ムーン15 月のウサギも神頼み


 六月下旬、放課後。

 ホームルームの終わった教室からは生徒たちが部活に帰宅にと散会していく。残っているのは掃除当番と日直くらいのもの。


「じゃあ比呂田くん、また後で」

「おう」


 軽く別れの挨拶と後の合流を約束し、美波は日直当番に手を振って出て行った。あの様子から基地に直行するのは間違いないが、流石に人前でワープするわけにもいかない。どこか人目を避ける場所へと向かったのだろう。


「あれ、比呂田って宇佐見さんと仲いいの?」


 さっさと掃除を終わらせるべく机を片付けていると日直ペアの広井天音が不思議そうな顔で声をかけてきた。彼女は既に箒を手にした臨戦態勢である。

 校内での美波は自己主張のないおとなしい子だと認識されている。会話には応じるし社交性が無いわけでもない、しかし自分から何かをすることはなく、特別に親しい友人を作ってる様子もない。よく言えば物静か、悪く言えば孤立がちな少女に挨拶をされたのが交友の広さを誇るクラスの中心的な天音には意外に思えたのだろう。

 特に不自然さの無いネタ振り、掃除中の雑談導入に過ぎないが弘士はやや緊張する。彼と美波の繋がりはとても他人には話せない関係、悪意なき雑談の取っ掛かりであろうと探りを入れられた気分なのだ。だが慌てる必要は無い、こういったケースを想定したカバーストーリーは用意してある。


「ああいや、バイト関連で顔を合わせてな」

「バイト?」

「俺は宇佐見電子系列の工場でバイトしてるんだが、そこで会った」


 カバーストーリー、諜報員が身元を隠すために使う嘘の経歴のこと。弘士は美波との接点を偽装するために二人して作り上げたのが上の説明。これは美波の権力で補強されており、宇佐見電子のアルバイターリストにも彼の名前は記載され、あまつさえ勤務実績まで残されている念の入用である。


「へえ、そんなこともあるんだ……って宇佐見? 宇佐見美波と宇佐見電子?」

「親族らしいな、詳しくは聞いてないが」

「お金持ちじゃん!」


 天音のストレートな感想に弘士も苦笑いする。宇佐見電子はウサミ・テクノラボが世界に羽ばたく前の前身企業で今は子会社、それでも電子部品の国内シェアナンバーワンを誇る大企業だ。宇佐見電子の重役ご令嬢なら確かに金持ちだろう、実態がもっとえげつないのをブラックカードを渡された彼だけは知っている。


「見た目なら深窓の美少女って感じだもんね彼女」

「……お嬢様ならもっといい名門の学校に通ってるんじゃないか?」

「確かに、ここ普通の公立だもんね」


 不意に湧いた笑いの衝動を堪えて捻り出したコメントに天音は納得した様子。美波がこの学校に転校してきた理由を彼は知っているが、それにしても深窓の美少女はない。宇佐見美波の本性は窓の奥に引っ込むどころか窓枠から飛び出して宇宙を目指しそうな行動派なのだ。


(今頃は地球を飛び出して月に達してるかもしれないな)


 そして余念なく予行演習をしているのかも……地球で唯一ミラームーンが起こす今日の予定を知る男は掃除に専念することにした。

 うっすらと笑みを浮かべ義務で行わされている清掃活動を楽しげに行う彼を天音が訝しげな目で見ていたことを彼は知らない。


******


 学校近くの商店街を抜けるとそこは神社に続く道だった。

 元々神社仏閣は民間信仰の中心地として人が集まる場所に建てられた物も少なくない。民草の管理がし易かったからだ。今ではそんな役目も必要とされなくなり、神社の辿る道は概ね二つ。観光地として栄えるか、細々と地元民が利用する中で廃れていくか。後継者が絶えて廃寺が増える問題があるように、この町の神社も年末年始以外は寂しいものだ。いずれ後者の未来を得るだろう。


「ま、オレが生きてる間は静けさを保って欲しいもんだが」


 とても若者が足しげく出入りするような場所ではない神社の一角が広井御斗にはお気に入りのスポットだ。

 一見不良に見えなくもない彼だが問題を起こしたことなど無く生活態度は極めて真面目。通信簿に交友関係の狭さが気になると書かれる以外は優等生な彼がこのような人気のない神社に入り浸る理由は人目を忍ぶやましい行為に及ぶため──ではなく。

 静かな場所が好きなのだ。

 たまに人を見かけてもお年寄りがお参りに来るか掃き掃除をする程度で騒がしくない。昔々は子供の遊び場としても活用されたと聞くが親の方針か子供の嗜好か、今時の子供たちは外で泥まみれになって遊んだりしないもの。


「ありがたや、ありがたや」


 不良ならタバコでも吸って粋がるところを枯れた雰囲気でボンヤリと過ごしている。先月末からの彼ら姉弟は週末をユートピアンの秘密工場で慌しく過ごし、騒がしい場所で大人に囲まれてのスーツ調整に借り出されていた。父親の仕事場の音に悪感情は満ちていないが気疲れは避けられず、こうして癒しスポットでのリフレッシュが最近のルーチンだったのだが。

 視界の片隅に飛び跳ねるウサギが舞い込んだのは吉兆か凶兆か。


「……うん?」


 神社の階段を登りきり、鳥居を潜って現れたのは同じ学校の女子生徒だ。あまり体力がないのか随分と息を切らして呼吸を整えている。

 三十秒ほどかけて動悸を抑えた少女はそのまま手水場に向かい、手を洗うと同時に柄杓を口元に運び、


「そこは口をすすぐのであって飲むな、そもそも直接口を付けようとするな」

「え? あ、五百円の人!」


 無作法に注意をした御斗は思わぬ再会をした。同級生ではあるがクラスが違えば顔を合わす機会も無い、言葉を交わしたのも一度しかない、それでも日常に差し込まれた変わった出来事を共にすれば記憶は鮮烈に残るというもの。

 宇佐見美波、彼女は一ヶ月ほど前に出くわした五百円玉事件の遅れてきた主役であり、彼は間抜けにも出遅れた引き立て役。


「金を落としたのはオレじゃねえ」

「確かに」


 素直な回答に言葉が詰まる。彼には同級生の応答が素の反応、人を避け目つきが悪く斜に構えた性格のせいで不良と見間違われることに慣れた彼になんら含みが無いことを聞き取れたためだ。

 広井御斗はGEである。

 能力は『声心感読』と父親が名付けた。他人の声で感情を汲み取り、発言の真意を聞き分ける力。簡単に言えば声で人の気質と言葉の真贋を判別することが出来る。

 欠点は読心系GEと同じ、能力が作用する対象を絞り込むのが困難な点。故に彼は人ごみを避け、普段から全力で感情を強く出す子供の声が苦手。彼の不良ルックに一役買っているヘッドホンは外界の音をなるべく緩和するためであり、人嫌いに見える性格はこのGEが少なからず関わっている。

 知りたくないことが聞こえてくるのだ、故に能力を自ら活用することはない。


「腕は大丈夫だったのか」

「お陰様で。手早い処置と、あと若いから」

「若さは関係ねえだろ」


 彼女の言葉に嘘は感じず、気質は穏やかで心地よい。御斗は人嫌いなのではない、強い感情の爆発や大きな嘘を聞かされるのを嫌うだけなのだ。

 ちなみに彼の姉・天音は嘘が苦手で表裏は少ないが感情の起伏は激しいのでプラスマイナスゼロな感じである。もう少し落ち着いて大人になってくれればと弟は思う。


「ところでここに自動販売機とか無い? 喉がしんどくって」

「……飲み差しでよければやるよ」

「ありがたく!」


 差し出したミネラルウォーターを美波はぐい飲みする。仮にも異性が口をつけた物に躊躇いなさすぎる様子、彼の方がやや落ち着かなくなる。


「ぷあァ、生き返った! 階段は勢いで駆け上るものじゃないわね」

「子供の遊び場感覚かよ」

「いやー、ちゃんとした用事があってきたんだけど」


 お恥ずかしいといった加減に彼女は照れ笑いを浮かべる。何かしら気が逸って空回りを演じたらしい。彼の身近な肉親がそういう姉なので気持ちは分かってしまうのが微妙な空気感を生んだ。

 彼の沈黙を先を続けてどうぞと受け取ったのか、


「今日はこの後、大勝負の前哨戦があるのよ。それで神頼み」

「信心深いようにも見えないが」

「あはは、それはお互い様」

「……オレは拝みに来てるわけじゃねえからな」


 見事なブーメランを返されて御斗は気まずさにそっぽを向く。彼の場合も神のお膝元に平穏を求めて訪れたと言えなくもないが、信仰心によるものではない。

 用事を口にしたことで美波は手早くそれを済ますべく、お財布から五円玉を取り出そうとし──ふとした思い付きで五百円玉を手にする。


「気前がいいな」

「袖すり合うも他生の縁、験担ぎで思わぬ出会いに即するならこっちかなって」

「たいした縁じゃねえだろ」


 賽銭箱に因縁の金額を投下。二礼二拍手一礼、そこは決められた作法を守って願い事を口にする──別に声に出す必要はなかろうに。


「神様神様、準備は万端、出来るだけのことはしました。だから悪い子にバチを当てないでくださいまし」

「あんた悪い子なのかよ」

「そりゃあもう」


 何故か自信ありげに、誇らしげに返事をする。

 前回もそうなのだが、彼女は己が悪事に手を染めていると主張した。それが何故か彼のGEでは嘘に聞こえない。彼の能力が正しく発揮されていれば「彼女は自覚的に悪を為している」ということになるのだが、この人の良さが顔と声に浮かんでるような少女が?と戸惑うばかりである。

 御斗の懊悩を余所に用事を済ませた美波はペコリと頭を下げて、


「じゃあこれで失礼するね。お水ありがと、前回の分も合わせてダースでお返しすればいいかな? 住所を教えてくれれば送るけど」

「そんなにいらんわ」


 終わってみればたまたま居合わせた同級生のお参りを見ていただけのこと。

 ──しかし。

 神のお膝元での稀有な出来事は重要な暗示を含むと御斗は知るのである。


******


 その日の夜。

 テロ組織ミラームーンによる三度目の電波ジャックが行われた。

 今までと異なるのは言葉を投げかけたのがマッスルラビットではなかった点。


『わらわの名はマッドバニー、月の超技術の担い手でありミラームーンの女王』


 ついに姿を現した悪の首領に世界が瞠目する中。

 食事中だった広井御斗は手に持っていた醤油瓶を取り落とした。


「……は?」

「ちょ、御斗、何してんの!? 醤油こぼれてる醤油!」


 彼のGEが反応していた。

 スピーカー越しの声である、音質も音声のトーンも異なる、口調も違う、およそ人類の物と思えぬ馬鹿げた笑い声を上げていた。その後も宇宙人を自称するイカれたテロリストの首領が人類を見下した傲慢な発言を続けている。


 それでも御斗の耳には。

 敵首領の発する音が夕方に出会った少女の声にしか聞こえなかったのだ。


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ここで折り返し、全30話となります

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