ムーン29 マスラビの戻る日常

 悪の組織にとっても長い半日は終わりを迎えた。

 正確には午後より会合の場に飛び込み、夕刻過ぎどうにか収拾をつけたのだから半日も費やしていないことになる。めまぐるしい数時間を過ごした二人だが、裏の活動が終われた表の立場がニョッキリと顔を出す。

 7月下旬を前にして、高校生には一大イベントが待ち構える。

 その名も期末テスト。


「本当にお疲れ様。今日はゆっくり身体を休めてね」

「そうは言っても明日から期末テストなんだが?」

「テスト勉強なんて日頃からコツコツやっておくものでしょ?」

「正論ンンン」


 勉学とは一夜漬けより積み重ねと理解が物を言う。学生時分の試験なら理解より記憶力が重要視される傾向にあるが、それは言わぬが花。

 ともあれ学生なら誰もが経験する一夜漬け、ゆっくり休んでる場合ではないとねじり鉢巻する者も少なくないだろう。


「天才を超えた神才は今更テスト勉強で徹夜したりしないけどね」

「むかつくウウウウ」

「まあそれ以前、わたしは今更学校の成績なんてどうでもいいんだけど」

「ハハハ言われてみれば俺もそうかもしれない」


 美波は表の立場、ウサミ・テクノラボの最高顧問にして開発主任の顔で社会に貢献、目玉が飛び出る額の大金を手に入れ続けている。その彼女からスカウトされ、悪の契約金で一生かけても使い切れない額を受け取る予定の彼は就職のための勉強をする意義を既に失っていることに気付いた。


「とはいえ将来仕事も無しに優雅な暮らしをしているのは怪しさ満点だろうな」

「そこはいざとなればウチが雇ってあげてることにしてもいいわよ」

「フフフありがた怖い」


 社会的立場を得ている人間は強い、ただの学生とは格が違った。


「俺たちは問題ないとして、広井たちはテストに間に合うのかね」


 ふと思ったのは広井姉弟のことだ。彼らはミラームーンの活動に合わせて遙か遠くのバベル島に逗留していた。


「軍用機なら10時間あれば帰国できるとは思うけど」

「強行軍すぎてかける言葉もない」


 現在の島国時間は19時を回ったところ、時差含めても半日あれば間に合わないこともない時間なのが逆にひどい。流石にワープ装置で帰国を手助けするわけにもいかないわけで、敵対者には姉弟の健闘を祈る以外に出来ることはなかった。


「まあ怪しまれない程度には成績をキープすることにするか」

「うん、改めてお疲れ様。そして今後ともよろしく」

「宇佐見もゆっくり休めよ」


 夕食を共にした後、弘士は地球のアパートに戻った。対して美波はいつもそうするように月の基地に泊まり込むのだが。

 悪の女王は明朝を迎えるまでの時間を数える。


「……あと11時間くらいね」


 今更テスト勉強に徹夜したりはしない、その言葉に嘘はない。

 だが徹夜しないとは言っていない、言葉のマジックだ。

 彼女にはやるべきことがあった。しかし正直に話せば生真面目な彼のこと、自分にできることはなくても付き合うと言いかねない。

 だから美波は虚言を弄した、何故ならこれは彼女の戦いだからだ。


 宇佐見美波は装置の設計に入る。分析は出来ている、必要な仕様も頭の中では完成している、後は図面を引いて実際に作るだけ。


「緊急の徹夜仕事は久しぶりだわ」


 何故か楽しそうに鼻歌を唱えながら少女は時間と戦い始めた。


******


 どうしたって朝は来る。

 深夜までにわか知識を詰め込んだ弘士は良き目覚めを得た。通学支度を整えながらテレビの奏でる報道を聞きかじり、


『──こちらバベル島、ヴィラン同盟を名乗るテロリストが送り込んだ大怪獣MM1号の爪痕残る現場からお伝えしています』

「……話題がヴィラン同盟(仮)に負けてるなあ」


 弘士は立派な悪の先兵として情報収集も怠らず、昨夜も勉強しながら報道番組を流していた。世間の風向きを総帥が非常に気にしているのを承知していたからだ。

 本来は世界が誇る三大連の仕掛けた陰謀、偽会議をミラームーンが跳ねのけた事実が取りざたされるはずだったのに、世間では最後登場した大怪獣のインパクトが全てを上塗りしてしまった。

 政府組織の反応は不明だが、世のニュースはテロリスト跋扈よりも大怪獣出現の方が数字を取れると思ったらしい。


「当のヴィラン達はヴィラン同盟なんて名乗ってないのにな」


 島を襲撃したヴィラン達を同盟と称したのは怪獣騒動を彼らのせいに押し付けたマッドバニーなのだが、メディアが文言を拾い上げたようだ。このまま流れで公称となりそうな気配である。


『解説の湖下さん、これら情勢を世界はどう受け取ると思いますか』

『ミラームーンを名乗る組織の活動がヴィラン同盟を誘引、活性化させたと考えられます。便乗したヴィランによるテロ行為、今後は増えるかもしれません』

『それはまた恐ろしいことですね』

『三大連を中心にテロ対策をどこまで徹底できるのか、大本のミラームーンをどう取り締まるのか、予断は許さない状況だと──』


 騒乱は飯の種とばかりに世情をあれこれ過剰な予想展開するコメンテーターの声を聞き流す。政府筋の判断なら彼らの言動よりも悪の科学者が直接引っこ抜いてくる情報を読み解く方が正確だからだ。悪い兎たちがメディアで確かめているのはあくまで世間の反応に過ぎない。


「メディアが不安を煽るのもどうかと思うんだが……うん?」


 朝支度の最中にピンポーンと安アパートのチャイムが鳴った。普段は家賃催促で大家さんがやってくる以外に鳴らされたことのない悲しいチャイムが。ちなみに新聞勧誘も来たことはあるが貧乏なので無理ですと言ったら来なくなった。


「洗剤くらいくれればよかったのに……はあい、どな宇佐見?」


 薄っぺらいドアを開けると目の前にはかぐや姫ありけり。

 そこそこの美少女を自称する柔和そうな彼女、しかし今の彼女はクマを湛えた目が座っていた。そう、まるで徹夜明けの受験生が如く。


「お前徹夜したのか? 今更勉強なんて必要ないって言ってただろ、なんで」

「はいこれ」

「お、おう、なんだ?」


 対話が成立する隙もなく美波が何かを差し出して来た。反射的に受け取ったそれは割と身近な小さな布の袋。島国出身者であれば一度ならず見た事のあるだろう縁起物。宗教問わず様々なバリエーションのある、


「お守り」

「それは見ればわかるけどなんで?」

「それ付けておいて、比呂田くんは大丈夫だろうけど念のため」


 目元をキメた雇い主は有無を言わせず霊験あらたかな物体を押し付ける。いつもながら結論を先走らせる彼女に再度の質問をしようにも、


「わたしも登校準備をするので、じゃあ」


 徹夜明け、取るものも取らず現れたらしい悪の女王はそそくさとリターンホームで姿を消そうとする。


「お、おい、これ何を守るんだ?」

「じょーほー」


******


 朝の奇妙な邂逅については放課後にでも追及すればいいだろう、弘士はひとまず期末テストを受けるべく学校へと足を向ける。 

 高校一年で初の大型連休を前にした試験、学期の集大成に浮足立つ雰囲気の生徒たちが行き交う中に埋もれる弘士はある種達観した視点で周囲を見回す余裕があった。美波と会話したように、もはや将来に惑うことのない立場になったからして。


「あ、比呂田おはよ。あんたもこの時間?」

「お、おう広井。なんだか眠そうだな」


 そんな弘士を動揺させる声が背中を叩く。

 広井天音。クラスメイトであり日直当番のパートナーであり、悪の組織ミラームーンともっとも長く交戦しているヒーローである。彼の方は彼女の正体を知っている気まずさが表面化しかけたのだ。それを誤魔化すように学生らしい話題で言葉を紡ぐ。


「まさか一夜漬けでもしたのか?」

「あ、あはは、そーね、そんな感じなのよね」


 眠そうな態度の理由をお茶濁す天音に弘士は察する。彼女は己のヒーロー活動を隠す方針であること、故に付随した軍用機強行軍を一夜漬けの徹夜と誤魔化す方針であること。

 彼女達の行動は真っ当なもので悪の組織とは異なる、なのに秘匿を選んでいる事情は弘士にも多少は汲める。


(GEなのがバレちゃうもんな)


 一般社会がGEに向ける目は未だ定まらない。憧れるもの、期待するもの、嫌うもの、恐れるもの──世界がGEをどういうものか定義できていないがため様々に入り乱れている現状はどこから蔑視が入り込むか分からない状況。

 そしてどちらにせよ『普通とは違う』との価値観が先に立つ。他と違う者は群れから弾かれる、疎外される──肉体が強くなっても心はヒトのままだというのに。


(『私はお前達とは違うんです』って性格でもないとキツいよな)


 気は強い、しかし人付き合い良く頼み事を断れない、お人好しで正義感の強い人間とは正反対な性質。敵意や恐怖の混じった他者からの拒絶は彼女を深く傷つけるに違いない。

 今の世相、ヒーローとしてヴィランと戦っている事実を伏せるのは正しい判断なのだろうと彼にも汲み取れた。GEに覚醒させられた彼にも他人事ではないし、


(そもそも戦ってる相手の俺が心配するのもあれなんだが)


 悩みを持たせたのは自分達との自覚があるので気まずさが増す。さらに彼女の事情を知っているので下手な発言が藪蛇になるかもしれず言葉が詰まる詰まる。

 ただひとつの光明もある。宇佐見美波の壮大な計画にはGEに関するもの、大宇宙の脅威前にはGEと非GEの違いなど誤差でしかないと認識を新たにさせる要素も含まれている。バイト感覚、部活感覚で協力し始めた彼にしても多少の善性を寄り合わせてGEに対する偏見を取り払う努力くらいしてみようかと思った。


(クラスメイトの悩みだし、他人事でもないからな)


 ただそれを説明するわけにもいかず、結局眠そうに欠伸している天音と横並びに歩くこと暫し、少ない語彙からひねり出せたのは。


「まあその、なんだ、無理はするなよ。根を詰めても良いことはないからな」

「! わ、分かってるわよ! 任せなさい!」

「……なんで張り切ってるんだ? そんなにテスト楽しみなのか?」

「は、張り切ってなんてないわよ!」


 ただの一般論、具体性のない慰めを発しただけなのに何故か元気を出されたことに首をかしげる。彼には記憶にない、しかし天音にとっては忘れられない中学時代の励まし再現に奮起した青春の1ページ。


 ──これでヒーローとヴィランの対立関係になければ美しい1コマなのだけど、上手くいかないものである。

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