ムーン12 戦うだけではいられない

 未来都市ユートピアンの一区画。

 破壊痕が刻まれた戦闘の跡地にただ一人立つのは悪の尖兵。

 一方的な破壊を示し、立ち向かったヒーローをも薙ぎ払った暴虐ウサギは地球人類を嘲笑い、この場に用は無しと立ち去る気配を見せた。


『これで終わりかね。ならば我輩は月に戻るとしよう。では諸君──む?』


 悠然と佇んでいたヴィランが何かに気付いて南東の空を見る。何者かが空を切り裂くように急接近している、未確認飛行存在を真っ先に探知したウサギの目と耳は敵性体の形状を視認する。

 飛来したのは鋼鉄の鎧を纏った翼の騎士。

 そう表現するのが相応しい、女性的シルエットをしたパワードスーツの雄姿だった。太陽の輝きを受け、ウイングスラスターを広げ高速飛行するそれはミサイルの如き機動性でマッスルラビットを目指す。


『ほう、あのような隠し玉がいたというわけか』

『逃がさないわよ、悪党!』


 翼騎士の両腕マウントからブレードが伸びる。変声機が声を歪ませるも明らかに若い女性の怒声が衆目の耳を打ち、放たれたのは天からの双撃。推力と重量を合わせた振り下ろしはヴィランの逞しい右腕に受け止めれる。

 そう、マッスルラビットは防御した。

 弾き飛ばすでもなく、透明な壁で阻み触れさせないでもなく受けたのだ。


『あんたのせいでスイーツを堪能できなかったんだからね、ここでぶっ倒す!』

『ほう、我輩に触れるとは不遜なり地球人』


 だがそこまで、怪人は地面に根を下ろしたかのように身じろぎもせず左腕を打ち上げる。轟音を伴うアッパーカットが天人の鎧を打ち砕かんとする。必殺の一撃、避けようの無いタイミングでのウサギの牙を翼騎士は風にそよぐ柳の如きに回避してみせた。緩急を完全に制御した動きは不自然なまでに流麗である。


『小癪なり地球人』

『ふ、ふん! そんな大振り当たるわけないでいしょ!』


 一定の間合いを置いての空中ホバリング、天空と大地で睨み合う二人。

 仮面越しに交わされたほんの刹那の視線は侵略者の都合で断ち切られる。


『小賢しい地球人、この場で打ち倒したいところではあるが、早く戻らねば女王陛下の茶会に間に合わぬ』

『それが何?』

『今日のところは幕とさせてもらおう』

『そんな身勝手、許すとでも!?』

『容易い』


 再び斬りかかりの姿勢を見せた翼騎士を無視し、災禍の化身は大地を殴りつけた。地面は大きく凹み土砂は巻き上がり、乾いた砂粒はカーテンとなって彼の姿を覆い尽くす。天然素材の目晦ましは数秒で晴れる程度のものだったが、既に悪幕の中からマッスルラビットの姿は消えていたのである。

 ユートピアンを主導する三大連全てにテロを企て成功させたミラームーンの悪名はさらに高まる。彼らの欲する『宇宙人襲来』の認識は手に入らないままに。


******


 三大連の一角、環状諸国連合の秘密格納庫では広井博士が感動に浸っていた。

 戦闘より帰投した翼の鎧騎士は機体名称ウイングスーツ。全高二メートルに抑えた人造の天使、マホロバ・フロンティア製の宙空戦用パワードスーツである。

 スタッフがスーツの収容作業に走る中、博士は拍手と涙で娘を出迎えた。


「天音、お前ならやってくれると信じておったぞ!」

『何も出来てないでしょ! 逃げられたんだから!』


 スーツの中から外部音声で怒鳴り返すのは彼の娘、広井天音である。このスーツこそ博士が長年研究し、天音と御斗の姉弟にテスターを勤めさせ、蓄積したデータを元に調整を続けていた成果物。

 特にこの空飛ぶ騎士は天音のGEに合わせて製造した特注品、彼女以外にあれ以上使いこなすことは出来ないだろうと博士の太鼓判が押されていた。

 ──だからこそ逆説的に、このスーツを使う時は天音が召喚されるわけだが。


『迷惑!』

「うむ、彼奴のようにGEを悪用するような輩は人類にとって迷惑極まりない」

『そういう意味で言ってない! 今回で終わらせるつもりだったのに!』

「うむ、心配は要らん。彼奴のような愉快犯はまた次を行うに違いないからのう。リベンジの時は近いぞ」

『だからイヤなの! また今回みたく連行するつもりでしょ!』


 噛み合わない内容で言い争う二人から離れて御斗も帰還を果たす。彼のスーツにはウイングは無く、代わりにホバーエフェクトシステムで地面のコンディションを無視して走破できるグランドスーツ。中遠距離から天音を支援する狙撃タイプなのだが今回は出る幕がなかった。

 スーツからさっさと降り立った弟は不毛な喧嘩を終わらせるべく姉に注文を投げつけた。


「姉貴、飛び掛るのが速すぎる。援護も何もあったもんじゃないぞ」

『そっちが遅いのよ!』

「無茶言うな、こっちは飛べないんだぞ」


 そもそも文句を言いながらやる気満々だっただろ、と言わない知恵が彼にはあった。幼少から親の一方的な都合に振り回される姉弟だが、なんだかんだ頼みを聞いてしまうのは博士の理想に邪念なく、天音は底抜けに人が良いからだ。

 ならそんな二人に付き合っている自分はなんだろうか。おそらく強く抗弁してまで拒否するのも面倒だからだろう、御斗はそう自己分析をする。


「オヤジ、オレ達はもう帰ってもいいのか。軍の輸送機でも夜前には出ないと明日の学校を休む羽目になる」

「う、うむ。後の調整はワシだけで大丈夫、少年老い易く学成りがたいからの」

『ちょ、姉を置いていくつもり!? 待ちなさいよ!』


 後ろで喚いている姉を置き去りに輸送機へと足を運ぶ御斗は大きな欠伸をした。

 彼にとって今回の騒動は父親の我が儘によるもの。姉のように悪党は捕まえるべきという燃える正義感も手持ちになく、熱を入れる理由も無く、今後また呼び出されるんだろうな程度の関心に過ぎず。

 広井御斗の心を乱すような音は響いていなかった。


******


 帰還した月基地は静けさを保っていた。

 元より二人しかいない組織の秘密基地、騒がしい気配など縁の無い場所ではあるのだが、どうも弘士は落ち着かない。

 理由は気付いている。天涯孤独の彼はアパートにも出迎える家族はいないが、ここには顔を出せば気の抜けた笑顔で挨拶をくれる悪の黒幕がいたのだ。

 それが今日は無い、久しぶりの感覚に寂寥感を覚えたのである。


「風邪薬飲んで寝ろ、と言ったからそうした聞いたと考えるべきか?」


 出撃前、風邪を引いて酔っ払い並に知力が低下した美波に寝ていろと言い放った彼の言葉を要れて引っ込んだのは確認したがその後の消息は不明だ。

 まさかどこかで倒れてたりすると困るな……などと弘士は論理的思考で感情的に行動する。基地内部をあちこち探し回り、姿が無いことを確認。バカと化した風邪引きはそこまでバカでなかったことに安堵した。

 とすると残りは。


「……ここを覗くのは……いやでも万が一もあるし……」


 表札に『自室』と書かれたドアを前に弘士は躊躇する。中を改めてきちんと寝ている姿を確かめたい気持ちと、年頃の少女の部屋に無許可で覗き見る罪悪感がせめぎ合うためだ。

 このままでは千日手、決着のつかない戦いが始まる予感を機械的ギミックが解消する。部屋の前をうろうろしている彼に人感センサーが反応、するりと自動ドアが音も無く開いたのだ。


(セキュリティィィィィィィ!!)


 月の地下に他者が侵入する余地はない、そんな油断からのフリースペース。もう一人立ち入る可能性がある異性を認識していない体たらく、強めに注意すべきであろう。

 ただ今回は天運だと思うことにする。天が様子を確かめろと命じたのだ、このまま立ち去るとドアを開けただけの不審者になってしまう──形にならない言い訳を思い浮かべながらそっと室内を覗き見る。

 室内は基地のスケールに比べるとそれほどの広さではなく、何故か畳敷き。箪笥に卓袱台とレトロ風味な調度品を避けた部屋の真ん中に敷かれた布団。

 そこには掛け布団を呼吸で上下させるおとなしげな少女が一人、暢気に寝ていた。

 安らかに、無防備に、寝相よく布団に収まった美波のあどけない寝顔を確認し、ドアを閉め、部屋の前から遠ざかり……弘士にはどっと疲れが押し寄せた。


「戦闘より疲れるって何だよ!」


 思わず己にツッコミを入れる。理由など決まっている、異性の部屋に無断で侵入する寸前だった自分の不審者ムーブによるものだ。全世界を敵に回すテロよりも精神的な疲労を負ってしまう、ある意味身の丈にあった想像できる悪事所以だろうか。

 部屋には入ってない、入ってないが、パーソナルスペースで寝息を立てる彼女を目にしたのは全くもって事実であり、


「………………今日は反省会もないから帰って寝よう」


 比呂田弘士は雑念を払うように足早に基地を後にした。

 こうして彼にとっては打ち合わせになかった正体不明のヒーローと戦ったことよりも美波の寝顔の方が印象深い一日となったのである。

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