ムーン17 地球と月の混線模様
社会において報連相は大事だ。
これは社会を学ぶ縮図たる学校でも変わらない。あらかじめ意思伝達が出来てれば無用な揉め事は起きたりしないものだ。
「えー、宇佐見は来週までご家庭の事情で欠席するとのことだ。なんでもご両親は海外にいるらしくそちらで用事があるらしい」
朝のホームルームで担任の教師が軽く生徒の都合を説明すれば大事とはならない。高校生は出席日数と成績に不足がなければ割合自由なのだからして、残るのは憶測を交えた雑談のネタ。担任がHRを終え、次の授業が始まる僅かな時間で囁きがなされる程度にはホットな話題となる。
「宇佐見さん休むんだって」
「ちょっと早めの夏休み気分だろうな」
「親は外国にいるんだ、羨ましー」
半端な時期の転校生、謎めいた長期欠席。理由に取り立てて深刻さもなければ尚更だ、級友達は暢気で楽しげな推測を重ねていく。
ただ中には気にする方向を違える者もいる。
「ねえ比呂田、あんた宇佐見さんのこと知ってた?」
「は? どうして俺が?」
「いや、なんか仲良さそうにしてたし」
広井天音は後ろの座席を振り返り、日直パートナーの比呂田弘士に疑問を投げかけていた。クラス内では引っ込み思案で受動的な美波が珍しく自分から挨拶をしていた男へのちょっとした探り。
「そりゃ二言三言話したりはするが」
「家庭の事情までは知らないと?」
「普通は話さんだろそんなこと」
でも、と言い掛けて口を閉ざす。この話題に食い下がろうとするのには一応の根拠がある。先日、彼と美波の交わした挨拶「また後で」というのは後々どこかで合流するという意味ではなかろうか、と思い至ったのだ。
念のため弟にも具体名を伏せて意見を聞いたところ「そりゃそうだろ」と素っ気無い返事に動揺しまくったのが昨日のこと。あまりの感情の昂ぶりに弟からは部屋から出て行けといわれたほどだ。
『そんな気になる相手ならさっさと告白でもすればいいじゃねえか……』
『あんた繊細な乙女心が分かんないの!?』
正論を述べることが救済になるとは限らない悲しい事件だった。
自分は神経質ぶるくせに心の機微を理解しない弟よ、あんたはきっとモテない──天音が理不尽な怒りで喧嘩を締めくくったのはさておき。
今は無愛想な弟のことなど二の次、今は目の前の彼に集中すべき。
「宇佐見さん学校だと無口だし、どんなこと話すのか想像できないんだけど」
「いや、割とバカなことを話してくるんだ。面白いぞ」
「ふうん、例えば?」
「大王イカは食用に向かない話とか」
「そっかそっかー、今度からあたしも臆せず話しかけてみようかな」
聞いてみれば雑談を交わす程度らしい、天音の逸る気が少々落ち着いた。
漫画で齧った知識でも家庭の事情を知る関係などは、昔から家族ぐるみの付き合いがあるだとか、家が隣同士でなんでも話す間柄だとか、他者には真似できない特別な経歴が下敷きにあるものだ。弘士は天涯孤独のアパート暮らし、宇佐見美波は転校生。昔からの接点があったとは思えない。
冷静になれば天音が危惧するような関係性でないことは学業が苦手な頭にでも予想はついた。人間、脳が茹で上がると碌な想像をしないものだ。
「ふう、どうやら考えすぎだったみたいね」
「何を考えたんだ?」
「あ、あははー、何をかしらね?」
言葉に窮した天音を時間が救った。一時間目を受け持つ教師が姿を見せたのだ。弛緩した雑談の空気は晴れて教室内は授業を受ける体勢に染まっていく。
二重の意味でほっと一息つけた天音は晴れやかな気分で授業を受けることが出来たのだった。
──彼女は知らないのだ。
人は時に素知らぬ顔で嘘をつくことを。
この世には昔からの付き合いなどよりも想像の遙か斜め上を行く濃密で埒外な人間関係もあるということを。
天音の平穏は嘘と常識外の真実に守られていた。
******
広井御斗は珍しく双子の姉がいるクラスを訪ねる。
普段は意図的に避けている行為だ。これは双子が揃うと奇異の目で見られた過去によるものだが、中学生で彼がGEに覚醒してからは異なる事情が増えた。
天音が恋をしたのだ。
なんでも困っていた彼女を助けた同級生がいたとかで、コロッと転がった姉の発する感情の音が不定期にボリュームアップ、意中の相手を見かけたり近くに居たりするとうるさい程に大きくなるからである。肝心な時に勇気を出さない姉の停滞した恋愛事情が筒抜けに聞こえるため精神的に疲れるわけなのだが。
今、その意中の相手とやらが同じクラスにいるのだ。
(姉貴の音だけでも疲れるのに、相手の感情まで聞きたくねえ)
御斗のGEを以ってすれば相手の男の感情、例えば姉との会話を耳になどしてしまえば姉の恋にどの程度勝算があるかを聞き取れてしまう。
これは弟としては死ぬほど気まずい。仮に見込み無し、可能性ゼロだと知った暁には姉を前にポーカーフェイスを保つ自信が無かった。故に近寄りたくなかった。
しかし今、彼は家庭環境のリスクを覚悟の上で姉のクラスを訪れた。
理由はひとつ、とある事の真相を聞き取るため。
穏やかな音を発する少女の真贋を聞き分けるためである。
「あれ、御斗。こっちに来るなんて珍しいじゃない」
「姉貴、宇佐見って奴はいるか?」
「へ?」
運よく機嫌のよい姉とコンタクトが取れた御斗は素早く用事を済ませようとした。上手く接触できれば数秒で終わる用件、ただ一言対象に投げかければいい。
彼の懸念はそれで解消する。
『あのマッドバニーとかいう悪役、あんたか?』
昨夜よりずっと気になっていることだ。音感に由来する御斗のGEは間接的だと精度が下がる。画面越し、変声機を通した音声、音だけを聴くなら同一人物のものとは判断しないだろう。
ただ、音に悩まされ音に癒される彼の直感が、あの馬鹿げた宣言の音が見知った同級生の声だと今も叫んでいるのだ。
真偽を確かめるのは簡単だ、直接会話すればいいとばかりに普段避けている姉の教室に乗り込んだのである。ただし心の中は定まっていない。否定ならいい、懸念が払拭されたなら直感など当てにならないと笑うだけ。
しかし、肯定なら、正解なら。
自分はどうすべきなのだろうか──もっとも、御斗の果敢さは報われない。
「宇佐見さん、来週一杯まで学校休むって。家の都合らしいわよ」
「……そうか」
「あ、ちょっと、彼女に何の用なのよ」
追い打つ姉を置き去りに御斗は踵を返す。目的は果たせず、かえって疑惑が深まった。来週末、それはつまり軌道エレベーターでの連合とミラームーンの会合日時を意味する。雲隠れか、それとも謀の仕込み期間か、どちらにも符合する。
さらに彼女は言っていた、嘘のない音で自分は悪を為していると。あれほどの静けさで、悪意のない調子で、感情に溺れない口調で。
影に信念を秘めた声で。
「だが確かめる術は……いや」
御斗は彼女の住居を知らない、連絡先も知らない、個人的な交友関係も知らない。たった二度顔を合わせただけの相手のことなど知る由もない。
彼にとって宇佐見美波とは二度会って話したことが全てである。
ならば。
「三度目で確かめればいいか」
二週間後、テロ組織の首領はユートピアンに現れると宣言した。その時に直接確かめればいいのだ。幸いにも彼にはその手段、可能に出来るはずの機会がある。
会合当日、彼の父ならば今まで通りに姉弟を招聘し、万一に備えさせるだろう。
その時こそ──人知れず広井御斗は拳を握って頷いた。
******
月の秘密基地では着々と一大イベント、軌道エレベーター会談の準備が進められている。様々な情報の読み取り盗み取り、分析解析、予想推測に対策対処、可能な限りの万全を尽くすべく宇佐見美波は己の才能を全解放していた。
学業を疎かに、学校を休み、確保した時間で一心不乱に計画を立てている。複数の空間投影パネル相手に格闘している表情は真剣そのもの。
だが、それでも。
弘士はどうしてもツッコミを入れざるを得なかった。
「な、なあ、宇佐見」
「何?」
「その両脇の二人はどなた?」
黒幕少女が作業する左右、彼女が時々立ち上がり歩き回り戻ってきて着席する間も寸分違わず両隣にピタリと張り付いている二つの影がある。
フワフワ、フワフワ、またどんな超科学を使っているかも分からない浮遊をして追随するのはフルフェイスのメットで顔を隠し、近未来的なボディスーツにウサ耳を身につけた二人。儀仗兵のような杖を持ち、外見的特徴から判断して男女の対は彼が疑問を投げかけても反応ひとつ返さないことに不気味さを感じる。
そんな弘士の反応にあっさりと、
「ラビドロイド。女王に近侍がいないのは不自然だから造ったの」
「なんて?」
「ロボットのことよ。名前はラビRとラビL」
「技術に比べて名前が雑い」
人型機械、ロボット兵士。自動機械として頂点のひとつを天才を超えた神才はあっさり急遽用立てたと言い放つ。技術力に驚くのは今更だが異なる感想も湧いてくる。秘密基地に憧れた童心と同じベクトルで、もう少し危険思想に踏み込んで。
「機械帝国が作れるな」
「人類との総力戦には数を揃えておくけどまだ早いわね」
「断念してくれてありがとう」
冗談に明確な答えが返されて肝が冷えた。弘士をスカウトした際に明かした次善の策・人類洗脳計画以外にも腹案はあったらしい。本当に様々な案を検討して今の案が選ばれたのだと理解させられる。フフフ怖い。
「人を増やさず超科学で補うのは宇佐見らしいよ」
「そこはまあ、人数に比例して秘密は漏れ易くなるから増やしたくないのよ」
「俺はスカウトされたんだが?」
「比呂田くんのGEはマスラビを運用するのに必須だったから。ラビドロイドじゃ性能の半分も引き出せたかどうか」
マッスルラビットの完全運用は彼女の技術を以ってしても自動制御では困難。それを可能にする人間の可能性GEに賭けて全世界行脚を覚悟したところ、意外と早くに発見できたのはどういう巡り合わせか。
「だからすぐに見つかってくれて、スカウトされてくれてマジ感謝。ありがとう」
「お、おう」
真っ直ぐにお礼を言われて弘士は戸惑った。幼少から天涯孤独、施設でも役所でも深い関係を築く相手も時間も無かった彼にとって誰かから感謝される経験には馴染みがないのだ。
そういえば中学時代に誰かから感謝された覚えがある、ただあの時は面映くてさっさと逃げ出したんだった──
「神頼みの効果を確信した。だから今回も賽銭投げてきたからバッチリよ」
「なんて?」
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