ムーン14 世界一の野良ヒーロー

 某国、某所。

 潮風に錆びた港町。水揚げ量が減った漁業は活気を失い、レンガ造りの町並みは人通りが少なく寂れた印象を訪れた者に与えるだろう。

 どこにでもありそうな過疎化が進む田舎町、そんな薄暗い倉庫街の一角で騒乱が起きていたことに地元民は気を払わなかった。


******


 倉庫と外を隔てる赤錆に覆われた鉄の扉がシンバルを叩いた音を真似て吹き飛ぶ。立て続けの鼓笛隊が打ち鳴らすのは小銃の発砲音。軽快なリズムは刻まれるもオーケストラの優雅さはどこにもない。


『ハッハッハッハッ、お招きありがとう愚鈍なる人類諸君!』

「撃て、撃て、撃てェ!」


 悲鳴のコーラスを奏でるのはゲラント・ファミリーの幹部たち。麻薬から武器の密売までを手広く扱うマフィアの一員だ。世俗に染まりきった犯罪集団が欲望を抑えきれずに拡大路線を続けるのは珍しい話ではない。

 どこまでも高く遠く、蝋で固めた背中の翼が溶けるまで太陽を目指すのだ。

 ──ただし、今回彼らを滅ぼしたのは太陽ではなく月からの使者。


 月来人マッスルラビット襲来、原因は幹部の誤った認識。ユートピアンのテロ行為が世界経済を混乱させて儲けを企むテロ屋の謀略と読んだせいだった。

 マフィアはミラームーンとの接触を欲し、共謀できれば甘い蜜を吸えると期待してメッセージを記し。

 月の女王の勘気に触れたのだ。


『身の程知らずの人類諸君、我輩のもてなしにしてはあまりに粗末ではないかね!』


 ユートピアンのテロと異なり事前予告も無しに乗り込んできた破壊の権化は瞬く間にアジトを制圧し、構成員を吐息で薙ぎ払い、戦闘員の前で嘲笑を撒き散らす。

 彼らが頼みにした暴力、銃弾が全く役に立たない様はマフィアの価値観を粉々に打ち砕いていく。それでもかろうじて叫びの声を上げたボスは肝が据わっていた方だ。


「み、ミスタ、ミスター! あの化け物をなんとかしてください!」

「どうれ」


 ボスがミスターと呼んだのはトレンチコートに身を包んだ肥満体の男。ここまでの発砲騒ぎにも加わらず控えていたボスの切り札。

 男はボスに目線を寄せて一言だけ呟いた。


「いいのだネ?」

「か、構わん! 構成員など金さえあればいくらでも補充できる!」


 それだけで契約は成立した。男は頷いてマッスルラビットに視線を移す。彼の濁った瞳には独特の優越感が宿っていた。この場の生殺与奪は自分が握っているのだという加虐的な光。

 戦闘員を軽く撫でて沈黙させた凶悪ウサギが何かをする前に、太った男は自己紹介をする。ただの名乗り、ゆったりした動作での名乗りだ。


「始めましてミスター、ワタシの名は──」


 ボスが男の背に隠れ、慌てた様子でマスクをつける。軍隊で支給されるようなごつい見た目の防毒マスクを。


「ワタシの名は、ポットポイズン」


 世界の色が変わった。

 男を中心に空気の色が透明から紫色に、目に見えて侵蝕される。途端に倒れ伏していたマフィアの構成員たちがもがき苦し始めた。

 ポットポイズンのGEは単純、体内に蓄積した化学物質を周囲に展開できるという代物。効果範囲は半径百メートル、物質が有毒成分であればこのようなテロ紛いの無差別攻撃も可能。対人制圧戦では無類の強さを誇った凶悪なヴィランだ。


『グフフフ、致死性のガスなんて使いませン。ジワジワと嬲り殺すように──』

『迷惑千万』


 毒ガス発生源の腹にウサギの拳がめり込んだ。ポットポイズンは悶絶、彼の毒で苦しむ悪漢たちと同じように痙攣して崩れ落ちた。呼吸する相手に圧倒的優位を誇った毒ガスヴィラン、しかし宇宙服機能をも有した超人スーツの前にはなんら意味を持たなかったのである。

 毒の霧が晴れ、頼みにした切り札が瞬殺された。狂乱したのはマフィアのボスだ。もはや恥も外聞もなく這いずってでも逃げようとした彼の背を逞しい足が踏んづける。ギャッ、胃液をぶちまけた醜いカエルの悲鳴が制圧完了の合図。

 ここまでわずか数分、一国の半分を裏から支配していた凶悪マフィアは頭をもぎ取られて壊滅した。


『任務完了、マッドバニー応答せよ』

『はいお疲れ様、一度こっちに戻ってきて。スーツを軽くチェックした後で最後の一件を消化しましょうか』

『了解』


 後に通報を受けて駆けつけた地元警察は一人残らず倒れ伏したメンバーを捕らえて病院に放り込む大捕り物を演じることとなる。地方警察には大事件、しかし大いなる野望を秘めた悪の組織にとっては通るべき道の小石のひとつに過ぎなかった。


******


「比呂田くんお疲れ様、今日のスケジュールは全て完了よ」

「えっと、これで何件こなしたんだっけ」

「今日は十二件ね、小物が中心だから件数だけは多く見えるけど」


 黒幕少女は渋面を作る。彼女の言う『最低限ミラームーンを対話の出来ない敵だと認めさせよう』月間の進捗が思わしくないせいだろう。

 より正確を期すならばミラームーンに接触を図る組織やヴィラン中心の少数グループ撃滅は進んでいる、件数も相当の数をこなしている。

 ただ、


「世間の評判おかしくない? 『ミラームーンありがとう』みたいな評価をチラホラ見かけるんだけど??」

「そりゃ結果的に悪の撲滅をやってることになるからなあ」


 各地の報道を眺めやり納得いかない顔をした彼女の悲嘆を今日の任務を終えた弘士はお菓子で糖分を補給しながらバッサリと切り捨てる。あくまで彼女の計画を知らず、目指す理想を知らず、行動理念を加えずに表面的な出来事だけを拾い上げるなら。

 今月のミラームーンは精力的に非合法組織を壊滅させつつ悪党ヴィランを叩きのめしているようにしか見えないからだ。


「先月殴り倒したヒーローは三人に対し、今月倒したヴィランは三十八人」

「うぐッ」

「潰した組織は政府のダミー組織が六つ、その他犯罪組織が四十四だっけ?」

「ふぐぐッ」

「今現在、おそらくマッスルラビットは世界一役に立ってる野良ヒーローだぞ」

「なんか違ううううううううう!」


 ユートピアン襲撃で社会的信用を落とし経済的損失を受けた政府や企業の見解は異なるだろうが、それら損失と無縁な世間一般では世界中を駆け巡り悪を滅ぼす野良ヒーローとしか映らない。

 超科学が下支えする卓越した情報収集・分析能力と神出鬼没のワープ技術、向かうところ敵無しな超人スーツを完璧以上に使いこなす人材……立ちはだかる悪として用意したこれらが相まって英雄的行為を可能にしているのだ。

 悲しいけどこれが世間の評価なのよね、机に突っ伏した美波は半泣き声である。


「このままでは今月は脅威どころかただ善行をしただけになってしまう……」

「でもそのお陰でヴィランは結束の兆しを見せてるんだろ?」

「それはそうだけど」


 悪党は建前や立場を気にする者よりも自由気まま、好き勝手な行動を取り易い。無論裏社会にも面子や縄張り意識があって単純ではないのだろうが、お互いを利用したり怨恨や報復の意思で協力するフリをするハードルは低い。

 それこそ美波が人類に求める「脅威と対抗すべく一時的に手を組む」というケースだ。彼らの面子を潰したマッスルラビットとミラームーンに対する報復の意思が孤高を気取るアウトローに共闘の意識を植え付けつつある。


「この調子で追い詰められたヴィランが組織ネットワークを構築するなら、これからも徹底的に叩く方がいいわね」

「ヴィランかわいそう」

「ヒーローは使う側の政府や連合間に軋轢があって簡単にいかないのがもどかしい」

「ヴィランが結束して活動し始めればヒーローも自主的に組織を作らないものかな」

「そういうのは全世界で音頭を取れる象徴的なカリスマが出ないと」


 悪のカリスマがため息を付いた。今の世界のヒーローには世界的な規模で活動できる存在はおらず、せいぜいが政府や企業のボディガードや便利屋。そういった期待をかけられる者は皆無なのが事実だ。

 弘士はチラリと美波を盗み見る。彼女ならカリスマヒーローの活動を支える善の科学者役も出来たと思うと世界的な損失はあまりにも大きい。


『──緊急速報です。環状諸国連合の代表カリウム・レントラム氏が全世界にメッセージを発表するとのこと、中継を繋げます』

「お?」


 会議の最中、情報収集に付けっぱなしだった地球のメディア放送、複数あるモニターの大半が地域のニュースキャスターに取って代わられた。

 テロップで済ませずに緊急放送、全世界規模のそれは滅多に起こらない事態の証明。それこそ地球規模の災害でも発生したかのような対応だ。


「なんだなんだ、テレトー以外全部ニュース番組になったぞ」

「テレビトーヨーの安定ぶりは心強いわね」


 一部例外を除き、キャスターが緊急を告げた直後にテレビ画面がどこかの会見場一色に染まる。国際ニュースで知る人は知る、環状諸国連合の合同会議場。

 晴れの舞台、或いは世界的決断を伝える壇上に男が立っている。マイクに囲まれ、緊張した面持ちの彼は連合の代表議長、世界トップスリーの一人。


『環状諸国連合のカリウム・レントラムであります。今日このような場をいただいたのは、全世界に向かって我々が決断した政治的判断をお伝えするためであります』


 重々しい口調で始まったのは会見というより通達に近い。決定事項の伝達、災害状況の説明ではなく意思表明。

 我々の考えはこうだ、そちらはどう思うかの問い掛け。


『環状諸国連合はミラームーンと称する武装テロ組織との正式な会談を設ける意思があることを宣言します、時間と場所等の条件は可能な限り譲歩する。繰り返す、我々環状諸国連合はミラームーンと称する武装テロ組織との正式な会談を──』

「……なるほど、一ヶ月近く時間を空けた結果がこれなわけね」


 弘士にはピンと来ないが美波は顎に手を当てて頷いている。素直に受け取れば三大連の一角が悪の組織と交渉の場を持ちたいと告げているように聞こえる。

 それも暗闘暗躍の類ではなく世界に公表した上で──愉快犯的テロリストと認識されているミラームーン相手にそんなことがあるだろうか。


「なあ宇佐見、これってどういうことだ?」

「比呂田くん、ついにわたしも世界デビューの時ってことよ」

「なんて?」

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