ムーン19 女王は必死に嗤う

 時間の刻みは止まらない。

 何をしなくとも時計の針は進むのだ、それがたとえ思わぬ迷いを抱えたり処理を決めかねる事態が直前で発覚してもだ。


「と、とりあえず見つけてもなるべく交戦は避けるってことで」

「お、おう」


 太陽が頭上にて輝く。本日は晴天なり、時刻は正午をお伝えします。

 ユートピアン時刻で十二時、誰もが穏やかに話し合う気の無いパーティが始まる。


******


 軌道エレベーター地階エントランス。

 巨大建造物の地上一階ともなると広大なスペース、その開かれた空間は鋼材と作業機械、作業員が生活する場の入り混じったカオスを形成していた。

 宇宙を目指す塔の根元には今日のためだけに特設会議場が組まれている。神出鬼没なテロ組織の首魁を出迎え、捕らえるための巨大な罠として。


「こちら地階エントランスの特設会議場前です。厳戒態勢でメディアの立ち入りも禁止されている中、まもなく正午を迎えようとしています」


 レポーターがほがらかな笑みの中に僅かな緊張を湛えて画面向こうの視聴者に語りかけている。武装した兵士があちこちで目を光らせ軍事ドローンが飛び交う環境下、無理にでも笑顔を作っている彼女はプロ根性を見せているといってもいいだろう。


「ミラームーンを名乗る組織はこれまでもメディア回線を乗っ取って自らの行動を誇示し報じさせていました。今回もそうなるのでしょうか──あと十秒で正午です」


 長針と短針が揃って真上を指す。正午ちょうど、これまで三度のテロが始まった時刻である。今までならばマッスルラビットの笑い声が轟く時、警護関係者が気を引き締めて襲来を警戒したのは正しい。

 彼らの予測は的中する、ただし異変は外ではなく中で起きた。

 世界中のメディアが何度目かの電波ジャックをされる、あらゆる対策を嘲笑うように容易く行われた電子犯罪は地球人の目を一点に集める。


 特設会議場。

 メディアの立ち入りが禁止された聖域の様子を電波に乗せ始めた。内部の様相はどこかの連合議会の雰囲気に等しい。彼らの大半は発言の機会も与えられない野次馬であり、この会合で重要な役割を与えられた交渉役が気炎を吐いている。

 そして会合そのものが敵を捕らえる罠だと承知している最上位者は静かに時を待っていた。罪人が踊る舞台に姿を現す瞬間を。

 ──その時は光と共にやってきた。


 まずは照明が落ちる。特設会議場のあらゆるライトが停電のように光を失う。

 次は轟音。鈴鳴り、或いは金属を引っかいたような甲高い音が会場中に満ちる。

 最後に閃光。会場の正面出入り口に眩い光が集う。銀色の輝きは支配域を広げ、どんどん膨張し、人々の目を灼いて光の荒波は唐突に消滅した。同時に会場の照明が穏やかに内部を照らす。

 そして人と機械の目は気付く。

 正面出入り口の前に三つの人影が立っていることに。


『コロコロ、コロコロコロ!』


 両脇を武装した兵に守られ、全てを嘲笑うのは女の影。

 腰よりも伸ばした銀色の髪に煌びやかな衣装、黒き仮面の無機質さ。どれも非現実的、或いは浮世離れした道化の印象を持たせるだろう。

 如何なる手段を駆使したか、月の女王マッドバニー、人類の前に降臨せり。


******


 ワープ先に控えた視線が全て自分に集まる、仮面の中で宇佐見美波はやや引きつった顔で演技を続けていた。彼女の人生は多くの時間を計算と設計、研究と開発に費やしていたのでここまで他者の注目を一身に浴びる機会など無かったからだ。

 画面越しとは全く違う緊張感が彼女を襲う、故に嗤って誤魔化す。


『コロコロ、コロコロコロ!』


 大袈裟な立ち振る舞いは声の震えを打ち消してくれる。この馬鹿げた笑い声は彼女のマインドセットにも役立った。自分は今演技者なのだ、悪の女王なのだと発破をかけることが出来たから。


『わらわの威光が眩しかったか、それはすまぬな愚かな地球人類よ』

『改めて名乗ろう。わらわはマッドバニー、ミラームーンを統べる者』


 決めておいた口上を述べながら仮面の中の情報ディスプレイを斜め読む。まず会場外の様子だが、内部に負けない動揺が広がっている。

 美波が頑張って作った宇宙人アピールの仕掛けのお陰だ。


「な、なんだあれは!」

「飛んでる、飛んでる!」

「光ってる、光ってるぞ!」


 地上数百メートル上空、銀色の物体が天の御柱を中心に回転飛行している。

 UFO、未確認飛行物体。

 宇宙人といえばこれだろうとあれこれ考えて作り上げた飛行機械。全長百メートル、形状は平凡な型にウサ耳をつけたウサミミスキー型の円盤だ。怪しげな光と音を立てて空を飛ぶ以外のことは出来ない手抜き作品だが地上を威圧するのには役立っているようで安心した。幸先の良いスタートを切ったといってもいいだろう。


「あ、あの、女王陛下、御席に案内させていただき──」


 仮面の中でほっと一息ついていた美波に近付く背広の男たち。見るからに若く、怯えた顔をした彼らはスタッフの札を首からかけている。国際会議でゲストの案内役を任されたのならエリートなのだろう。ゲストが破壊の限りを尽くすテロリストの親玉でなければ栄誉ある役目と誇れただろうに。

 音響システムをも乗っ取った美波の声が会場中に響き渡る。


『よい、不要だ。どうせ貴様らのために長々と時間を割くつもりもないのでな』

「は? そ、それはどういう──」

『まずはカリウム・レントラム、つまらん真似をしたものだな』


 最初にウサギの矛先を向けられたのは環状諸国連合の代表、彼は中央テーブルの最前列に座り、交渉の最前線に立つパフォーマンスを見せていたのだが。

 パチン、美波が指を鳴らすとカリウムの姿が乱れた。像が歪み、三色の光が解け、霧散した後に残ったのは元の姿とは似ても似つかぬ屈強な傷顔の男。


『光学迷彩の応用など、月の超技術を誇るわらわに通じると思うてか』


 会場がどよめく、あちこちで怒声が上がり、悲鳴と野次が続く。

 和平交渉を投げかけた側が代表を立てずに影武者を寄越す、誠意の欠片もない人員配置が見破られたのだ。地球の常識であればこの時点で交渉は決裂したといっても良い。だが全てを見通した月の女王は鼻で笑う。


『コロコロコロ、よいよい。地球人類の無様な足掻き、余興として許そう。それに本物であろうと偽物であろうと結果は変わらぬのだからな』

『ここひと月と半、貴様ら地球人類は分を弁えず影ながら我らに接触を図り、密かに協力を仰ごうとした。愚か、実に愚かな行いよ』


 台本を読みながら美波と目と頭はディスプレイのリアルタイム戦況に釘付けだ。目の前の連合各位の敵対心を煽りながら直近で相手すべきは彼らではない。

 第三勢力の横槍、それをあらかじめ暴く。

 今回の和平交渉を契機にヴィラン同盟(仮)が攻めてくるのは彼女の知る通り。逆恨みされるのは望むところだが、ミラームーンへの報復と連合へのテロと愉快犯が混在した連中は攻め込むタイミングからして彼女たちの仲間だと思われかねない。

 迷惑、とても迷惑だ。

 地球人と相容れない演出面でも、同類の愉快犯扱いされている面でも実に迷惑。

 なのでヴィランの思惑も先んじて台無しにする。


『愚か者といえば、それ、貴様らと同じく我らの慈悲を請うた者たちが到着ぞ』


 パチン、再びウサギが指を鳴らす。途端に会場内に明滅するレッドシグナル、緊急アラートがうるさい程に事態を告げる。

 同時刻、島の防衛司令部にも己の不明を知らされる。


【警報、警報、西方海域に未登録船が接近中!】


 警備隊は不審船に間近まで接近された事実に慌てふためき、ミラームーンを取り囲むべく敷いていた防衛体制を外に向けざるを得なくなる。

 一方、仲間のGEでステルスを張っていたヴィラン同盟(仮)も島側の探知に引っ掛かり大いに驚愕していた。所詮は即席の同盟軍、船内で責任の擦り付け合いが勃発する寸前に陥るも、その暇は無かった。


『ハッハッハッハッ、ようこそヴィランの諸君!』

『招待状を送った覚えはないのだが、我らが女王のご尊顔を賜りにでも来たのかね?』


 会場の外に響き渡る、世界に知られた馬鹿笑い。船が接岸する場所にて待ち構えたのはヴィランの怨敵。彼らの面子を潰し、組織を潰し、矜持を潰した悪の権化。

 傲慢にして強腕、脅威にして攻意、世界一優秀な野良ヒーロー。


「くそっ、野郎!」

「死にさらせぇ!」


 寄せ集めのヴィランたちが獲物を手に、能力を発動させてバラバラに襲い掛かる。警官なら、軍人なら暴威から身を守る術なく命を奪われるだろう結末を、彼は堂々にして意に介さない。


『惰弱ゥ!』


 腕の一振りが風を巻き、大地を割り、海を裂く勢いで三名のヴィランが沈黙。

 悪の尖兵マッスルラビット、ヴィラン同盟(仮)の不意打ちテロを阻止する形で彼らの出鼻を粉砕した。


******


 軌道エレベーターを守る防衛隊、要人警護のボディガード、各国の思惑を含めて組み込まれたヒーロー五十人、黙認された野良ヒーロー、そしてヴィラン。

 多種多様な人員が交錯し、まさに混迷の事態、入り乱れる勢力図に人類は誰を敵とし誰を優先して排除すべきかの選択を突きつけられる。

 複雑怪奇なカオスを前に、全く余裕を崩さないのはウサギの女王。


『愚かなり地球人類、この場で誰がもっとも脅威なのかも理解できぬとは』

『ならば改めて教えてやろうぞ、そのだらしない耳を以って聞くがよい』


 パチン、三度目の指鳴りは世界中のカメラがマッドバニーを映す。


『我らミラームーンは愚かなる地球人類を知的生命体とは認めぬ』

『よって如何なる交渉も不要、無用、無理無駄無様』

『地球という砂場に巣食ったまま果てるがよい。砂場遊びに勤しむならばその有様、寛大なる心で嗤って許してやろうぞ、コロコロ、コロコロコロ!』


 あらゆる人類を侮辱し緩やかに滅べと見下した彼女の宣言。

 今度こそ、今度こそわたしの言葉をちゃんと受け止めて危機感持って対処してよね──そんな切なる願いが篭っていることを人類は知らない。

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