトを呆然と見送る。
「まいったなぁ…。ふぅ~、仕方ない、タクシーで帰るか」
ここからなら家まで驚くほどは遠くない。痛い出費にはなるが、この時間じゃタクシー以外の選択肢はないだろう。
人のいないホームをとぼとぼと歩き、改札に向かって階段を上る。この駅は毎日通過はしているが、改札を出るのは初めてだ。駅の作りは似たようなものなので、改札までは迷うことはないが、さて、この先はどっちだろう?
右か左か。北口か南口か?
家の方角なら右の北口なのだが――
「確かここは南口にしかロータリーがなかったよな」
電車の中から見た風景で、南口には駅前にロータリーが整備されていたが、北口は商業ビルが立ち並び、大きな道路は通っていなかった記憶がある。案内板を確かめると、バス・タクシー乗り場はやはり南口を示していた。
「しかたないな……」
線路をどこかで越えなければならないので家までやや遠回りになる。その分、料金も上がってしまうが、どうしようもない。ツイてない時はそんなものだ。降りる駅を間違えた自分が悪いので、誰にも文句は言えずに、ただただ自己嫌悪する。
「それにしても、やけに静かだな…」
人影はもちろん、物音さえしない。跨線橋を歩む自分の足音が通路に反響してはっきりと聞こえてきた。途中の売店なども皆閉まっており、全くの無人であった。
「……なんか薄気味悪いな」
あまりにも静かなのでついそう呟く。歩む足をやや早め、南口に出るための階段を一気に降りる。
外に出るとすぐにタクシー乗り場が見えた。が、タクシーはいない。傍のバス停にも待機しているバスはなかった。終電に合わせて最終バスが待っていたりするものだが、最近はそんなことはないのかな、と思いつつローターリーを見渡す。タクシーはやはりどこにもいない。
「まいったなぁ…。終電の客目当てで待ってたりすると思ったんだが……」
ドライバー不足とかのせいなのか、などと思いつつ、さて、どうするか考える。歩いて帰るのは論外だ。夜中に知らない道を長距離帰るなんて、無謀としか言いようがない。
「そうだ、確か配車アプリがあったな」
普段使わないが、何かの時にとスマホに入れてあったのを思い出す。
スマホを取り出して早速アプリを開く。だが――
「あれ? 何だ……、繋がらない? 電波が――」
圏外になっていた。
「冗談だろ?」
駅前だ。郊外とはいえ東京都だぞ。
スマホを持ったまま辺りをうろつく。しかし、全く電波をつかまない。手を伸ばして上にあげてみたりしたが無反応。当然ながら通話もできない。
「これじゃ、呼べないじゃないか、タクシー……」
困った。どうすればいいのか途方に暮れる。スマホが使えないだけで心細さが急激に増してきた。
「通信障害でも起きているのか?」
そう考えるしかこの状況は説明できない。
仕方ない、そう思い、頭を切り替える。
「どこか店から連絡してもらおう……」
駅前だ、この時間でも開いている店があるだろう。そう考えて、周囲を見回した。
「お、コンビニ!」
降りてきた階段口の向こうに、見慣れたコンビニの店構えを見つけ、ほっと一安心する。
小走りにそのコンビニへと走る。ガラス戸を透けて明かりが煌煌と漏れ、店内の様子がよく見えた。
入口のドアの前に立つ。が、自動のはずのドアが全く反応しない。
「え…?」
ドアの上のセンサーに向かって手をかざしたりするが、うんともすんとも言わない。
「壊れているのか?」
誰かいるはず、と中をのぞくが人影はない。客はもちろん店員の姿も見当たらない。
「そんな……。おい、誰かいないの? 開けてくれ!」
ドアを叩きながら叫ぶが応えは返ってこなかった。
「どういうことだ……」
そのまま呼び掛けても無駄だと思い、他の店を探す。
細い道を挟んだ向こうのビルの一階が、何かの店舗の様だ。急いでそちらに向かうと、そこは喫茶店と弁当屋だった。時間的に二つとも開いてない。
「他には――?」
さらに先に目を向けると――
「交番!」
地獄に仏、私は慌てて交番へと駆け込んだ。しかし……
「いないのか…、おーい、すみません。誰か、いませんか!」
叫ぶが返ってくるのは静寂のみ。
「そんな、馬鹿な……。どういうことだ。誰もいないなんて……」
ここにきてさすがに普通じゃないと悟る。人がいない。まるでゴーストタウンに迷い込んでしまったようだ。
背筋に冷たいものが走る。
「誰もいない? 独りぼっち? そんなことが――」
交番を飛び出し、歩道を走る。
他に人は――?
居酒屋、洋食屋、パン屋、八百屋、またコンビニ……、どこにも人がいない。マンションの前を走る。灯りはあるが
「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な――」
走る、人の姿を求めて。しばらく走ったところで、大通りに出た。東京の郊外を横断する大動脈の一つだ。夜中でも何台ものトラックが行きかっている。それが今は物音一つ立てずに静まり返っていた。
「はぁはぁ…、そんな、どういうことだ……」
ここは一体どこなんだ?
私の知っている世界とそっくりだが、人のいない別世界に迷い込んでしまったようだ。
異世界か? 異次元か?
「こんなことって……」
恐ろしさが腹の底から湧き上がってくる。私はこのまま一人っきりなのではないかという考えが頭に浮かび、体の芯が冷えていく。
ぶる……
身震いした。と同時に、とある生理的欲求に見舞われる。
「ああ、ダメだ、おしっこ…」
飲んだアルコールが小便となって膀胱に溜まっていた。冷えを感じた事で尿意が襲ってきたようだ。
辺りを見回すが公衆トイレはない。恐らく駅まで戻らないとないだろう。しかし、そこまで持つか――?
「ええい、どうせ誰もいないんだ…」
歩道の隅でズボンのチャックを下ろした。
じょろじょろじょろ……
「お、おお…、うーん――」
遠慮なく小便を放出する解放感に、恍惚としたものを感じていると――
ぎゃおーん!
蹴とばされた犬の様な獣の啼き声が耳に届いた。
「ん…?」
何だろうと股間から顔をあげた時――光が、私を照らした。青白いLEDの光、車のヘッドライトだ。
更に車の騒音が耳に届く。
「え……」
急な世界の変化に唖然とする中、小便はまだちょろちょろと出続けていた。
その後どうにか小便をきり、誰かに見られないように慌てて自分のモノをしまうと周囲の様子を改めて確認した。
街道にはトラックが何台も行きかっている。乗用車やタクシーの姿もあり、その車内には当然ながら人の姿が確認できた。
「ああ、戻ったのか……」
一安心したものの、何が何だかわからない。酔っぱらって夢でも見ていたのかと思ったが、さすがに駅からここまで走っている間夢を見続けたりしないだろう。頭をはっきりさせたくて、左右に振り、顔をパンと両手で軽く叩く。
「これは、現実だよな……」
その時いい具合に空車のタクシーがこちらに来るのが見えたので、手をあげ、止めた。運転手はちゃんと乗っており、乗車すると、行き先を告げて、ほっと一息ついた。
家まで二十分ちょっとで着いた。その間、自分に起きた不思議な出来事を運転手に何気なく話した。すると、六十歳は越えていそうな男性運転手が、
「お客さん、狐に化かされましたね」
と少し楽し気な口調で応えてくれた。
「近頃この辺りにも野生の狐が戻ってきましてね、近くの都立公園に棲みついてるらしいんですよ。その狐が悪戯好きらしくて、ふふっ、不思議な話が色々耳に入ってくるんですよ、最近」
運転手そう話し、最後にこう締めくくった。
「狐に化かされたときは、煙草を吸うとよいとか、眉に唾をつけるとよいとかよく言われますね。ああ、それに、小便をするとよい、なんてのも聞いたことありますね。――お客さんは、どれをなさったんで?」
おしまい
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