ムーン28 三者三葉決意する

 意図せず始まったヒーローと悪ウサギの共闘。

 ひと時の甘い夢はウサギの裏切りにより空しく砕け散り、再び地球と月の抗争が勃発すると思われたその時。


『そんな勝手を許すわけ──』

『コロコロコロ、貴様らの許可など要らぬ』


 ウサギの女王、戦場の空にて嗤う。

 虚空より現出したマッドバニーは尖兵マッスルラビットの傍らに有り、手にした黒色の扇をこれ見よがしに弄ぶ。憤慨する人類のヒーローを冷たい月の如く見下し、悪魔的な暴力で以って反抗の意思と戦いの芽を踏みつける。


『重禍扇』


 彼女の手にした扇が一振り、仰ぐように振り下ろされて。

 太陽の騎士は不可視の力に潰された。


『ガッ!?』

『くうう!?』


 突如として全身にかかった高圧力、ソルスーツのパワーモーターが悲鳴を上げてその場に跪き、関節各位に高負荷を示すアラートが姉弟の視界を埋め尽くす。


『頭が高いぞ、平伏せ地球人類』

『な、何これ!?』

『ウェイトストレスオーバー、超重力か!』


 人体を補助強化するパワードスーツの限界量を遙かに超える重量が各部位にかかる異常事態。目に見えぬ重りの正体を聡い弟は即座に看破した、身を縛る重力の鎖が不自然かつ不可解に膨れ上がったのだ。

 重禍扇、マッドバニーが手にした重力兵器の力によって──という脅威の演出。


『コロコロコロ、無様な姿よのう』


 実際は実験エリアの重力発生装置を操作して重力を20倍ほどにしただけの小細工だ。元々テラフォーミング、惑星改造の実験を行う都合で地球と異なる重力下を作り出す機能を備えつけていたのが功を奏した。

 MM1号を捕らえるために準備した仕掛け。力場変異調律システムを所持しない広井姉弟には抗えない物理干渉、単純ゆえに強力な高重力の楔であるのだが。


(大丈夫!? 二人とも潰れたりしないわよね!?)


 威風堂々の裏側、仮面の奥で宇佐見美波は冷や汗を垂らしていた。

 人類の科学では対抗手段のない超科学の一枚、マスラビ無双にも一役買っている重力制御。旧人類のエリート、常人の宇宙飛行士は訓練で7Gに耐えられる身体を作るという。広井姉弟はGEの副産物で肉体は頑健化しているはずと3倍ほど増やしたわけだが、それでも20倍はやりすぎただろうかと内心ハラハラしている。


『そこで見ておれ、我らに楯突いたヴィランどもの飼い犬が辿る末路を』


 マスラビは担いだMM1号を運んで去った、今頃はGE封印装置の下にスタンバイしてくれているのだろう。これでようやく長い一日が終わる、最後の台詞を読み上げた美波の耳に一発の銃声が響く。

 ──ズガン。


******


 宇宙飛行士や戦闘機パイロットといったフィジカルエリートに課せられる耐G訓練の過酷さはフィジカルエリートたる彼らを気絶に追い込むという。それ以上の超重圧力に晒され潰れそうな感覚の中、広井姉弟が未だ意識を保っていたのは常人を超える頑健さと意地によるものだ。


『グゥゥゥ動けええええギャアアアア!!』


 女子らしからぬ姉の雄叫びが弟の耳を打つ。

 負荷に耐え切れず膝立ちになったソル・ソーダー、中の天音はどうにか重力の鎖を引き千切ろうともがいているが無駄、むしろバランスを崩して躯体が倒れ込む。機械は気合や根性で性能が上がったりはしないものだ、精神力を機能に組み込んだシステムでもなければ。彼らのスーツはそこまで現代科学を超越してはいない。

 それは御斗も同様、下手な操作は猪突な姉の二の舞になる。超重力から逃れる術はなく手も足も出せない状況下、しかし彼は努めて冷静に、冷静であろうとして最後のチャンスを掴もうと足掻いていた。


(落ち着け、相手は動かない。推力、重量、角度を合わせれば)


 全身負荷の警告メッセージで真っ赤に光るアイモニタに標的を捉え、必要な計算式を走らせる。20倍の重力、人間には耐え難い加重だが元より軽い銃弾では左程の重さにはならず、炸薬が弾丸を押し出す力を殺し切るには至らない。


(特殊弾頭セット)


 精度は落ちる、勢いも減るだろう、それでも弾丸の発射には事足りる、一個の金属を撃ち出すには充分な条件を満たしていた。ただし銃口の角度を標的に合わせるためには躯体を仰向けにさせる必要がある。倒れ込めば二度と立ち上がれない、一度きりの機会でも彼は迷わない。どうせ撃ちたい弾は一発限り、今しかないのだ。

 躯体を傾け攻撃動作に移行する瞬間、広井御斗の胸には笑いの衝動が生まれる。自分はこんなにも必死になっている、いわば人事を尽くしている状態で。


(あの時、オレも神頼みしておくべきだったか?)


 神社に立ち寄りながら参拝を怠っていた不信心を思い出したのだ、はたして懐の広い八百万の神々は賽銭の後払いを許してくださるだろうか。

 ならば加護の前借りを願いたい。

 ズガン。


 重力等の条件を計算された弾丸が放物線を描いてマッドバニーに届く。撃ち貫くためではない、ただ届けばよいだけの一撃。

 音速の銃弾をも制止させる力場変異調律システムがそれを柔らかく受け止める。攻撃と呼ぶには無力な金属の塊は平べったく、数字が刻まれていた物体。

 彼が用いた最後の弾頭は、五百円玉だった。


『……ッ!?』


 マッドバニーを名乗る不審者は固まった。

 届いた島国のお金を見つめ、そして射撃手を見下ろして。月の生き物、地球外生命体が地球の硬貨を見たとして、不審がることはあれど驚くことはなく。

 ──まして、意図を読み解かずコインと彼を交互に見返すこともない。


(悪党の正体見たり、ってな)


 してやったり、知らず口角が持ち上がる。音に、GEに頼らずとも彼女の反応だけで御斗は一応の目的を果たしたのだ。

 あの少女が本当は何者なのか、地球人か宇宙人か、何を企んでいるのか……その全てを今すぐ急いで知る必要はない。要らぬ情報が耳に流れてくる彼にとってこの感覚は随分久しいもので、


『くそおおおおおお! 次こそおおおおおお!!』

『姉貴うるさい』


 悔しさに喚く姉の叫びが余韻を殺しさえしなければ満足で終われたものを。

 広井御斗は年間最大級のため息を長々と吐き出し、緊張の糸が切れたせいか意識を手放した。


******


 三勢力が入り乱れた最後の戦いは月の勝利に終わり、しかし勝者は美酒に酔う余裕もない。ただの破壊者ならざる彼らには後始末、或いは尻拭いが残っているのだ。


『GE封印光線、照射』


 トラックサイズの小型怪獣にペカーと三原色の光が放たれる。それらはサーチライトのように一点収束し対象を照らしている。

 あの光線、弘士には見覚えがあるというか浴びた覚えがある。宇佐見美波というトンデモ天才が彼のGEを覚醒させた時のものと同じだったからだ。


『GEの覚醒と同じなんだな』

『引っ張り出すか押し込むかの方向性が違うだけだからね』


 お互いまだ悪役の扮装を解かないまま、二人は後始末の詰めを行っている。美波は重力攻撃で広井姉弟が気絶したのをバイタルで確認した後、キマイラリッターを人に戻す作業に取り掛かった。

 GEの暴走で人の形を失った彼を救い出すためにGEを封印する、超能力を失う被験者がこの処置を喜ぶかどうかは分からないが迷惑なので諦めてもらおう。

 封印光線を浴び続けた小怪獣は徐々に姿を縮ませ、GEの結合が緩まったせいかポロポロとパーツが剥がれ海水と海の生物に分離していく。人間サイズに縮まった身体から最後、熊の手がゴロリと転がり落ちて。

 光の中に全裸の外国人男性、リンハルトが寝そべっていた。


『いやん宇佐見さんたらエッチ』

『不可抗力!』


 変身系のGEが変身を解除すると衣服を喪失していることはよくある、それを失念していた少女は目と心にダメージを負ったようだ。


『倉庫からビニールシート取ってくる、それ被せて送り返すから。あの二人も転送室に運んできて』

『了解』


 そそくさと逃げるように去ったボスの命令に従い、弘士は二機のヒーローを拾い上げるべく戦闘跡地に飛んだ。

 実験エリアの一角、マスラビのセンサーアイが荒れた大地に横たわるオブジェの姿を捉える。超重力の影響でショートし各部から煙を上げているパワードスーツ、太陽の騎士姉弟の亡骸である。いや死んではいないがシステムがダウンした機体が沈黙を守る様は死に体に変わりない。

 自分よりもひとふた回り大きな躯体を二機、マッスルラビットは両肩に抱えあげて軽やかに飛行する。


(それにしても広井も無茶をしたもんだ)


 今更ながら思い返す。弘士はクラスメイトと、日直当番の相方と死闘を繰り広げたのだなあと。マッスルラビットの圧倒的強さを前に広井天音は怯まず弛まず、力の限り挑んできた姿勢は彼にとって眩しく見えた。


(俺は雇われてバイトや部活感覚だからなあ)


 宇佐見美波の計画によればミラームーンは最終的に負ける予定だ。

 脅威の宇宙人に対して人類はバラバラで戦っては勝てない。そのことを骨の髄まで叩き込み、妥協と決死の境地に追い込まれる経験を与える。

 たとえ世界がひとつになれずとも、前例があれば次はもう少し上手く立ち回れるかもしれない。可能な範囲で協力と団結を加速できるかもしれない。

 彼女がそう願う結束の輪には政府組織に限らずGE、人類の可能性たるヒーローやヴィランも含まれる。ただし、


(GEを束ねる象徴となるカリスマ、か)


 力持つ者のプライド、或いは高慢さをも飲み込む誰か。強く正しく諦めず、理屈でなく感情で、誰よりも先頭に立って勇気と希望の灯火を掲げるカリスマが必要だと。

 いかなる奇縁か偶然か、同級生が演じる太陽の騎士たちは今回の一件でミラームーンに最後まで食らい付いてきた。政治的思惑を見せず、利己的な欲を求めず、ただ悪党許すまじと声高らかに。

 なるほどと弘士は得心がいった。


(広井みたいなのが損得無しに起ってくれるといいってわけだな)


 ミラームーンの戦いは始まったばかりだ。

 決着の時、彼女がそこまでの成長を遂げているかは分からない。組織力も政治力もない学生ヒーローが世界のカリスマとなれるかも見当はつかない。

 まあそれでも、もしかしたらと期待を込めて。


『今はしっかり休むことだ。根を詰めても良いことはないからな』


 転送装置は起動、3人のヒーローを地球に送り返した。


******


 3人の中で真っ先に目覚めたのは体力自慢の天音だった。キマイラリッターも肉体派ではあったがGEを失って常人化した今、タフネスぶりで彼女に並び立つことは出来ない。既に喧騒が収まっているのを確認した彼女はスーツの緊急パージを決行、転がるように外へと飛び出す。


「うわっとっと、え、ここどこ!? 砂浜!?」


 そこは浜。後にバベル島西岸の海辺に放り出されていたことを知る。空には月、太陽は沈みかけ夕刻を踏み越えた辺りの時間。

 詳しい経緯は分からない、ただそれでも判明していることがひとつ。

 彼女達はミラームーンを名乗るテロリストに敗れ、トドメを刺されることもなくこの場に捨て置かれたという事実。

 ふつふつと彼女の中に湧き上がるのは怒り。どこまでも他人を見下して弄び、足掻く様を嗤いながら観察するであろう仮面の宇宙人たちに対する怒りだ。


「ああああもう腹立つ! 腹立つ腹立つぅ!」


 かくして広井天音は雪辱を誓う、胸に抱いた想いと共に。


「今はしっかり休んで、次の機会があれば今度こそ殴り倒してやる!!」


 彼女があと5分、早く目覚めていれば仇敵より思い出のキーワードを再び聞けたかもしれないがその機会は既に去り。

 悲しいかな、彼女は察しが悪いだけでなく間も悪かった。

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