ムーン16 悪の二人は笑えない
その日の夜。
全世界に向けて三度目の大規模電波ジャックが行われた。犯人は言うまでもない、世界規模の電波乗っ取りを易々と行える組織は他に無い。
テロ組織ミラームーン、三度目の暴挙。
しかし、この日は様子が異なった。
『コロコロ、コロコロコロ!』
「鈴を転がすような」と美声を称える言い回しは存在する、それでも現実にコロコロと笑い声を上げる知的生命体が人類史で確認されたことはない。
その怪異を地球人類は初めて目撃した。
全世界に映し出された、黒い仮面に十二単のような着物を纏った女性体らしきモノがウサ耳を揺らしながら嗤う。人類全体を嘲笑する。
『わらわの名はマッドバニー、月の超技術の担い手でありミラームーンの女王』
『先日、地球人類が不遜にもわらわに会って話したいなどと戯れを申したのだ。その返事をくれてやろうと興が乗った次第よ』
態度のひとつ、言葉のひとつを挙げても傲慢が滲み出る振る舞い。仮面の向こうにはさぞかし口角を吊り上げ、全てを見下したような喜悦が浮かんでいることだろう。
『良い、構わぬ。無知なる者の蛮勇、図々しさ、わらわは責めたりせぬ。故に機会をくれてやろう、わらわに直接顔を見せる栄誉をな』
月の女王は一方的に告げる。これが貴様たちにくれてやる慈悲だと、這い蹲って感謝しろと言わんばかりに放つ。返事など不要、反復など無用、唯々諾々と従うのが貴様らの義務であろうと高みから投げつける。
『時は十五日後、場所は地球人類が積み上げたる不恰好な塔。軌道エレベーターの地階エントランスを指定する』
『より詳細なる条件は後にて送付しよう。頭を低くして待つが良い』
『コロコロ、コロコロコロ!』
わざとらしく鈴を鳴らす哄笑を残し、電波ジャックは寸断された。
テロリストの首魁が衆目に姿を晒し、あまりにも横暴、あまりにも居丈高に要求と約定を寄越したこの一件は環状諸国連合のみならず三大連、全世界の政府団体に動揺と衝撃を与えた。
特に女王が指名した会見の場、軌道エレベーターは世界が技術と予算を結集させた建造物、環状諸国連合の私物ではないため揉めに揉めることとなる。
残り五日間、外交官たちの熱い戦いが始まった。
******
人類同士の新たな火種を灯して回った形になる悪の棟梁は、
「……ふう、頑張った」
「キャラ付けが酷い」
「なんですと!?」
仮面を取って羞恥で赤くなった顔を仰いでいたところに第一の配下から心無いイチャモンをつけられていた。
生中継を頑張る美波を間近で見ていた弘士にも理解は出来る、必死で悪党らしい演技を頑張っていたのは評価する。それでも、それでも。
「なんだよあの笑い方、人類じゃないだろ」
「地球人じゃないことを示す強調手法ですー」
「それなら特殊メイクでウサギ顔にでもすればよかっただろ」
「その手があったか!」
思いつけばやる気だったのか、将来自分にも飛び火しそうなのでこれ以上特殊メイクの話題は避けようと誓う弘士は話を逸らす。
「メイクよりも人体形状変化装置でも作った方が……」
「それよりもこの条件、ちょっと攻めすぎじゃないか?」
彼が手にしたのは環状諸国連合の提案した会談に対するレスポンス、この条件ならば受けますよとの詳細内容。時間と場所以外に詰めた内容が記されているのだが、特に気になったのは
「警護は通常戦力無制限、GE覚醒者は五十名までとする……多すぎない?」
「マッスルラビットなら大丈夫」
要するに軍隊を幾ら集めても、ヒーロー五十人集めてもマスラビに勝てないよと挑発してるに等しい内容なのだ。これに恐れ慄くか、精鋭を選んでぶっ倒してやると意固地になるかは相手次第──おそらく後者になる気はしている。
「向こうも真面目に交渉なんてする気無いし。これ騙まし討ちの罠だもん」
「あっちにも面子があるもんなあ」
テロリストに屈する、あらゆる国家が嫌う構図である。
自らの政府組織が有する正当性を棄損する愚かな行いを三大連の一角が許容するはずもなく、彼女たちが愉快犯だと当て込んだ上での誘いであることの裏は関係各位に仕掛けたクラッキングで取れている。
こんな面白そうな大々的イベントがあれば分かっていても跳びこんで来るだろうというウサギの罠。随分と思い切った手ではある。
「一ヶ月前後の猶予ではわたし達の尻尾どころか影も踏めなかったから賭けに出たんでしょうね」
どれほど優秀な諜報員を揃えていようと構成員二名、ワープで神出鬼没、電子戦では手も足も出せず、本拠地が月の地下なんて探り当てようもないだろう。そのひとりである彼からも何の成果も得られなかった各組織のエージェントに同情を禁じえない。
にもかかわらず彼女は、
「で、宇佐見はそれを利用すると」
「好都合ではあるのよ。バラバラのヒーローを一同に集められる機会なんて滅多にないわけだし、そこを一網打尽に出来るなんてさらに珍しい」
「ヒーローの結束を促す第一歩か」
悲しいかなヒーロー達は政府や所属する団体の壁で隔たれ、国家の垣根を超えた組織の設立など不可能な事情に囚われている。誰だって優れた人材は己が抱え込みたい、そんな狭量な政治姿勢が築いた巨大な壁を叩き壊すには社会情勢や世間体を気にしない悪の手が必要、美波はそう考えていた。
ちまちま分裂していては勝てない圧倒的な悪という一手が。
「でも今回交渉を呼びかけてきたのは環状諸国連合だけじゃないか?」
「だから軌道エレベーターを場所に指定したの。あそこは全世界が出資してるから今頃は色んなところから一枚噛ませろと口出しされてるでしょうね」
特に他の三大連の介入を退けるのは難しく、結果世界の垣根を超えたご当地ヒーローが集められると予想している。天才を超えた神才はそこまでを読んだ上で策を弄していたのだ。笑い方はあれだが。
「というわけで比呂田くん、わたしは明日から学校を休むから」
「なんて?」
「流石に今回は色々忙しくなりそうだから、その分をどこかで補わなきゃ」
堂々と敵地へと乗り込むアプローチの手順は勿論、警備体制の把握に戦力構成、召集されるヒーローの人数と能力分析、対処と攻略法準備などなど、美波は指折り数えてやるべきを羅列している。
世界的影響力に反してたった二人の悪の組織、運営の大半が一人の才能に委ねられているミラームーンの構造的な欠点がそこにある。
仮に人手を増やしても彼女の代わりは務められないという欠点が。
「それ、親は大丈夫なのか?」
「うちの両親は今更わたしの成績や出席日数なんて気にしてないわね」
「お、おう」
彼女が基地に泊まり込んでいるのを知った時にもうっすらと顔を出した家庭の闇アゲイン、弘士はそっと蓋を閉める。
「それにわたしが始めた悪役だもの、わたしがやり通さなきゃ」
「……まあ風邪は引かないようにな」
「大丈夫、今度は風邪を検知したらこの腕時計から薬のアンプルが打ち込まれるシステムを構築したから」
「引くなっつってんだろ」
いずれにせよ決戦は半月後の七月中旬。
天才を超えた神才がどこまで世界を動かし、時流を読み通して目的を達成する道筋を立てているのか凡人に計ることなど出来ない。
ならばと弘士は自分に任せられた役割をまっとうしようと頷く。
──おそらく、おそらくだが。
彼女は彼が全力で働いてくれることを念頭に計画を立てているのだと思うから。
その程度の信頼関係は築けているはずだ、多分きっとおそらく。
「会談は二週間後、夏休み前の一大イベント。これに完勝して心置きなくバカンスを過ごしたいものよね」
「学生には会談の後に学期末テストってもんがあるんだが?」
「頑張って」
「ハハハこやつめ」
学生の本分を眼中無しと受け流した天才と異なり、弘士には無視できない学校行事が立ちはだかるのである。
ただし、人類の未来を明るいものとする悪役計画に比べ、彼にとってそれほどやる気の出るイベントではなかったりする。
「まあ俺には成績表を見せる相手がいないんだけどな」
「わたしの両親は今更成績表なんて見てくれないのね」
「よし、この話はやめよう」
自嘲ネタでお互い深手を負った二人はそれ以上テストのことを話題にしなかった。
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